一日目

一日目 岐阜県某所の村

『いやぁ、酷い目にあったなぁ』

思わずといった様子でそう呟きながら、一人の男がバスから降りた。

男の名前はエルフト。
本名なのか偽名なのかも定かではない。
青みがかった髪に深い青の瞳という外国の血を思わせる容姿だが、顔立ち自体は驚くほど凡庸だ。
体格もこれまた中肉中背で、人混みに紛れてしまえばあっという間に見失ってしまうような、そんな平凡な男だった。

エルフトは人目を憚らず、うんと伸びをする。
ガタガタの山道のうえにサスペンションの利いていないような古いバスに乗っていたのだ。まだ体が振動している気がする。

朝、昼、晩に一本ずつ走っているという公営のバスだそうだが、今乗ってきたのもエルフト一人だけ。
喧ましくディーゼルエンジンを吹かして去っていくバスを見送り、それはそうかなんて感想を抱く。


大して稼げる路線でもないなら、新しい車両を導入するだけ無駄だろう。


一体全体こんな村へ何の用かと思われただろうが、彼がこの村を訪れたのは仕事のためだった。
本来は前日に到着するはずだったのだが色々不運が重なって遅れてしまったのだ。

『上司は相変わらずだし、あの火の玉は絡んでくるし……これはボーナス要求して然るべき』

グッと決意と共に拳を固め、エルフトは村に入る。
仕事をするにあたって主要な建物や宿泊場所など情報の確保は重要だ。





今回の現場は川に挟まれた村であり、小高い丘が見える。
一つ二つ大きな家も見えるが何処がどうなのかはわからない

宿屋はバス停の近く、家々の集まる集落からは丘を挟んで反対側に位置している
民家にも似た二階建ての和風の建物で、利用客こそ少ないようだが、常に気を配っているのだろう、綺麗なところだ。
女将も気さくで人の好さそうな女性で、エルフトが宿泊したいという旨を伝えるとかなり嬉しそうにしていた。

エルフトが案内されたのは一番奥の部屋窓から家屋の密集した場所がよく見える。
夜は集落の暖かな光が見えることだろう。
開いているドアから見えた他の部屋も、景色のいいところらしく、それぞれに違った景観を見せつつも観賞に堪え得る実に見事なものだ。

ーーふぅん、良いところじゃない。

せめて仕事じゃなければよかったんだけどなぁ、なんてどうしようもないことを考えつつ部屋を検分する。

部屋は六畳ほどの広さ。
以前は畳敷きに布団だったのだろうが、時代の変遷によるものだろう、今は畳の上にベッドが置かれている。
壁際には書き物机があり、窓辺のキャビネットには花瓶の花が飾られていた。
和洋折衷。なかなかセンスがいい。

エルフトはベッドに荷物を投げると外を歩くための準備を始めた。
ウェストポーチに端末と筆記用具、財布も必要だろうか。
それから医療器具も簡易な施術が出来る程度に入れておく。……メスを多目にして。
そして調べたことをメモしやすいようにバインダーと証拠を記録するために使うカメラを首から提げ、エルフトは部屋を後にした。





5月も末ともなれば夏の足音が聞こえてくる。じりじりと鋭さを増し始めた陽の中、長閑な道を歩けば数分で集落の方へと辿り着く。
集落では疎らに人が話をしていたり、若い子供が駆け回っていたりしている。

