親指姫B


ミズキが、彼女にはいささか大きすぎるランドセルに教科書を詰めていると、クラスメイトがやってきて「校門にいつもの白い人がきてるよ」と教えた。ミズキは礼を言って席を立ち、ランドセルの留め具をした。

小学校は学年による身長のばらつきが大きいとはいえ、ミズキの小ささはひときわ目を引く。門柱に凭れていた五条は、靴を履き替えて出てきた子供たちの中にミズキの姿を認めるとニッコリ笑って手を上げた。
彼の美しい容貌に、居合わせた女の子らの視線が集中する。

五条は自身の美しさについて半ば他人事のような自覚を持っているので、臆面もなく便利に使って事を都合良く進めた。具体的には、2日前最初にミズキを迎えに来た際堂々と職員室に赴いてわざとサングラスを外して彼女の担任教諭(女性)にカウンセラーを名乗り、「ミズキちゃんの身体の発育遅延について心因性のものではないかと彼女の祖母から相談を受けまして。ミズキちゃんの学業もありますから登下校の時間をカウンセリングに利用したいと考えているんです(ニコ)」と嘘八百を並べた。五条の美貌に教諭はコロリと騙されて来客証と自分の連絡先を渡したというわけである。

「お疲れ。今日もお勉強して偉いね」

五条の近くにまでミズキが到達すると、彼はしゃがんで小さな頭を撫でた。
彼の手の下で、ミズキは頭の中がこんがらがったような顔をした。

「悟くんっていったい何のお仕事をしてるの?」
「んー僕?どうして?」
「だって初めて会った時、とっても夜遅かった」

ある時は深夜に及び、またある時は小学生女児を送迎することの出来る職業とは何か。「自営業かな」と五条は答えた。嘘ではない。
嘘ではないけれど、表情を見るにミズキの疑問は解決しなかったらしい。

「それよりお姫様、今日は何して遊ぼうか?」

五条はしゃがんでいた姿勢から立ち上がりつつ、ミズキのランドセルをひょいと取り上げた。ミズキの背中にある時には巨大に見えていたそれが、彼の腕にかかると別物のように小さく見えた。
ミズキは首を振った。

「だめだよ、今日は悟くんお金使っちゃだめ」
「えーどうして?一昨日の美味しくなかった?昨日の洋服好みじゃない?」
「美味しかったし好みだけど、だめです」

一昨日、つまり五条が初めてミズキを迎えにいった日、彼は気軽な調子でミズキをパフェに誘った。無邪気に喜んで五条に従ったミズキだったけれども、店に着いてみるとやたら格式が高い。シャインマスカットが一房分乗っていそうなパフェが優雅に提供される頃には、彼女は冷や汗をかいていた。昨日は昨日で上手く丸め込まれて買い物に連れ出され、洋服をあれこれ買い与えられた。値札は見せてもらえなかったけれど、包装を待つ間に店員がオレンジジュースを出してくれた辺りからして絶対に安い店ではない。

「ミズキと出掛けるのが僕の楽しみなんだけどなぁ。ねぇどうしてもダメ?」
「かわいいお顔してもだめです。駄菓子屋さんだったらいいよ」
「あそこカード使えないじゃん」

カードリーダーの無い場所においては限度額のないカードも無力である。ぶぅ、と子供のように口を尖らせた五条の手をミズキが握った。

「悟くん、今日は私とお散歩して?」

五条の半分程度しか身長のないミズキに首を傾げてお願いされてしまえば、内心ではふたつ返事で了承したいところだけれど、彼は悪戯心からまだ口を噤んでいた。可愛いからもう一押しお願いされたい、が彼の本音である。

「ツバメさん、背中に乗せてくださいな」
「…ハハッ降参!いーよ」

五条は笑って、ランドセルを引っ掛けた腕にその鞄の持ち主のことも抱き上げたのだった。

ミズキがツバメの背中を所望したのは所謂比喩としてであって、まさか目の前の男が本当に宙に浮かぶことが出来るなど考えるはずもない。そのため五条は地面を離れる前にミズキに対して「ビックリしても叫んじゃダメだよ」と念押ししたのだけれど、地面が離れていくことを認識した瞬間ミズキは小さく悲鳴を上げた。
背負うには小さすぎるミズキを五条は両腕で大切に抱いて、日の暮れつつある上空に登った。金色の光が穏やかな川面に反射している。遠くで遊ぶ子供、犬を連れた人、自転車、誰も五条とミズキには気付かない。

「悟くんって…」
「うん?」
「本当は魔法使いなの…?」

ミズキの目はきらきらと輝いていた。まるで空想上の生き物を目撃したみたいに。
素直で美しい髪もなめらかな頬もぷっくりと小さな唇も、そのすべてが今五条の手の中にあって彼に向けられていた。
五条はキスがしたいと思った。ほんの一瞬触れるだけでもいいから、今この時にミズキに。
それをどうにか我慢しながら彼はミズキに笑いかけた。

「魔法ではないんだけどね、まぁ似たようなもんかな」
「いいなぁ…それ、私も使えるようになる?」
「もう使ってる」

ミズキはキョトンと首を傾げて、間近の五条を見た。彼女のまんまるな目、その茶色の虹彩に日が差して金色に見える。綺麗だなぁ、と五条は少しの間見入った。
この子がほしい。周囲に治癒の力を配り続けてきた優しい子。そのせいで本当は10歳なのに見た目はまるで幼児で、けれど話してみると大人のような気遣いをしたり、年齢相応に目をきらきらさせたりして。
確認を取ったわけではないが、ミズキのいる花屋と隣の公園は花の萎れるのが格段に遅いだろうと五条は踏んでいる。恐らくは祖母も恩恵を受けている。
優しい子。この子がほしい。この子にキスをして抱き締めて髪を撫でて、この子が周囲に配ってきた以上のものを注いでやりたい。
胸が苦しくなった。

「…悟くん、痛いの?」

唐突なミズキの指摘は五条を大いに驚かせた。彼は咄嗟に微笑んで見せ、「少し眩しくて目に沁みただけだよ」と誤魔化した。
ただ、日頃から傷や消耗というものに対して敏感なミズキを誤魔化すことは出来なかったらしい。彼女は五条の首にきゅっと抱き付いて、小さな手を彼の背中に精一杯伸ばして撫でた。

「私がいるよ。一緒にいたらきっと痛くなくなるから」
「…うん、ありがと。もう痛くないよ」
「本当に?早すぎるよ」
「本当。すごいよ、ミズキは」

五条はミズキの小さな身体を抱き締め返した。柔い髪を撫で、この優しい子が五条の苦しさを拾ってしまわないように自分の心を宥めすかした。
そうやって完全に日が沈んでしまうまで、人の営みの上空で、ふたりは抱き合っていた。

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