赤い糸と嘘C


「ミズキさんが僕の手に触れてくれて、すごく綺麗で…息が出来なくなっちゃいました」

乙骨のとろりとした恍惚に、夏油は激しい嫉妬を覚えた。腹の底が焦げ付くような感情だった。




習慣付いていることはいかなる場面においても無意識に顔を出す。
子供の頃から呼吸をするように呪力や残穢を目で追ってきた夏油は、擦れ違う乙骨の手にミズキの残穢を見てほとんど反射的に彼の手を掴み上げていた。
「何だこれは」と言ってしまってから、その声が生徒に向けるにはあまりに険しい色をしていたことに気付いたものの取り戻せない。
乙骨は一度「何のことですか」ととぼけて見せ、そのことが夏油の苛立ちに効果的に火をつけた。

「とぼけるな。ミズキの残穢を持った経緯を話せ」

夏油はミズキの術式を見たことがない。学生時代は所属校が違ったし、卒業後も任務を共にしたことがない。
術師が自分の術式を隠すのは共通する基本だとしても、特にミズキは慎重に術式を隠しているという印象が、夏油にはあった。
ミズキにとって術式の開示が大きなリスクになるのだろうと考えることで、夏油は自分だけが信用されていない可能性から必死に目を背け続けてきたものだから、問い詰めた乙骨から出てきた冒頭の煽りは夏油にとって正に逆鱗だったのである。

あまりの怒りに顔から表情という表情がすべて失せてしまっている夏油に対して、乙骨は隈のある目元をぬらりと細めた。

「こんな風にいつも、ミズキさんのことを怖がらせてるんですか?あんな優しい人を」

夏油が言葉を返せないでいる間に、乙骨は軽く頭を下げて立ち去ってしまった。




「…っていう流れ、だった、多分…」
「なるほど」

夏油は俯いて目を泳がせて、彼にはめずらしく歯切れの悪い語尾をぼそぼそと揉み消した。
その正面ではミズキがコーヒーを傾けている。
場所は医務室、夏油の背後には硝子もいる。
「とりあえず」とミズキが切り出した。

「乙骨くんに謝りましょうね」
「でも」
「謝りましょうね?」

ニコ、とミズキに首を傾げられてしまうと負け確である。夏油は不承不承頷きながらも、長年の片想いの相手から尻に敷かれる幸せを噛み締めている…という風に、硝子には見受けられた。

夏油はまだミズキに正式に告白していない。
元々が女性の扱いに長けた男であるし、長年拗らせてきた本命への想いを遺憾無く発揮してミズキに尽くしているらしいけれども(ミズキの証言による)、ここにきてまた二の足を踏んでいるというのだ。
硝子はコーヒーの黒い水面に乙骨の顔を思い浮かべた。あれも大概ヤンデレ気質だよな、と失礼なことを思いつつ、目の前の夏油と天秤に掛けてみる。乙骨が勝った。

「ミズキ、今からでも乙骨にシフトチェンジするなら応援するよ」

硝子が言った途端に夏油の顔が歪んだ。この話題において夏油の導火線は極端に短い。

「硝子、怒るよ」
「この期に及んで進展しないお前よりマシだろ。乙骨はミズキを大切にしそうだし」
「私の方が大切にするに決まってるだろ!もうミズキに関して何もしくじりたくないんだよ」

この話の流れになると居心地が悪いのはミズキで、彼女は夏油の袖をついついと引いてひとまず落ち着かせた。
硝子はミズキが夏油からの告白を内心待っているのを知っていて、時々こんな風に彼をけしかけるのだ。勿論親友の幸せを願っての行いなのだけれど、少々面白がっていることは否めない。

その時医務室の扉が開いて、顔を出したのは冥冥だった。彼女に懐いているミズキは目を輝かせた。

「冥さん、高専に来るの珍しいですね。えっと…3週間ぶり?」
「それぐらいになるかな」

冥冥はゆったりと笑んでミズキのところまでやってきた。指先を紫色に彩られた手がミズキの髪を一房掬い、艶を確かめるように撫でた。

「ミズキの好きそうなスイーツビュッフェを見付けてね、誘いに来たんだよ。次の週末は空いているかな」

冥冥の白い手の下でミズキはキョトンと目を瞬かせた。夏油は最早冥冥に何かを依頼する必要などないだろうに。

「冥さん、夏油さんのこと私もう知ってます」
「ん?あぁ、そのことなら私も噂に聞いているよ」
「んん?」

どうにも話が噛み合わずにミズキが夏油の顔を見ると、彼も同様に困惑しているようだった。となれば、今回の冥冥の誘いは夏油の依頼によるものではないらしい。
冥冥が「あぁ」と得心がいったという声を上げた。

「前回のデートは確かに夏油君の依頼があったけれど、今回はプライベートだよ」
「あ、そうなんですね」
「あとは2ヶ月前の温泉旅行とそれ以前のデートも全てね」
「え…ぅあ、め、めいさん?」
「精一杯口説いてきたつもりだったけど、足りなかったようだね」

動揺のあまり夏油が立ち上がった拍子にパイプ椅子が後ろに倒れてけたたましい音を立てた。
冥冥はミズキの髪から手を離さないまま、夏油に向けてニィッとその艶やかな唇で弧を描いた。彼女の顔の前に垂れた大きな三つ編み髪の端から、吊り上がった口端だけが見えた。

「夏油君、私の写真コレクションを見せてあげても構わないよ。実際にその可愛らしい様を目にしたのが私だけという事実は変わらないからね」

冥冥の至極愉快そうな声とは対照的に夏油は奥歯を噛み砕かんばかりである。
一連の会話を傍で眺めていた硝子はミズキに同情した。夏油、乙骨、冥冥とは何とも面子が濃い。
ミズキが冥冥の手の下で真っ赤になっているところへ、ポケットからメッセージ受信の音が上がった。取り出してみるといつものように乙骨からで、この後の任務同行について。
夏油は冥冥に集中させていた感情を一部取られて、頭痛に苦しむような顔で額を押さえた。

「ちょっと待ってくれ…このパターン多すぎないか?どうして君の任務に毎回乙骨が添えられる…何故私じゃないんだ」
「五条が面白いからわざとやってるって言ってたぞ」

硝子の暴露があった直後、夏油の怒号が高専内を劈いたのだった。
この流れで夏油がきちんと乙骨に謝罪できたのかどうかは、定かでない。

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