三日目ー後編ー

既に日は暮れ月は皓々と高く輝いている。
井戸は月明かりを受けて不気味なほどにそのシルエットをくっきりと際立たせている。
そこへ集う大勢の子供たちを背に瀬谷 佳は立っていた。
そしてその視線の先には、縄で縛られた陣の姿がある。

「……お前は約束を破った、何でも受け入れるという約束をね」

佳はそう言って、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。
そこへエルフトは堂々と踏み込んだ。
正面から。

『そりゃあんまりだよ、佳くん。
 さぁ、今なら怒らないから、陣くんを離してくれないかな?』

雑木林の中で拾った枝をぴしぴしとしならせながら余裕たっぷりといった様子を醸して言う。

ちょうど駆け付けたのだろう、契が血相を変えて、陣の名を叫びながら場へ踏み込んできた。
さらにその後ろから、雲雀が、六道が駆け付け、無言で戦意を示す。

四人の登場に、陣ははっと嬉しそうな、安心したような表情を浮かべる。
たが、佳には面白くなかったようだ。

「またお前か……関係ないし、どうだっていい」

じろりと闖入者たちを一瞥して、陣へと視線を戻す。

「陣、お前のためだけに彼に来てもらったんだよ。
 そう、お前が拒絶した彼に!」

芝居がかった仕草で言い放つ様子はむしろ滑稽なくらいだ。
だが、血走った目で泡を食わんばかりに力説するその姿はまさに狂信者のそれ。

ーーいやぁ怖いねぇ……大人になったら立派にカルトの首領になりそうだ。

エルフトはにへら、と笑った。

ーーやはり面倒の種はここで潰そう。

『つれないなぁ……お兄さんの話も、ちょっとは聞いてくれたっていいじゃないの。
 それで、“彼”って誰なんだい?
 君の見えないお友だちかな?』

煽るように言ってはみたが、残念ながらひっかからなかったようだ。
佳は、はは……と可笑しくてたまらないと言いたげに笑みをこぼす。

「見えない?そんなわけがないね!
 彼は一番の友達であり、親友であり、もっとも近い場所に存在しているのだから!」

恍惚と嘲りの混じった哄笑をあげる背後でうっすらと白い影が浮かぶ。
月の光だろうか?いや、霧のようなそれは井戸から吹き出していた。
形を成していくそれに怯える陣に、佳はほら、喜べよ、と吐き捨てる。



そしてソレは月明かりに姿を晒した。

肉のついていない無数の足に支えられた青白くぶよぶよとふくらんだ楕円形の体。
てんでばらばらについた複数もの目は、新鮮な血液を固めた赤いゼリーのようで瞬きもせずに周囲を睥睨する。


迷路に棲む"カミサマ"アイホートだ。


暗闇から、カサカサと虫の蠢く音ともにゆっくりと這い上がったソレは、悲鳴と哄笑が交差する中、ゆっくりと縛られた少年へと接近する。
狂気にあてられたのか、陣は身動きすら取れない。



そしてエルフトもまた狂気の中にいた。
アイホートの登場は想定内ではあったが実際に目にしたダメージなんて考えすらしなかった。
本能的な恐怖に逃走しようとする身体が残って仕事を完了すべきだと叫ぶ理性と正反対に走り出して、引き裂かれそうになる。

ーーもう、カタチを保てない……!

エルフトの肌から色が失われた。
血の暖かみが消え、青白くなり、そしてそれを通り越して透けていく。
明確な輪郭を失い指はひとまとまりに。
目鼻立ちは崩れてぐずぐずになった。
どろりとカタチを失い倒れそうになったエルフトを突風が撫でる。



かろうじて頭をもたげたエルフトが知覚したのはひとつの大樹だった。

馨しい花の香を放つ花弁に包まれるようにして凛と佇む妖精のように美しい人の似姿、みずみずしさを湛えた幹に無数に蠢く鞭のようにしなやかな根の群れ。

火星にいるはずの貴き御方、"花"の神、
ヴルトゥームがそこにいた。

『あ、ああ……』

エルフトは低く呻く。
彼の心中を埋めたのは怒りだった。
貴き御方の手を煩わせた自分への怒り、
少年らへの怒り、そして、


目の前にいるアイホートへの怒り。




ようやく正気に返った陣は身をくねらせ何とか迫る巨体から逃れようと、必死で足掻き続けるが、食い込む縄のせいか、のたうつことしか出来ずにいる。
それを嘲り笑う声が夜に響いた。


怒りに駆られたエルフトの身体は、再びカタチを取り戻していた。

だが、それに気づく様子もなく鞄に手を突っ込み、メスを取り出す。
手術用に使う触れるだけで肉を切り裂く代物だ。

『クソがクソがクソがッ!!!』

やたらめったら投げつける。
だが、狙いをつけていないそれが当たるはずもない。見当違いの方向へと散る。
さくさくと芝生に虚しく刺さるメスに、地団駄踏んで悪態をついた。

