赤い糸と嘘@


※not離反高専教師if27歳


同期といえど東京校と京都校では年に一度の交流戦くらいしか接点はなく、ミズキが夏油傑という男を苦手にするようになったのは呪術高専を卒業してからのことだった。
プロの術師になるにあたって彼女が所属先に東京校を選んだのは、ただでさえ閉鎖的な呪術界、その中でも殊更に閉鎖的で血統至上主義の京都という土地柄に嫌気が差していたことと、学生時代に交流戦で仲良くなった家入硝子の存在が大きい。

硝子の同期というと呪術界では知らない者はいない、有名な代である。「特級・特級・反転術式ってカジノだったら金貨ドバドバ出るよね」とミズキが言った時、傍にいた中で冥冥が一番大きな声で笑った。見事な呵呵大笑だった。

ミズキは任務を1件終えて高専に戻り、報告書を書いて次の任務の資料を受け取って…と算段しながら、医務室をノックした。が、

「硝子ちゃんPC貸し、て……」
「ミズキおかえり」
「あ…ウン、ただいま…」

ミズキの声は尻すぼみになってしまった。
いつものデスクチェアに硝子がいて、事前に補助監督の車中から『今から戻るね』と知らせていたからコーヒーを淹れてくれていた。いつも通りの光景である。それに加えて今日は、黒髪黒目黒服の大男が、パイプ椅子に座って先にコーヒーを飲んでいた。

「あー、えっと、来客中。改めま、」
「座りなよ、硝子がコーヒーを用意してる」
「あっハイ…」

元気に開けた引き戸をそろそろと戻しながら、ミズキはなるべく息を殺して入室した。
夏油傑がいる。
『硝子ちゃん事前に教えてよぉ』とミズキは心内で半泣きになって、硝子が用意してくれていたノートPCの前に、パイプ椅子の軋みさえ起こさないようにそっと、腰を下ろした。
斜向かいに座る夏油は仏頂面である。

ミズキが報告書の作成に硝子のPCを借りるのはいつものことで、その間のコーヒーと雑談がリフレッシュの役割を担っているのだ。ただ、肌の部分以外は黒色ばかりの大男がムスッとした顔で向かい側に陣取っていては、気安い雑談など出来るはずもなかった。ミズキはスリープモードだったPCを起こして極めて事務的に、黙々と報告書を書き始めた。
空調の音が耳につくほど静かな部屋に、硝子が書類をめくる音、ミズキがタイプする音が響く。夏油は無言かつ無音のまま、ミズキの向かい側から彼女のことを監視して(少なくとも、ミズキからはそのように思われた)いる。

「…で、きた!硝子ちゃんありがとうコーヒーご馳走さまカップ片付けます!」

開始5分、耐えきれなくなったミズキが席を立った。勿論報告書は出来上がってなどいない。
彼女はぐっとコーヒーをあおるとマグカップを部屋の隅の給湯スペースに運んで手早く洗った。
その後ろ姿に、硝子が「ミズキ」と呼び掛けた。

「頭のソレ、新しいね」

ソレ、とは髪留めのことを言っている。
ミズキの艶やかな黒髪が後頭部に結い上げられ、それを水引のような赤い糸が繊細に編み込まれた美しい髪留めが支え彩っていた。彼女が仕事着にしている黒服の襟元にある赤い刺繍と、よく合っている。
ミズキが半分振り向いて頬を緩めた。

「昨日ね、冥さんからもらったの」
「パンケーキ誘われたんだっけ」
「そう。すごく美味しかったよ、今度行こ」

硝子はミズキに笑い返してやってから、ちらと夏油の背中に目をやった。彼は相変わらず無言である。
ミズキがハンカチで手を拭いてそそくさと医務室を出ると、硝子はフー…と長く息を吐いた。

「…で、いくら払ったんだ?」

色々省略されているこの文章を補完するとすれば、冥冥に依頼してミズキをパンケーキ屋に連れ出し事前に言付けた髪留めを渡させるために夏油がいくら支払ったのか、ということになる。夏油にとっては図星、3万だと彼は言った。

「髪留め自体は?」
「2万と少し」
「写真は?」
「全買取1.5万」
「トータル」
「飲食代含めて7万ぐらいかな」
「最後に確認なんだけど、お前馬鹿なのか?」
「否めないね」

夏油はミズキに惚れている。遡れば長く、高専3年生の交流戦で東京校を訪れたミズキを見た時からだというのだから硝子が呆れるのも無理からぬ話である。女誑しの異名はどうした、と彼女は夏油に過去2回聞いたことがある。

「迂遠な方法に大枚叩くよりミズキを7万の食事に誘え」
「尤もだけど、現状誘ったって怖がられるだけじゃないか。確実に付き合いたいんだよ、むしろいい歳だし結婚したい」
「重っ」

硝子は下瞼をピクピクと痙攣させた。
彼女にしてみれば夏油とは長い付き合いだし、積極的に気持ち悪がりたいわけではない。しかしどうにも拗れ過ぎていて堪えようもなく気持ち悪いのであった。

「いいか、まず敵意がないのを伝えろ。お前がいるのを警戒してミズキが医務室に来なくなったら縁切るからな。あと股のモノも切る」
「勘弁してくれ…」

夏油が血の気の引いた顔でいそいそと椅子を立った。そして医務室を出ていくのを見送って、硝子はまた溜息を吐く。
180p超えのいかつい男が無言で凝視してきたら誰だって警戒する。実情は恋をしているのに何を言えばいいのか分からない結果としての無言であっても。せめて夏油が灰原のように人懐っこい、あるいは伊地知のように威圧感のない容姿であったなら、事態は薄皮一枚分程度はマシであったろうに。本命以外の多くの女性からは好評を得ている夏油の容姿について、硝子は少々同情した。


