ああ、なんでだ。ちくしょう、ちくしょう!

人工的なネオンの街灯はどこまでも続き、星座のように道を標していた。世界中、月さえも眠りについているかのような静かな静かな夜を駆け抜けた。

ドンドンドン!

ドンドンドン!

玄関の戸をひとしきり叩くと施錠が外れる音がした。インターホンをむやみに鳴らすのは、隣人からの苦情がうんぬんとなまえが怒ったのを根に持っていた。

「やだ・・・」

ズカズカと上がりこむと、おれのナリに顔をしかめるなまえ。切れた唇の端が痛い。蹴られたみぞおちが痛い。散々暴れた右の拳が痛い。

・・・異世界だ。

棒立ちで、部屋を見回した。天井に壁に、海中の写真が乱雑に貼られている。水槽に揺らめく熱帯魚。テレビに映る青い海。棚に並んだ星の砂。

突っ立ったまま、なまえの部屋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。肺から、心臓、脳みそ、体中の機能が正常に戻っていくのを感じる。

「はい、あげる」

振り向くと、なまえが湯気のたったマグカップを両手に持っていた。中で真っ白なミルクが揺れている。手も出さず波打つそれを眺めていたら、なまえはそっとテーブルに置いた。

「海にいく?」
「・・・いや、」

今日はいい。おれは、この胸のつっかえをどうにかしてくれと言わんばかりになまえを強く抱き締めた。

「おいでエース」
「・・・うん」

なまえに腕をひかれ、脱衣所に向かった。そこここにも貼られた写真は、風呂場の湯気でふやけていたり、しけって丸まっている。なまえは早々に服を脱ぎ捨てると、ゆっくりおれのにも手をかけていった。アザだらけ、と笑いながら。

蛇口を捻ると勢いよく水が溢れ出す。冷たい。でも心地いい。頭から水をかぶると傷に沁みた。物心ついた時から、いや、生まれた時からずっとおれは、おれたちは息苦しい。この世界が息苦しい。それは水の中にいるよりもずっと息苦しい。息苦しい。息苦しい。解放されたい、そう思ったときにはいつも海を眺めていた。他のやつらと自分たちは明らかに何かが違う。どこか別の場所が恋しくてたまらない、気がおかしくなりそうなほどに。

なまえの柔らかくて暖かいからだを抱えこんだ。両耳を塞がれて、じいっと瞳を覗かれる。塞がれた耳にはシャワーの轟音と、なまえの鼓動がいびつに響く。

この音は、ずっと昔に、聴いたことがある。なまえの瞳が、深く静かに揺れている。

ああそうだ。まるで、海の中にいるような・・・

その手に自分の手を重ね、今度はなまえの耳に当てる。

「わたしたち・・・」

水にのまれていくなまえの言葉。

「きっと、海賊のまつえいね」

おれはじっと聞いていた。







頭をタオルで簡単に拭きあげていると、テーブルの下に沖縄と書かれた賃貸雑誌がたくさん散らばっているのに気づいた。観光雑誌は昔からの顔なじみだったけれど、見覚えのないそれになまえを振り向くと気がついたように笑って、おれが卒業したなら一緒に沖縄に引っ越さないかと言った。オーシャンビューの、とっておきの借り家があるのと。

「ね、行こう」

傷の手当をされながら、今まで思いもつかなかったそこでの暮らしについて考えてみた。逃がす場所の無かったノスタルジー。何度も切ない夢を見たまほろば。諦めかけていた儚い思いが、甘くふやけて、流れだす。





ホームシック






「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -