「知ってるか?」

鼻をすする、わたしの嗚咽をさえぎって彼が耳元で言った。きつく汗を握っていたこぶしがゆるむのと同時に、ドクンドクンとはりさけそうに鳴っていた鼓動が和らいでいく。

「なあ。知ってるか、ブルーホール」
「・・・ルー・・・ホール、」
「えーっと、ああ、どこだか忘れた。とにかくどっかの浅瀬にあるんだ。海より青い穴、海ん中に穴だぞ。なんでも、地殻変動だかでもともと地上にあった洞窟の穴が沈んじまったらしい。なあなまえ、見てみてぇよな、ブルーホール。見てえ見てえと思いながら、すっかりそのままにしちまってたなあ。あー、うわー、見てえなあ。ブルーホール。いつだって行けると思ってたからな。いつだって行けたんだから、見たいものは見ればよかったんだ。後悔しないうちに。そうか・・・今から」

行くか、とその後も続く言葉を聞き流しわたしは錆びたようにかたい唇をゆっくりひらく。目の前でぺらぺらとお喋りする彼に、可笑しくて、言ってやりたくて、それはわたしが教えたんだと。「エース、」そう名前を呼べば「ん?」と、穏やかな声で静かに答えてくれた。たったそれだけのことが、わたしはもうずっと恋しかった。

「・・・連れてけばか」

髪を優しくなでる温もりを感じる。ふ、と息をもらして「ダメだぁ〜」とおどける。

「やっぱ、おまえは、来んじゃねえ」

・・・悲しいなあ。久しぶりにみたにこやかに笑う彼の笑顔。いつだってそこがわたしの帰る場所だったのに。

「なまえ」

はーい。

「いつでもここにいる」

よっく言うよ。チンケだな。

「いつか会えるさ」

どっちだよ。

「ブルーホール、見ようって、な」

・・・そうだね。ブルーホールを見ようって、いつかそう約束した記憶に触れた片隅で、額に優しいくちづけを感じた。どうして知ってるの?それはわたしとエースしか知らない、悪夢を見なくなるおまじない。

昼も夜もなく賑わうこの空間にも、ほんの少しの喧騒の隙間がある。目を開いてテーブルに伏せていた顔をあげると、ボンクレーが明るく照らされたステージをひとり静かに箒で掃いていた。眩しくて目をこするわたしに気がついて、暗闇の奥に目を凝らすようにしてこちらをみた。

「起こしちゃったかしら・・・あら、今日はよく眠れたみたいねい」

だいぶ顔色が良くなったわ、と微笑まれて、お礼も言えずにうつむいた。鼻をすすって、眉間にちからを込める。約束を覚えている。見に行こう。海より青い穴のあいた海。あの彼が燃え尽きた日を、永遠のように繰り返しみた悪夢から今日目覚めて、わたしはぼんやりと牢獄の外の世界に思いを馳せはじめた。





おはよう












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