『クソッ……何で当たらないんだよ!!』

またメスを滅茶苦茶に投擲するもやはり誰に刺さることもない。
手持ちのメスを全て投げきりエルフトは足元に目を落とす。
そこには雑木林で拾った枝が落ちていた

ーーそうだ、これで殴ればいいんだ。

エルフトは枝を片手に顔を上げた。
ヴルトゥームの仕業だろうか、アイホートは植物に足を絡め取られて、身動きがとれなくなっている。

振り上げた枝はしなやかに、それが鞭のようになり強かにぶよぶよの体を打つ。
アイホートの青白い体に一条、蛇の這うような傷がついた。

自分より目上にあたる存在(カミサマ)を傷付けることができる。
自分の与えた一撃がアイホートを苦しませている。
その事実が、エルフトの隠れた嗜虐心に火をつけた。

『ふははははは……僕より上位にあたるアイホート様ともあろうものが、僕のような下等種族に傷つけられるなんて愉快ですねぇ。
 ねぇねぇ、どんな気持ちなんです?
 ねぇねぇ、今、あなたはどんな気持ち なんですか?』

ぴしりぴしりと枝を鞭のようにしならせアイホートの身体を打っていく。

『そもそもあなたがこんなに大規模にことを起こさなければ、僕がこんな田舎に派遣されることなんてなかったんですよ……仕事増やしやがってこの野郎めが!』

圧倒的理不尽がアイホートを襲う!
もはやそれは八つ当たりだった。
傷を増やされ、八つ当たりとも取れる罵声を浴びせられ、みるみるうちにアイホートが弱っていく。

ひとしきり打ち据え、ようやく満足したところでエルフトは攻撃の手を緩めた。
いつの間にか頭の中を埋めていた怒りの感情は薄くなっていた。

『はー、すっきりした』

そう言って佳を見下ろす。
佳はエルフトの行動に対し立腹しているのだろう、彼を睨み付ける。
それはそうだ。"一番の友達"を枝ごときで傷つけられ、言葉でもって侮辱されたのだ。
怒りを覚えないはずはない。

『なんだい?文句あるのかな、少年』

先ほどの狂気の名残だろうか、荒っぽい口調のまま言い放ち、逆に佳を見下ろす。

『そもそも、君がコイツを呼び込まなかったら僕が余計なお仕事を抱え込まなくてすんだのになぁ……?
 ねぇ、この責任どう取ってくれるの?
 このままじゃ、君も村人も全滅しちまって大変なことになるぜ?』

「君たちが来なければよかった、
 それだけだ!」

ぎり、と歯軋りしながら、彼はそのままエルフトを睨み付ける。
精一杯の強がりなのか、怒りの余りにかぐっと握った拳は関節から血の気が引くほどに強く力んでいる。



『そういうわけにもいかないさ』

エルフトは少年に顔を近付け、メンチを切る。
〜なら、〜だったら、などと考えるなどまさに暗愚の想定。
来てしまったものはもはやどうしようもない。

『君がアレを匿ってることが分かった以上"我々"の存在を隠すために遅かれ 早かれ手を下す必要があった。
 僕が来なくとも別の誰か……あるいは“あの人”が直接君たちを処理しに来ただろうね』

幼子に言い聞かせるように、ねっとりとした口調で告げる。すると、

「…………まさかお前」

何かに気が付いたのだろうか、さっと彼の顔色が青褪める。

ーー愚かな子供だ。
  ようやく気付いたらしい。

――目の前に立つ男が人でないことに。

――そして、彼こそがこの村に混沌をもたらした"ニャルラトホテプ"の部下であるということに。

『ふふふ……もしかして、君、
 ……“僕の上司”を知ってるのかな?』

顔面蒼白で震えている佳とは逆に、
エルフトはにこにこと笑みを浮かべる。
彼が尻尾を出した以上、もはやこの件はエルフトの独断場だ。

「彼からも玩具を取り上げるのか?
 我らが子を取り上げるのか!?」

エルフトが"とある人物"の部下と知って佳はおもねるように訊ねる。
ここは媚びゴマを擦り恭順を示して、どうにかこうにか見逃してもらおうとしているようだ。

それを、嫌だね、と切り捨てた。

『悪いけど、限度を超えちゃってねぇ。
 僕が命じられてお片付けしに来たのさ。
 でも、心配しないで。
 "君のお友だち"はヴルトゥーム様のお陰で助命されるし、“子供たち”も引き取ってくれるってさ。
 感謝しなよ。
 そして、今回のことは忘れな』



