星の娘C


夏油が思わず「えっ」と声を上げると、ホテルのフロント係は眉をハの字にしていかにも困った表情を作った。

「お客様が宿泊を予定されていたホテルで爆発事故があった影響で、当ホテルに移る方が大勢いらっしゃいまして…大変申し訳ございませんが、1部屋しか」
「あー…、爆発事故」

正直心当たりしかない。

Qを片付けた後、彼等は現場の人払いや現地県警への連絡を補助監督に電話で放り投げて新しいホテルへ移った。移ったのだけれど、差し当たり爆発事故として処理されることになったらしい自分達の騒ぎの影響で、同じホテルから同じホテルへ大勢流れたために部屋が足りなくなった。ツインの部屋にベッドを増設して3人宿泊が精一杯なのだという。

「…分かりました。仕方ないですね」
「恐れ入ります。お部屋のキーをお渡しします」

既に日の傾いた時間帯、一眠りしたとはいえ疲労の残るミズキを宿泊難民にさせるよりはマシと言う他無い。しかし高校生の男2人と同室は問題だろう、さてどうするか、パーテーションか何か…と夏油は気を揉みながら事の次第を説明した。

「え、別に良くね?」
「悟には聞いてない」

五条は実にあっさり夏油の気遣いを無下にした。五条の手にはチェックイン待ちの間に売店で調達した沖縄限定のジュースがあった。実務を負う夏油にとっては沖縄エンジョイ勢に腹が立ちもするけれども、ミズキにも同じものが買い与えられていることでどうにか溜飲を下げた。
五条が「お前気にする?」とミズキを覗き込むと、彼女も別段表情を変えずに首を振って結局夏油の気遣いは正式に無下にされたのだった。

夕飯を済ませてホテルに戻ると本当にベッドが増設されていた。カーペットの日焼けや毛足の潰れ方からして、元々あったツインのベッドを必死に両端に寄せて少し小さい補助ベッドをどうにか間に押し込んだ…という様子だった。よく入れたな、というのが部屋を見た瞬間の五条と夏油の感想だった。

ミズキは淡々と入浴を済ませると真ん中の補助ベッドに丸まってすぐに寝始めた。まるで、自分の寝床をしっかり決めて気付けばそこに収まっている猫みたいに、当然に。
五条と夏油がそれぞれシャワーを浴びてもテレビをつけても音量を上げても、彼女はずっと眠っている。
窓側のベッドに座った五条は身体の後ろに手を突いてカクンと顎を反らせ、背後の窓を見た。窓の外の空を。その空の月を。ほとんど真円になった月が、ぽっかりと浮かんでいる。
五条は勢いをつけて頭の位置を戻し、窓の方に向いて丸まって眠るミズキの顔を覗き込んだ。
彼が人差し指でミズキの頬をぷにっと指すと、浴室側のベッドから夏油が咎める声を上げた。しかし五条は辞めない。

「おいミズキ。寝坊助、おいコラ」

ぷにぷにと無遠慮につついているとミズキの寝顔が迷惑そうに眉を寄せた。

「お前何かねぇのかよ。どっか行きたいとか食べたいとか、…誰かに会いたいとか」

ミズキの目が薄っすらと開き、照明は暗めにしてあるのだけれど眩しそうに睨んだ。五条は指を引っ込めている。「ない」と眠りに片足を置いたままのミズキの声が小さく言った。

「親の顔はちゃんとわすれた…友達も…だからもう、ない」

なにもない。それが彼女が薨星宮で得た平穏だった。

「…そーかよ」

それきりミズキはまた眠りに戻っていった。
忘れることと眠ること、少なくともその2点において彼女は自由なのだから。





翌日、筵山麓に至る頃には、ミズキはほとんど口を開かなくなっていた。

彼女は朝何のきっかけも無くぱちりと目を開け、淡々と身支度をし、ホテルの豪華な朝食ブュッフェに目もくれずに少しの果物だけを口に入れた。空港に移動し、空港を護衛していた灰原と七海に頭を下げ、航空便、車の移動の間も海底の貝のようにぴったりと口を閉じていた。
ちなみに沖縄を出る前に作務衣の小男と目出し穴のある紙袋を被った大男が襲来して五条と夏油がそれぞれをあっさり退けた時も、眉ひとつ動かさなかった。