ミズキは硝子のところで過ごす予定だった時間を大量に余らせて、とりあえず校舎を出て敷地内を駆けていた。経験上こんな時、何故か夏油は後から追い付いてきて『私もこっちに用事があるんだ』と言うのである。ミズキは特級術師相手に『じゃあ時間ずらしてくださいよ』とも言えず、何度か連れ立って(無言で)歩いたことがある。
彼女は林に踏み入って、一際丈の高い大樹にひょいひょいと登っていった。茂った葉に隠れて幹に背を預け、時計代わりにスマホを見る。次の任務まで1時間と少々。

「や。また傑から逃げてきたの?」

ミズキはあわや絶叫するところだった口をどうにか押さえた。その拍子に彼女の手から落下していくスマホが、その男の翳した手に吸い寄せられてヨーヨーか何かのように無事に戻ってきた。
ミズキのスマホを回収した男は、彼女の目の前で空中に立っている。

「しっかり持ってね、この高さアウトでしょ」
「ありがとう、ございます…?」

いやそもそも貴方が驚かさなければ、という正論をミズキは呑んだ。同期とはいえ特級術師は上司のようなものである。
五条がミズキの腰掛ける枝に並んで座った。

「今日はどーしたの、傑に噛み付かれた?」
「夏油術師を野良犬か何かだと思ってます?ただいつも通り無言で嫌いアピールされただけですよ」
「ははウケる」

ウケませんて。とミズキは心の中で呟いた。
補助監督や事務員の女性陣は概ね夏油に好意的で、中には本気の片思いも混じっていると聞く。彼女らは口を揃えて夏油のことを『スマートで柔和で素敵』と評するのだけれど、ミズキの認識とはどうも一致しない。ミズキの前で夏油が柔和な笑顔だったことなど一度もないのだから。
ミズキはその旨を五条に説明し、五条はその間組んだ脚(やたら長い)に頬杖をついて本心の読めない顔で聞いていた。

「最初は私だって悩んだんですよ。夏油術師は他の人には優しいし、私がよっぽど何かやらかしたんじゃないかって。でも心当たりがないですもん。それに、夏油術師にだって馬の合わない相手を嫌う権利くらいあるでしょ」
「権利ねぇ…」

五条は頬杖の指でこつこつと頬骨の辺りをノックした。どことなく不満を持っているという感じの打ち方だと、ミズキには思われた。
すると、怠そうに下唇を突き出していた表情をふと楽しげに変えて、五条がミズキをピシッと指差した。

「ぶっちゃけさ、ミズキって傑のこと男としてアリ?」
「急にDKみたいなこと言い出した…」
「ねーねーどうなの勿論傑が他の奴等にする良い子ちゃんの態度だったとしてさぁ、いける?無理?」

思春期男子のように好奇心に目を輝かせて(サングラス越しにも輝いて見える)、五条はミズキに回答を迫った。これは明らかに、無難な回答で逃げを打つとめちゃくちゃ追撃に遭うという罠である。
ミズキは痛む頭を傾けて、精一杯想像するだけしてみた。

「…五条さんは美形で、夏油術師はまぁ、色男って感じですよね。顔はタイプですよ」
「ふぅんそっかーそっかー」
「うわぁ絶対後で『アイツ傑に気があるってさ』『ハァ?図に乗るなよ猿め』みたいな会話するやつ…」
「お前どんだけ僕のこと低く見てんの?」

五条はニヤニヤしていたのが急に真顔になって、それからやっぱりすぐにチェシャ猫のような悪戯顔に戻っていった。
その時ミズキのポケットの中で、一度五条に救われたスマホから受信音が鳴った。取り出して通知を見た彼女は「乙骨くんだ」と一言。五条が頬杖から頬を浮かした。

「憂太?なんで?」
「今日この後任務同行します。感心な子ですよね、わざわざ『よろしくお願いします』って」
「わぁ揉め事の気配を察知」
「なんで??」

心底不思議という表情のミズキに対し、五条は器用にも枝の上で天を仰いだ。
ミズキにしてみれば首を傾げる以外に出来ることがない。乙骨は礼儀正しいし実力も充分、任務同行するのにこれ以上望ましい人がいるだろうかという相手である。というか五条は担任教師であるのに、何故生徒の任務状況を把握していないのか。
五条は椅子から立ち上がる要領でまた空中に立った。

「僕はそろそろ任務行こっかな。あ伊地知から着信入ってた」

ミズキは知らないけれども現時点で五条は8分ほど伊地知を待たせている。
五条が空中で振り返りニッと笑った。

「じゃミズキも任務気を付けてね」
「はい、五条さんもお気を付けて」
「そんなん言ってくれるのミズキだけだよ」

五条は珍しく、少し困ったような笑い方をした。

「早く伝わるといいんだけど」

『何がですか』と尋ねる前に五条は消えてしまった。



***

急にDKみたいな恋話したがる五条先生と、not離反ifなのに夏油先生と何かこう反りの合わない乙骨くん(※夏油先生夢です)
すみません里香ちゃんについては勘案しません。ふわっと読んでください。

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