何はともあれ、情報収集は大事だろう。
道端で輪を作って話している女性たちを見つけるとエルフトは人好きのする笑みを浮かべて近付いた。

『すみません、私、民俗学の研究をしているものなのですが、この村に伝わる古い品物について知りませんか?』

息をするように嘘を吐く。

井戸端会議でもしていたのだろうか、話をしていた女性達は突然現れた余所者のエルフトをじろじろと見る。
そして少しだけ考えてからお互いに相談し始めた。

「この村で古い品物ってあるかしら?」

「丘の上の井戸とか?」

「瀬谷さんの家も古いし、何かありそうではあるけど……彼処はねぇ……」

ぼそぼそと話し合う中に"瀬谷"という人名が出てきたことにエルフトは着目する

ーーふむ……瀬谷さんか……。

何処となく似たような地名を聞いたことがあるような気がするが、気のせいかと頭から振り払う。
更なる情報を得るべく、エルフトは女性たちに尋ねた。

『その瀬谷さんはこの村に長くいらっしゃるんですか?』

すると女性たちは知っていることを話し始める。
やはり女性というものは噂話が好きらしい。特にこうやって誰かに話すときはひどく口が軽くなるのだ。

「うーん、瀬谷さんの一家はそれなりには長く住んではいるけれどもねぇ」

「都会から帰ってきて、って言うのも入れるとそうでもないかしら?」

「でもお家はずっとあるからね」

都会から田舎へ……怪しい部分のうえに話を広げるのに良い話題だろう。
エルフトはぐいと前に身を乗り出して訊ねる。

『へぇ……都会の方に……。
 不躾ですが瀬谷さんは何をされている方なんですか?
 あとでお話を聞きに行きたいので参考として』

すると女性たちも気分が乗ってきたのか声を潜め、まるで内緒事のように話す。
……計画通りだ。

「確か、旦那さんは偉い人だったらしいわよ」

「でも、奥様とこの村に里帰り中にお子さんが生まれて、それでまた都会に戻ったと思ったらこの村に戻ってきたのよねぇ」

「……仕方ないわよ、あの息子さんだし」

家族構成が知れているのも流石は女性の情報網だ。
どうやら話題の"瀬谷さん"の家は夫妻と息子の三人家族。
夫は詳細こそ不明だが都会で成功を収めた人物でこの村の出身と見られる。
妻は情報こそないが、直に会えばわかることだ。
そして問題は……、

『ふむ……息子さんに何か問題があるのですか?
この辺りは子供達が走り回っていますけど、その子はいらっしゃいますか?』

エルフトの言葉に女性達は一瞬沈黙する。
そしてお互いに顔を見合わせた後、おずおずと切り出した。

「……ここら辺は、元気な男の子が多いのよ」

やんわりとした言い分の女性にもう一人が責めるような視線を向けた。

「はっきり言っちゃいなさいよ、悪ガキが多いの、瀬谷さんの息子さんはそこのリーダーなの」

「昔は病弱だからってここに戻ってきたのにねぇ、どうしてこうなったのかしら」

呆れたようにため息をつく様子を見ると本当に子供たちのやんちゃに困っていることが窺える。

ーーなるほどガキ大将ってやつか……。

思わず苦笑する。
やはり何処にでもいるものらしい。

心労はなんとなく察するも、エルフトはあえて無知なふりを装うことにした。
何しろ、二十代そこそこの若者が子供を育てる苦労なんて察していては些か不審なものがある。

『でも、都会の空気に比べれば、ここの空気はだいぶ綺麗ですから……都会で病弱な子がこっちで元気になる分には何も心配するようなことはないのでしょうが、悪戯が過ぎるのは考えものですよね……ははは』

からりと笑うエルフトにつられてか、女性たちも全くよねぇ……と笑う。

ふと時計を見ると、話し込んでしまったのか既に昼頃だ。
エルフトは女性たちに礼を言って別れた

まだまだ情報は少ない。
もう少し集める必要があるだろう。

聞くようなことしては……やはり「丘の上の井戸」の話だろうか。
この村に古くからあるようだし、場合によっては何か隠されている可能性もある

辺りを見回すと先ほどの女性たち、
道を走り回る子供たち、
そして農作業をしている人々の姿が見える。

エルフトは丘の麓にある畑に近付くと、せっせと雑草を抜いたり支柱を立てたりと農作業をしている背中に話しかけた。

『すみません、ちょっとよろしいでしょうか?』

あぁ?と農作業中の男が振り返る。

『丘の上にあるという井戸について聞きたいのです』

声をかけられた男は、重たげに腰を上げちょっと待っとれ、と声を張り上げる。
そして手拭いで汗を拭いながらえっちらおっちらとこちらへ近付いてきた。

「何じゃあ、見かけん顔じゃなぁ」

不躾に眺め回す男にエルフトはまたもや人好きのする笑みを浮かべる。

『ああ、いきなりすみません……私、民俗学の研究をしているものでして。
 この村にある古いものを調べているのです。
 すると丘の上には井戸があると聞いたものですから』

