親指姫A


※当然のように夏油さんが離反せず高専にいます。
※気持ち悪いモブおじさんがいます。



「僕、恋しちゃった」

コミックのようにわざとらしい仕草で言った五条に対し、『だから何だ』が夏油の偽らざる本心だった。15歳の少年の初恋ならまだしも、25歳の野郎の恋である。
夏油の迷惑そうな顔をものともせずに、五条は夏油を無理矢理ソファに座らせ、自分も向かい側に腰を下ろした。本腰入れて傾聴せよとの言外の圧が強い。
夏油は次の任務まで少々暇のある自分を恨んだ。それから少し、意外な思いで五条を眺めた。
今まで、ストイックとは違う方向で女性に(というよりも他人に)強い興味は持っていなさそうだった五条が、恋に目を輝かせている。一体どんな美女がこの男をここまでにしたものか、興味のカケラくらいは無いこともない。
五条は意中の相手を思い浮かべてうっとりと虚空を眺めている。

「純真無垢と可愛いの権化だよマジで、天使か妖精かって感じ。あの子が笑うと光って見えんの」
「へー」
「はー会いたい毎秒会いたいそしたら僕頑張れる。いっそ高専で雇っちゃえばって結構本気で考えてんだけどさ、義務教育って一応終えないとまずいよねぇ」
「ちょっと待て今何て?」
「高専で雇いたいって話?」
「その後だよ馬鹿まさか中学生に手を、」
「あ小学生ね」
「嘘だろ」

夏油は絶望した。そして親友に自首を勧めた。





五条は深夜に絆創膏を受け取った後、高専の私室に帰り着いても結局眠れないまま朝を迎えた。ベッドに入ってみたものの、暗い部屋の天井に瞼の裏にミズキの顔がちらついて眠気などまるで訪れなかった。ただ無性に顔を見たくて、彼女から貰った絆創膏を目の前に掲げて見ていた。
そうしている内にカーテンの隙間から光が差すようになって朝を知る。それでも寝不足による不調は感じなかった。

五条はベッドを出るとカーテンを開け、人を訪ねるのに非常識でない時間がくるまでの暇つぶしとして、ゆっくりと身支度をしたのだった。



「はい、これどうぞ」

五条が持ち手のついた紙箱を差し出すと、ミズキは本から顔を上げて目を丸くした。

「悟くんだ」
「おはよう、お姫様」

昨晩(というよりも日付を超えたばかりの今日)五条がミズキと会った公園は、麗かな陽を浴びてふっくらとした花の香を漂わせていた。五条はその公園を横目に通り過ぎ、彼女の住処であるはずの花屋に足を踏み入れたのである。
ミズキは店の奥で、木製のアンティークチェアに座って本を読んでいた。大人用のその椅子に座っていると彼女の小ささが際立ち、小人か人形のように五条には見えた。

紙箱を差し出されたミズキは五条とそれを交互に見比べて、五条は箱の位置はそのままにしゃがんで彼女を見上げた。

「苺は好き?」

箱の中身は苺のタルトである。ミズキはこっくりと頷いて、それから柔らかに笑った。

「悟くんはツバメさんみたいね」
「ツバメ?」
「白と、黒と、赤」
「成程」

髪の白と服の黒、紙箱の赤である。

「ミズキならいつでも背中に乗せてあげるよ」

ミズキは紙箱を受け取りながら「やったぁ」と喜んだ。

「ミズキちゃん、お友達かね」

店の奥から出てきた老婆が痩せた手を椅子の背に置いた。五条に一瞬訝る目が向いたことは、彼にとって想定の内である。五条はニコ、と対外用の笑顔を作った。

「昨日この子に絆創膏をもらってとても助かったので、お礼に伺いました」

老婆は「そうでしたか」と返しつつ、孫娘に真偽を確かめる視線を送った。ミズキは頷いて「私のお友達」と言った。
それで一応納得したらしい老婆は奥の部屋で五条をもてなすように孫娘に伝え、彼はぴょこぴょこと跳ねるようなミズキに従って居住スペースに入ることを許されたのだった。

ミズキは彼女のために設置されている踏台に登って、実にテキパキとお茶の支度をした。五条は手伝いを申し出たものの、客人は座して待つべしとのミズキの指示に大人しく従ってダイニングチェアに腰掛けた。ミズキが先程本を読んでいたのと同じ椅子なのだけれど、五条にはいささか小さかった。
ミズキが小さいことは言わずもがな、先程の老婆もとても小柄で、キッチンも全体的に造りが小さい。どことなく、木のうろに住む野ねずみのような雰囲気がある。
五条は小さく可愛らしいダイニングキッチンに軽く視線を巡らせた。マグカップが2つ、椅子が2脚、木のスプーンが2本。何もかもが2つずつのキッチンで、ミズキは来客用と思しきティーカップを棚から取り出した。
いくらもしない内に鮮やかな赤の紅茶と五条の持参した苺タルトがテーブルに並び、ミズキは座面を高くするクッションのある椅子によじ登った。

差し出されたシュガーポットの中から角砂糖を5つ、五条はティーカップに落とした。ミズキは入れない。
ひとつひとつに大粒の苺が乗ったタルトは、ミズキの前に置かれるとさらに大きく見える。

「ねぇミズキ、質問してもいいかな」
「うん?」

食べながら五条が声を掛けると、ミズキは苺の甘みに緩んでいた目をぱっちりと丸くして彼に向けた。

「昨日…ってか今日だね。かなり遅い時間だったけど、どうして僕に気付いてくれたのかな?寝られないでいたの?」

ミズキは「違うよ」と言って小さく首を振った。

「僕、うるさくしちゃった?」
「それも違う」
「誤解しないでほしいんだけど、夜更かしを注意したいんじゃないよ」
「うん、分かる」

返事をするばかりで回答を避けているミズキに対して、五条は優しく首を傾げて促した。彼女はほんの一瞬店舗にいる老婆のことを気にする素振りを見せた後、おもむろに口を開いた。

「…『痛い』って思ってる人が近くにくると、分かるから」
「そういう人を見付けて絆創膏をあげてきたのかぁ。いつから?」
「ずっと前から」
「それで、僕のことも助けに来てくれたんだね」

ミズキがこくんと頷くと、五条は優しくまなじりを下げてテーブル越しに彼女の頭を撫でた。

「ありがとう。おかげですっかり痛くないよ」

五条がこれを言うと、ミズキは出会ってから一番嬉しそうに笑った。丸い頬に歓喜から赤みが差し、ふうわりとして、ガラス玉のような目が輝いて見えた。小さな唇は姫林檎の輪郭みたいに深く弧を描いた。

その時、店舗の方で老婆が鋭い声を上げた。途端にミズキは小動物のように身を竦ませて椅子から降りてしまう。間もなく店舗と部屋を区切る戸が開かれて、中年にいくらか歳を足したような男が顔を出した。贅肉が多く、男が笑ってミズキに挨拶すると目が肉に埋もれた。

「…茂倉さん、こんにちは」
「はい、こんにちは。ちゃんとご挨拶できてミズキちゃんは偉いねぇ」

人懐っこさを装った笑顔から漏れ出る粘着質な声に、五条は不快を覚えた。男の方も五条の存在を警戒していることが隠し切れないでいる。
わずかな三和土のスペースで五条の大きな靴とミズキのおもちゃのようなそれの間に男は靴を脱ごうとして、両足の踵をもぞもぞと擦り合わせた。

「ミズキちゃん、おじさんまた怪我をしちゃったんだよ。いつもの絆創膏をもらえるかな」

ミズキが肩を縮ませてポケットを手探りするのを、五条は小さな頭を撫でて背後に匿ってやった。

「アンタ怪我をしてるようには見えないけど?それに怪我したってこんな小さな女の子に絆創膏せびるってダサいね。通りの向こうの薬局で買えよ」

五条の言葉と視線に男は苦虫を噛み潰したような顔をした。
五条はゆっくりと足を進め、元々の身長差に加え床の段差のおかげでほとんど彼の腹の高さにある男の頭に、屈み込んでミズキには聞こえない音量で言った。

「何枚飲んだ?腹下すよ」

五条が嗤うと男は顔を真っ赤にしてわなわなと震え、靴を脱ぐのを諦めて乱暴に出ていった。

男の気配が遠のくと五条はミズキを振り返って優しく笑いかけてやり、彼女はやっと身体の強張りを解いたのだった。





「っていうわけなんだけどさ」
「とりあえず『必要十分に説明しました』みたいな顔やめな」

夏油は呆れを隠しもせず溜息を吐いた。
事情を説明されたところで自首を勧めるべき事案であることには変わりないし、五条は恐らく説明というよりも恋バナと思っていて情状酌量の余地も無い。
夏油はいつもの癖で、親指を額に立てて軽く掻いた。

「…その中年男がクソ変態ってとこには反論しないよ。でも君が首を突っ込むことじゃないだろう。警察とか児相に任せな」
「コレ。見て」

五条が差し出した手には可愛らしい水色の絆創膏があって、描かれた黒猫と目が合ったような気分が夏油はした。彼はふと覚えた違和感に身を乗り出す。

「…何か術式が付与されてるね。その子が?」
「そ。何の術式だと思う」
「知らないよ」
「反転術式」

夏油は思わずその切長の目を丸く見開いた。「ビックリだよなぁ」と言う五条はどこか満足げである。

「大したもんだよ、物質に反転術式を嘱託するなんて我らが硝子でも出来ない…つーか見たことない。生得術式として無意識にやってるっぽいんだよね。ついでに自宅兼店舗と隣の公園まで術式効果範囲に囲ってる。かなり弱いけど24時間絶え間なく」
「…末恐ろしいね」
「相当負荷が高いよ。身体が年齢不相応に小さいのは多分そのせい。術式開花の4・5歳からほとんど伸びてないんじゃない」
「………その子、身長はどれぐらい?」
「僕の親指ぐらいしかない」

さすがに親指は嘘としても、つまり見た目的にはサングラスに黒ずくめの成人男性と4・5歳の幼女である。夏油はますます頭を痛めた。

「ま、真面目な話少なくとも保護はしたいよね。下心前提で」
「前提するな。今からでも聖人君子になれ」

五条の言う通り保護が必要なことは確かだけれど、いかんせん絵面がどう見ても誘拐であるし、そもそも本人が下心を公言している。
その時、五条が壁の時計を見て「あっ」と嬉しげに声を上げた。

「ミズキを学校まで迎えに行く時間だ。じゃーねー傑」

引き留める隙もなかった。
颯爽と五条が去ってしまった部屋に1人残った夏油はコメカミを強く押してどうにか頭痛をやり過ごそうとした。彼とて10代の頃に虐待を受けていた双子の女の子を保護したことのある立場だけれど、誓って下心は微塵も無かった。
とりあえず『その女の子がまともな判断の出来る歳になるまで手は出すな』ぐらいしか、言えることは無いようである。



***

モブおじさんは茂倉(モグラ)さんです。
親指姫なので。

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