「ありがとうございました」
店員から袋を受け取ると、エースはどうも、といって軽く頭をさげた。こればっかりは初めから変わらない。いってらっしゃいませの声とともに送り出され、自動ドアがわたしたちの背で静かに閉じた。旅行用の大きなトランクとは反対の手にひっさげられた満々たるコンビニの袋をみて、買いすぎだと、すっかりおとなしいエースに声をかける。
「朝ごはんたべたのに」
「だってよ・・・」
「もう、元気だして、頑張ろ」
案外デリケートなのだ。歩き出すなり、エースは「匂いがちがう、匂いが」と呻いた。海とは違うってことなのだろうか。そうでないにしろ、匂いに感してはわたしも同感だ。空港って、独特な匂いがする。各国の文字に見送られ、冒険の入口に立つ気分。人種のるつぼは出会いと別れ。この非日常的な空間がなかなか素敵。素敵だとわたしは思う。
「あっ。うわあ、まじか」
ガラス張りの通路を歩く。外は滑走路で、ちょうど一機、飛び立った。
「まじで乗ってんだ、人が」
あんなにでかかったんだ、と小さくつぶやいた顔にシャッターを切る。三歩となりで同じように外を眺める小さな男の子と、エースの顔がそっくり重なる。あれ、もしかしてわたしは、少年のとなりにいる父親みたいな、あんな顔をしているのかな。
「イレズミがひっかかるかも・・・」
「え゛」
「なーんちって」
荷物を預け、身体検査を受け、飛行機に乗り込む。搭乗口でいってらっしゃいませ、とかけられた声にエースは固くなりながら頷いた。
「せ、せめぇ・・・」
「窓側に座りなよ」
エースを中に通して座り、携帯の電源を落とした。機内誌を開くと、エースも覗き込んでくる。街の夜景が載ったページで、あ、と声をあげた。
「これすごかった」
「ああ、首都高かな」
少し前にレインボーブリッジを走ったときの景色をエースは言っていた。車の窓を開けてはしゃぎながら、「こんな風に見えるんだな」と笑っていた。わたしは思わずまた見たいねと言いかけて、やめた。
「あの、あれ、観覧車もよかったな」
「エース途中から寝てたじゃない」
「長くてよ…でも京都の紅葉が一番かな」
「旅館のご飯じゃなくて?」
「重要だろ!」
「沖縄はお酒も美味しいんじゃないかな」
「いいな、でもとりあえず海だな」
「泳げないのに?」
「いーんだよ」
ポーンとスピーカーが鳴り、唐突に機長からのアナウンスがはいる。猫のように反応して、エースは身構えた。
「もう飛ぶ?」
「うん。パニクってメラったら、飛行機落ちるからね」
「しねえよ!」
目を細めてじとりとわたしを見るエースに笑う。出会った頃、ここは自分の世界よりずっと平和で、非力で、発展していて、不自由だとエースは言った。帰る場所があるエースの心中を推し量ることはできない。それでわたしはどうする?真剣に考えた。今も、ずっと考えてる。エースを支配したくない。後悔もしたくない。
「・・・動いた」
機体が震えだし、滑りだす感覚。エースは姿勢を正して窓の外をじっと眺めている。そしてぎゅっと、わたしの手を強く握った。
「あ、浮いた!なあ!」
「うん・・・」
「おおおー」
「ふふふ」
「すげー、飛んだよ」
「飛んだね」
見るもの全部がきれい。話すこと全部が新鮮で、やること全部が楽しくて。わたし、この世界でつまらない思いをさせたくないよ。ねえエース、たとえその日が来ても。
「なまえ」
「ん?」
「ありがとな」
その顔を、絶対忘れないよ。
「こちらこそ」