筵山麓の長い長い階段は、五条や夏油にとっては面倒という程度のものであっても、ミズキにとっては大きな試練である。途中で何度も立ち止まり、肩で息をして膝に手を突いて休んだ。
五条にとっても夏油にとっても、手を貸してやる方法はいくらでもあったし容易いことだった。背負う、抱き上げる、飛ぶ、呪霊に乗せる、その方が遥かに手っ取り早い。けれども、彼等は無言でミズキの小休止に付き合い続け、かなり時間をかけて、すべての鳥居を通り抜けた。

高専の敷地を歩き、定められた扉を選んで薨星宮へ至る長い通路を往く。ミズキの足音は小さく小刻みで、五条と夏油のゆったりとしたそれが無言で従っていく。
そうして、最初に彼等がミズキの部屋を訪れたあの昇降機(随分昔のことのように、夏油は感じた)の前に立った。上にはミズキの部屋、真下、最深部には薨星宮が眠っている。

五条の指が階下行きのボタンに伸びて、止まった。

「…なぁ、マジで何もねぇの?最後だぞ」

五条の声が少し苛立ちを含んでいることについて、夏油は咎めることが出来なかった。彼等から見えるミズキはぴたりと止まったまま、動かない。
その時、ミズキがかすかに声を発した。弱い風にも掻き消されてしまいそうな小さな声で、「黒井にあいたい」と、確かに。

「………っあ゛ーーやっっっと言ったかよ遅ぇんだよ馬鹿!」

五条のヤケクソの声がホールにこだました。彼はボタンに一度置いた指を引っ込めるとミズキの頭に手を乗せてぐしゃぐしゃと掻き乱した。

「無駄んなるかと思っただろーが!」

髪を掻き混ぜた手がミズキの肩を抱いて振り向かせた。
女性が1人、立っている。出立ちはメイド、きりりと吊り上がった目に涙を溜めて、引き結んだ口元を震わせている。ミズキがぽつりと零した。「黒井」。

「私達はミズキの部屋に行く前に、黒井さんに会ったんだよ。彼女の話を聞いて、ミズキが会いたがるかもしれないと思って呼んだ」
「沖縄のも全部、前に黒井さんと旅行で行ったとこなんだろ。割れてんだよ」

乱されたミズキの髪を夏油が直してやった。彼女の薄い肩が震えている。
黒井が震える声で「お嬢様」と言い終える前にミズキは五条らの手を抜けて黒井に抱き着き、声を上げて泣いた。悲鳴のような声だった。
ミズキは何度も「黒井」と呼んで、黒井はその度にミズキのことを抱き締めて髪や背中を撫でた。

そうやって随分長いこと2人は抱き合っていて、徐々にミズキの嗚咽が治まってくると黒井がハンカチを目元に当ててやった。
ミズキは震える横隔膜を押さえ付けるように大きく息を吸って、それから細く長くその息を抜いた。子どものように泣きじゃくっていたその目は痛々しく赤いながらも静かな落ち着きを取り戻していた。

「黒井、ごめんね」

黒井が首を振ると目尻から涙が落ちた。

「お別れを言うのが辛いから先に離れたけど、だめだった。ずっと寂しいだけだった…それなら今日まで、一緒にいてもらえばよかった」
「お嬢様」

今度は黒井の方がぽろぽろと涙を流す番で、彼女はずっと歯を食いしばって目元を震わせている。

「黒井」
「はい」
「もう会えないから…思い出す度に寂しくて辛くなるかもしれない。それでも、黒井のことを覚えておくよ」
「はい」
「黒井」
「はい」
「大好きだよ。幸せになってね」

忘れる自由を放棄することも、ミズキの持つ数少ない自由である。
ミズキがにっこり笑うと黒井の目から次々に涙が落ちて、止まらなくなってしまった。「私も、大好きです」と上ずった声で黒井は言って、ミズキの髪を何度も何度も撫でた。

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