『理性の下に生きる我々は、没個性に憂えながら社会のせいだと自己の責任を放棄するのか。政府という名の資本主義社会は個人を抹消したくてたまらないのである。これほど不名誉な文明があるだろうか。飢えて死ぬのと死んだように生き、て…の…ガッ…ッががががががががががががががッ』
ラジオが白目をむく。息巻いてしゃべっていたその人の声は、かわるがわる変声機をあてたようにさまざまな声音を行き来して、一点でとまった。
『・・・まーた!おまえは!性懲りも無くみみっちいラジオきいてんなあ、そんなに政府が憎いか、いや、おれのせいか?さっさと寝ないとからだに悪』
グシャ、
ぺちゃんこになったラジオが床の上に転がる。わたしはそれをつまみあげるとキッチンに向かった。ゴミ箱の蓋を開けると手紙と写真で埋め尽くされている。捨てても捨てても次の日には無かったことのように引き出しのなかにはいっている。だから今日も捨てた。ラジオも捨てた。
『哲学のない人生は、柔軟な枝葉のようであり、それといえば誇りなど、取るに足らないものでしょう。自由に生きるといえば無責任にも聞こえるでしょうが、夢見がちこそが無責任のいるのでらはなんでどうしてふ読死んだのどうしてツノうそつき躊をエースいあいてあいたあたいあいたいあいたいあいたいあいたい』
目で追っていた文字が、ページのうえをでたらめに錯綜しはじめて、つむいだ文字が永遠とつづく。ため息をついて本を閉じ、キッチンに向かった。捨てた。
玉ねぎを刻む。トマトをこして、貝やエビ、オリーブ、ベイリーフ、ブイヨンで煮たす。ハーブとスパイスを振ると、スープに溶けることなく広がっていく。そばかす、目と鼻と口、真っ赤な顔で沸いているそいつが「うまそうだなぁ」と言葉を漏らした。火をとめる。全部捨てた。途端に火がともり「ああ!ばか!食いたかったのに」と、さかった。
だいぶ大きくなったお腹をさすりながら、淡い色の毛糸を編んで行く。
「両方、つくったのか。ああきっと双子かもしれねえな。なあ、名前を考えないと」
お腹のなかから声が聞こえてきて、手を止める。青とピンクの毛糸の靴下を捨てた。
「ほんとに困った母ちゃんだ!」
時計はずっとずっと反対にまわっている。
電気を消してソファにかけると、チカチカと電気がついた。立ちあがり、電気を消してソファにかけると、チカチカと電気がついた。立ちあがり、電気を消さないでソファにかけると、電気がチカチカと消えたりついたりする。明るくなるたびに見える、向かいのソファに腰かける人。明るくなるたびに、話しかけてくる。
ジ…ジ…
「泣き虫だな、なまえは」
ジジジジ…
「眠らないと」
ジジ…ジ…
「なまえが眠るまで」
ジ…ジジジジ
「おれが守るよ」
ジ…ジ…
「だからおやすみ」
ジ……
「おやすみなまえ」
もう電気はつかなかった。
アイマスクをして、耳栓をして、ベッドに沈む。
「ごめんね」
お腹をさすると胎動を感じた。そして暖かい何かに包まれる感覚。ぎゅ、と抱きしめ返すと彼の鼓動がきこえる。そんなはずないのに。そんなのは、ありえないのに。わたしが微笑むと、彼は髪を撫でた。・・・ねえ、お願いだから、・・・
「エースにあわせて・・・」
眠ろうとするわたしをおいて、その鼓動はとおくへ逃げて行った。