親指姫@
※童話『親指姫』モチーフの話です
※五条(25)と幼女(10)
五条は夜の中を歩いていた。
踵を地面に打ち付けて強引に体重を前へ引っ張っていくような歩き方で、足音は苛立ちを散らしている。
夕方になって任務へ出ようという時に上層部から突然呼び出され、特に理由のない小言を1時間聞かされた。腐った気分でようやく任務に出てみれば、散々顕現を待った挙句に空振り。しかも、補助監督が一度現場を離れていたせいで深夜もいいところなこの時間にピックアップ待ち、30分かかるという。厄日であった。
五条は手近にあった公園に踏み入った。
ただの空き地に色褪せた遊具という具合のものではなくて、美しく手入れされた花壇と優しい小川、優美な東家やベンチの配された公園だった。湿り気のある夜風にも、柔らかな植物の香りが含まれていた。
ベンチに腰を下ろし、五条はだらりと凭れて天を仰いだ。肺にある空気を全て出すような溜息を吐いて目隠しを首に下ろし、目を閉じて、しばらく眠るように脱力していた。
「お兄さん、怪我をしてるの?」
ギョッとして飛び起きた。五条はまさか自分が話しかけられるまで人の気配に気付かないとは思わなかった。
ベンチのすぐそばに、女の子が立っていた。歳の頃は5・6歳かそこら、裾や襟ぐりをフリルに縁取られた白いパジャマを着ている。
五条は咄嗟に、公園の中に立つ柱時計を確認した。午前1時08分、時間帯と登場人物が合っていない。彼はとりあえず人好きのする笑顔を整えた。
「ううん、お兄さんさっきまでお仕事だったから、休憩してただけだよ」
「大変なのね」
「まぁね。君は、この近くの子?」
「うん。隣のお花屋さんに住んでるの。窓からお兄さんが見えたから」
「起こしちゃったかな、ごめんね」
女の子は首を振った。それから五条の隣にちょこんと座った。
帰らないんだ?と五条は内心で驚いた。深夜の公園に男ひとり、黒ずくめ、怪しさは自覚するところである。
「…君、お名前は?僕は悟。25歳だよ」
「ミズキ、10歳よ」
これについても五条は驚いた。幼稚園の最後の頃か、精々小学校に通い始めた辺りという印象だったから。
「小さいねってよく言われる。あまり身長が伸びないの」
「その内伸びる時がくるよ」
「そうね、悟くんくらいに」
「それはちょっと難しいかもね」
五条はハハと笑った。
「ところで、ミズキはどこからこの公園に入ったのかな?僕、人の気配にはよく気付く方なんだけど話し掛けられるまで分からなかった」
ミズキは得意そうににんまりとした。
「秘密の入り口があるの。木と花に隠れてるけど柵の隙間があってね、お庭からすぐに入れるよ」
「なるほど、ここは君の庭ってわけだ」
「だけど今より背が伸びたら通れなくなっちゃう。だから私、このまま背が伸びなくてもいいなって思ってるの」
五条はミズキの向こう側、花屋と思しき建物の方へ視線を滑らせた。木と花の茂っている辺りのどこかに彼女だけの特別な道があるのだろう。そして小さな小さなミズキが今の背丈でギリギリだというのだから、他の人間がその道を見付けたところで通ることは出来ないだろうとも思った。
月明かりに照らされたミズキの横顔を、五条はつぶさに見つめた。丸い額から小ぢんまりとした鼻梁のライン、長い睫毛、ふっくらとした白い頬、小さな唇、顎のラインが丸い。
見た目は丸きり幼女で、母親の脚に抱き付いて離れない年頃に見える。ところが実年齢からいえば小学校の半ば、マセた子なら恋だってするような頃である。更に、五条は話をしていて同年代を相手にしているような気安さを覚えた。見た目の年齢と実年齢と内面の年齢、そのどれもが、合っていない。
「悟くん、これをあげる」
ミズキが小さな何かを差し出すので、五条は彼女の手元を見て目を瞬かせた。絆創膏だった。青白い月明かりの下では色がわからないけれど、丸っこくていかにも無害な黒猫の顔が描いてある、子ども用の可愛らしい絆創膏。
五条は何となくそれを受け取って眺めた。黒い猫の輪郭の中にただの白い点で描かれた猫の目が彼を見つめ返している。
「五条さん、お待たせしてすみません」
おどおどした声で伊地知に呼びかけられて、五条はハッと意識を戻した。ベンチに座る自分の目の前に、体を縮ませて八つ当たりに備えた伊地知が立っている。
隣にミズキの姿はもう無かった。
五条はミズキから貰った絆創膏をもう一度確かめた。絆創膏の猫はちゃんと五条の手から変わらず彼を見ていた。
「…伊地知、お前何か見た?」
「はい…?蠅頭でもいましたか?」
「いや…逃げられちゃった」
「えっ五条さんが、ですか」
伊地知の誤解を五条は放置することにして、とにかく笑った。この庭に蠅頭は似合わない。
ミズキはきっと彼女だけの特別な道を通って、安全な住処に帰ったのだろう。出会えたしるしに、絆創膏を残してくれた。
「さて、帰るよ。さっさとする」
「はっはいっ」
公園から出ていく五条の足音からは苛立ちが消えていた。
五条はふと振り返って花屋の2階の窓を見た。公園に面した窓は2つあって、あのどちらかがミズキの部屋なのだろう。カーテンの隙間から覗いていやしないかと期待したけれど、カーテンは海底の貝のように沈黙していた。
「おやすみ」と呟いて彼は絆創膏をポケットに仕舞った。
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ネタポストより『親指姫パロ』です。