先程と同じ嘘を吐いたのは、万が一にもあの女性たちとの会話を聞かれていた時のための予防線だ。
男はエルフトの名乗る身分に眉を顰め、そして井戸のことを知りたいという言葉に首を傾げた。

「あ?あの丘の上の井戸かね?
 あれはもう使っとらん古井戸だよ」

予想されていた答えだが、エルフトは落胆などしない。
浮かんだ疑問を次々とぶつけていく。

『もう使ってないということは、昔は使われてたということですか?
 たとえば、あの丘の上に何か建物が建ってたりとか?』

男は浴びせられる質問に目を白黒させていたが、やがて質問が止むとうーん、と少し考えて、いんや、と首を横に振った

「あの丘のまわりでも昔はこの村は作物を育てていてな、その水汲みのためにも使われてたんだが、畑が無くなっちまってからは、あんまり使われなくなったんだ。
 水道も通っちまったしなぁ。
 不便だからってんで、もう誰も使ってねぇよ」

なるほど、畑の跡地ですか。
そう頷いたエルフトは、そういえば、と話題を転換させる。

『井戸って、幽霊が出る場所の定番ですよね。
 あの井戸で幽霊を見たなんて噂はありますか?』

幽霊、化け物、怪奇現象、魔術、そして……カミサマ。
それがエルフトの"仕事"に深く関連するものだ。

エルフトの奇妙な質問に男はまたもや、
んー、幽霊?と考え込む。
それからややあってこう答えた。

「俺や周りの奴は、そういうのはなぁーんも聞いたことも見たこともねぇな……」

そうですか……と、落胆するエルフトを見てか、男は、あ、と思い出したように付け足した。

「でも一個だけあるっちゃある、井戸は全く関係ねぇが」

『ほう?その噂話とは?
 私、そういう話を集めるのを趣味にしていまして……出来ればお聞かせ願いたいのですが』

「こまけぇこたぁ俺らは知らんが、川の近くの家屋の集まりがあるだろ?
 あそこの家の一つに産婆の婆ちゃんが住んでるんだが、その婆ちゃんは嵐の日にお化けに会ったって言うんだ。
 詳しく聞きたきゃ婆ちゃんを訪ねな」

産婆。昔は多くいたそうだが今は少なくなってきた役割の一つだ。
特に産婦人科の普及した今では、産婆に頼る人間の方が少ないだろう。
……けれども、こんな小さな集落ならばまだいるのも頷ける。
そして、産婆ほど村人と友好的な関係がある人物もいない。

『産婆さんですか……なるほど、訪ねてみようと思います』

エルフトはそう言って、男に何処の家か訪ねたあと、集落の方へ引き返した。





産婆の家は川の近くにある集落の中でも丘に一番近い家だ。

ちょうど昼時だから家に帰っていることだろう。産婆の家の戸を叩く。

『すいませーん、誰かいらっしゃいませんか〜?』

少し時間を空けてから、はい、どなた?と一人の老婆が戸口からひょっこり顔を出した。
腰が曲がっているせいか小柄に見える。
白髪をひっつめており、質素な着物に身を包んでいるが、全体としては清貧な感じを受ける。

老婆は見慣れぬ男が現れたことに、少し警戒したようだが、

『どうも、私ちょっとした記者みたいな者で、心霊体験や不思議な体験なんか を調べているのです。
 この村の方から、貴女が何やら不思議なものを見たと聞いたのでお話を聞きたくて参りました』