その頃ちょうど事態が落ち着いたようだアイホートはヴルトゥームを見、そして佳へと目配せをすると、 何処からか集ってきた子蜘蛛達によって運ばれ、ゆっくりと井戸の中へ戻って行く。
……どうやらヴルトゥームがアイホートを説得し、この村から手を引くことを納得させたようだ。

ヴルトゥームは慈愛に満ちた笑みを子供たちに向ける。すると、地面から小さな芽が現れ、みるみるうちに生長していくそしてそれは傘のように枝葉を広げると淡い紫の花を咲かせた。
葡萄のように房を為して垂れ下がる花……藤の花だ。
それは子供たちを包む籠となり、凄惨な景色を覆い隠す。

咲き誇る藤にヴルトゥームは満足そうな顔をし、そして表情を引き締めると、瀬谷佳と並び立っていた大将格の少年に人間の言葉で話しかける。

「……さて、"彼"にも帰っていただけたわけだけど、まだ君達はこの子に用がある?」

アイホートに絶対の忠誠を誓っているらしい二人はエルフトとヴルトゥームを一瞥し、言い放つ。

「……彼が決めたことは、僕らも守る。
 破ったときは、その時は」

「ゆびきりげんまん、嘘を吐くなら喩えお前だとしても、父に代わって僕らが食らい尽くしてやる」

その瞬間、彼の輪郭がとろりと蕩ける。
崩れた彼らの体は青白い小蜘蛛の大群と変じ、井戸へと這っていった。

『おや、やっぱり“子供”のうちの一人だったか……』

しみじみとつぶやいて後ろ姿を見詰める。
そして、ヴルトゥームの方を振り返り、声をかけようとした瞬間……、



「ぁぁぁあああああ"あ"あ"あ"ッ!!」

狂乱したような叫び声を上げた契が、ヴルトゥームに特攻をかけるところだった。

『……!!?』

「つっ……あああ巫山戯んな巫山戯んな 消えろ消えろ消えろ消えろキエロ
 シネェェェエエエエ!!!」

エルフトが止める間もなく、契の入れた蹴りは、ヴルトゥームたち"外なる神"が身体を保つために必要な核を打ち抜く。

『契ちゃん!もうやめて!!』
「ぁぁあああ"あ"あ"あ"ッ!!!!」

さらに追撃をかけようとする契の腕を引いて地面に倒し、その上から肩を掴み押さえつける。
暴れる契を押さえつけたまま、目を覗き込み、強制的に正気へと戻す術を施した。

「……あ、れ…なに、これ……?
 私、なんで、…」

十数秒ほど覗き込むと、不意に契の瞳が光を取り戻した。
目をぱちくりさせる契に、ごめんね、と謝って上から退く。

その時、また風が吹いた。
見てみると、ヴルトゥームが消えようとしている。
植物の体は急速にみずみずしさを失い、枯れるようにして体が朽ちていく。
そしてはらりと舞い落ちた一枚の花弁を残して、ヴルトゥームは姿を消した。
……元あるべき場所へ還ったのだろう。

エルフトはその花弁を、そっとハンカチか何かに包んだ。ヴルトゥームが仮の体であるとはいえ、死亡したというのは上司に報告しないといけない事案だ。

それから未だに座り込んだまま、呆然とする契にいろいろ説明する。
この村はアイホートというヒトならざるモノに支配されていたこと。
瀬谷 佳も、仲間の少年もアイホートの子どもが化けたものだったこと。
それを憂えた"神様"であるヴルトゥームがアイホートを説得し、退けたこと……

狂気に呑まれた契が六道を殺し、さらに、神であるヴルトゥームまでもを斃したことは避けて説明する。
その間にも落ち着かせるために頭を撫でるふりをして彼女の頭に触れ、記憶の改竄を行っていた。

『とにかく、全部、終わったよ。
 もう心配することはないんだ』

それだけを信じ込ませるように繰り返し繰り返し言い聞かせる。
やがて安心し緊張の糸が切れたのか契はすぅすぅと寝息をたて始める。

『……仕方ないなぁ……』

エルフトは、契をゆっくりと子供たちの傍に横たえる。
子供たちは美しい藤の花に囲まれるようにして眠っている。その表情は柔らかく穏やかだ。幾ばくもたたないうちに目を覚ますことだろう。
空には満月が蒼白く美しく、蔑むように照っていた。

『大変なことになったなぁ……』

そう呟きながら、エルフトは持っていた端末で証明となる写真をいくつか撮る。
そしてひとしきり現場を検証したのちにようやく、上司……



敬愛する養父であるニャルラトホテプに報告の電話いれた。



『もしもし養父(とう)さん。
 まず一言言っていい?

       死ね!!
                 』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あとがき
まさかの探索者二人ロストでシナリオ終了……。
さて、これで約二名の秘密が露呈しましたね。

次回、シナリオ解説と探索者たちの【秘密】について語りたいと思います。

2016/7/10
すこしわかりにくい箇所があったので手直ししました。

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