そう物腰柔らかに切り出したエルフトを見ていくらか雰囲気を和らげた。

「あらあら、見慣れない顔だったから、どうしたのかと思ったら……変わった 人なのねぇ。
 どうぞ入って、お話してあげましょうね」

老婆はエルフトを家の中に迎え入れる。
上がり框に腰かけると、老婆は傍にちょこんと座り、ぽつぽつと話し始めた。

「そうね、あれは確か……十二年前のことだった。今でもよく覚えてる。
 とても酷い嵐の日だったわねぇ……男の子が産まれそうだってね、私が呼ばれて取り上げに行ったその帰りのことだったわ。
 今でもはっきり覚えてるの」

「十二年前」という時間軸にエルフトは着目した。
村の子供たちを見るに、ちょうど小学生から中学生くらいの男の子たちが走り回っていた。
それを取り仕切っている"瀬谷"少年もそれくらいに生まれているだろう。

『十二年前というと……関係ありそうな のは瀬谷か……?
 いや、まさかそんなうまい話が……』

ぶつぶつ呟いてから、お婆さんに続きを促す。
すると老婆はエルフトの口から"瀬谷"という名前が出たことに驚いたようだった。

「あら、瀬谷さんの坊っちゃんのことを御存じなのね」

『いや、その子については村の方に話を聞いただけですよ。
 病弱だったのが、今ではすっかりやんちゃになっているとか……』

後半がため息混じりなのに気づいてか、老婆はそうみたいねぇ、と微笑む。
そして再び表情を引き締め、続きを話し始めた。

「……それで、その帰りの夜道に、酷く青白い、深くフードを被った男と擦れ違ったのよ。
 見たこともない、背の高い男……。
 神様の御使いと思ってギョッとしたわ。
 ……あの坊っちゃんが神様に取られちゃうんじゃないかって」

青白いフードの男。どう考えても怪しい。
今回の黒幕と考えてほぼほぼ間違いないのだろうが……

『青白いフードの男ですか……。
 怪しい風体にしろ、人間っぽいですね。
 誰か村の人では?』

如何せん怪しい人物とすれちがったのが嵐の夜のことだ。
カッパを着ていたならフードを被っていても不思議はないし、白かったのは、気温も低く、血の気が引いていただけかもしれない。

「いいえ、村の人に、あんな、あんな顔の人なんていない、いない筈なのよ」

老婆は怯えたようにぶつぶつと繰り返す。

彼女がそう言うのなら本当なのだろう。
産婆ともなれば、村の人々の顔を覚えていても不思議はない。

しばらくしてようやく落ち着いたのか、老婆はぽつりと漏らした。

「そうねぇ……私はあの子が戻ってきたとき、やっぱり本当に……って思ってしまったのよ、実はね?」

やっぱり、というのは少年が神様に取られてしまうということだろうか。

『それじゃあ、今、村を駆け回っている腕白な少年である彼は別物だとでも?』

エルフトの質問に、老婆はただ首を横に振る。

「分からない。
 私には、分からないわねぇ……。ごめんなさいね、こんな変なお話で」

『いいえ、いい参考になりました。
 ありがとうございます』

少し申し訳なさそうに微笑む老婆に、
エルフトは丁重に礼を述べてから彼女の家を後にする。
見送る老婆に手を振り、エルフトは宿に戻った。

明日こそ井戸を調べる必要があるだろう。
そして瀬谷家を訪ねる必要もありそうだ。





部屋に戻る道すがら、他の部屋を見てみると一つ埋まっていた。
村の中を調査に歩いているときも村人ではなさそうな人影がちらほら見られたしエルフト以外にもここを嗅ぎ付けた者がいるのかもしれない。

ーーまぁ、いざとなったら協力でも要請しようかね。

荷物をベッドに投げ出し、早速とばかりにエルフトは文机に向かった。


そうして夜は更けていく。


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あとがき
一日目の出来事ですね。この時点でまだ仲間と接触してません。
一人であっちへふらふらこっちへふらふら。
果たして、エルフトの"仕事"とはいったい何なのか?

次回に続きます。

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