チョコレイトリリイB


雨粒が当たる度に小さく火が消えて、すぐに新しい火がその穴を覆い、その度に自分の中にある有限の燃料みたいなものが消費されていく感覚がする。ミズキはこの感覚を知っている。クロユリの下で雨宿りをしていて五条と出会うまでは、雨に当たる度にこうだった。
寒くて、寂しくて、お腹が減って、不安になる。
五条と契約してからは常に彼の呪力が供給されて、寒さも寂しさも空腹も不安も感じたことがなかった。守られていた。
しかしその弊害か、あるいは当然の報いとミズキは思うのだけれど、五条から与えられる力に頼る度、彼女自身の燃料が五条の呪力に置き換わって目減りしているのだ。既にミズキは長い契約期間の間に、五条に養われなければ存在を保てないほどに消耗していた。
契約を交わした当初ならば、ミズキが範囲外に出た時点で城は構造を保てなくなって崩壊してしまったはずだ。城ですら既に、五条だけで保全されている。
五条に心臓を還さくてはいけない。
還した結果自分は恐らく消滅することになるだろうけれど。
ミズキは出来るだけ雨に当たらないように更に身体を小さく丸めた。黒い花の小さな葉の下は雨宿りに最適な場所とは言い難いけれど、彼女はそれ以上動くことが出来なくなってしまった。

「さとる」

雨が止んだ。
それから、「なぁに」と返事が降ってきた。ミズキが見上げると五条が手を翳して雨を遮っていた。

「寒いでしょ、おいで」
「悟…ごめんね」
「僕が謝りに来たんだよ。だからまずは雨の当たらないとこ行こう」

五条は先程までミズキの入っていたランタンを開いて彼女に向けた。それで手近な大樹の下まで彼女を連れて行くと、ふぅー…と優しく息を吹き掛けて呪力を補い、人型に戻ったミズキは空中に腰掛けるようにして、五条の隣に浮かんだ。

「…私、先にいい?いつまで話せるか分からないから」

補われたとはいえ穴の空いた器である。
五条が頷いた。

「今までありがとう、本当に。悟も恵くんも家族みたいに接してくれたから、15年…になるんだっけ、全然寂しくなかった。
悟なら分かってると思うけど、私の力はもうほとんど残ってなくて…今だって悟のおかげで辛うじて形を保ってる。
恵くんにもありがとうって伝えてね。喧嘩しちゃだめだよ」

言えて良かった…とミズキは安堵に笑んだ。いよいよ自分の力は尽きる寸前で、五条に還すまで心臓を守れて良かったとも思った。
ところが五条の表情は固い。否、固いというよりもありありと不服そうである。「それだけ?」と彼は言った。

「…ふざけんな、勝手に終わらせるなんて許すわけないだろ。キスしたのも無かったことになってんの?」

ミズキは気まずさから目を伏せた。

「何でキスしたって、聞いて」

それは要求するものだろうか…?とミズキは釈然としなかったけれど、彼の求めに応じて素直に疑問文を口にした。どうしてキスしたの、と。

「好きだから。ずっと、どうしてもミズキにキスしたかった」
「ずっとって…いつから?」
「城に住み始めた頃にはもう」
「…長いね」
「長いよ。我ながらね」

五条は不機嫌な表情を崩さず、すべての語尾に『何か悪いか』と付け加えんばかりの態度である。
愛を告白されているはずのミズキが対応に困っていると、彼は苛立った様子で前髪をくしゃりと乱した。

「…違う、謝りに来たんだよ僕は。謝って、告白して、ミズキを連れて帰るつもりだったのに最初っから間違ってる」
「ご、ごめんね…?」
「だから違う、謝るのは僕なんだよ。ミズキの力が目減りしてるのはそうなるように僕が呪ったから。心臓を預けて縛って僕に依存するように仕向けた。あと少しだって浮かれてた、ミズキが僕のものになるって、やっと好きだって言えるって」

ミズキが呆気に取られて隣の五条を見ると、彼は自分の足元を見ていた。彼の横顔の、火傷の痕もない唇をミズキは見た。思えば五条は習慣のようにミズキに「おやすみのキスしようか」と言って、その度ミズキは「馬鹿じゃないの」とあしらってきた。

「…おやすみのキス、毎回本気だったってこと?」
「………そーだよ。笑えば」

五条は拗ねたように吐き捨てた。

15年間に渡る五条の執着について、ミズキは驚きはしたものの嫌悪も怒りもなかった。五条や恵のおかげでずっと、寒さも寂しさも空腹も不安もなかったのだ。

「ねぇ悟、本当に自分の力が尽きちゃったら私どうなるの?その前に心臓は還した方がいい?」
「…淡々としてんね。拗ねてる僕が馬鹿みたいじゃん」
「だって怒るようなことも無いし。他に選択肢があってもこうしてたと思う」

ミズキが笑うと、五条はその大きな身体を丸めてしゃがみ込んでガシガシと髪を掻き乱した。それから勢いが萎びたようになって、頭を抱えるように俯いてしまった。

「…ごめん」
「うん」
「ごめん」
「いいよ」
「ごめんなさい」

五条は自分の足元へ声を落とすようにか細く詫びて、ミズキは彼の背中を撫でてやりたくても出来ず、もどかしい思いがした。

「…消えないよ、ミズキは。ただ悪魔じゃなくなる」
「人間になるの?」
「厳密には違う。けど身体は炎じゃなくなるし、僕と同じ速さで老いるよ。力が尽きた後僕に心臓を還したらそれが完成する」
「それが悟の望み?」
「うん。でも悪魔じゃなくなったミズキが僕から離れていくなら絶対に心臓は受け取らないから」

ようやく顔を上げたと思えば言う内容がこの期に及んで脅迫である。ミズキは声を上げて笑った。それから「馬鹿じゃないの」といつも通りに言った。

「そんなことしなくっても、ただ『好きだから傍にいて』って言ってくれたら喜んで隣にいたのよ、ずっと」
「………マジか」
「変なところで自信がないんだから」

五条はしばらく目を丸くしてまじまじとミズキを見ていて、やおら力が抜けたように尻餅をついて笑い声を上げた。




恵は五条の向かった方向をずっと睨むように凝視していた。「ミズキさんに謝って連れて帰るまで中に入れると思うな」と師匠の腹を殴ってから、かれこれ1時間ほどになる。
その時、雨の向こうに五条の白い髪がちらと見え、恵は立ち上がった。五条の傍に火影が無く、恵は舌を打った。すぐに戸口まで近付いた五条の顔が呑気そうなのも恵の気に障った。

「何のこのこ帰って来てんだ、ミズキさんはどうしたこの馬鹿師匠」
「いきなり殺意高いねぇ」

さらに言い返そうとした恵は口を噤んだ。五条が何かを大切に抱えている。五条のいつもの黒い上着にくるまって、裾から白い裸足が覗いている。五条がそっと床に下ろしてやるとその裸足は上着から伸びて不慣れな様子で立った。上着の襟に埋もれるようになっていた顔があらわになって恵を見た。「…ミズキさん?」と恵が探るように言うと、彼女はおずおずと頷いた。

「…恵くん、ただいま」

現れた彼女は髪も肌も服も炎の色をしていなかった。髪と目は赤銅色、肌は白く、大きすぎる五条の上着に着られている。照れ臭そうに笑って桜色の頬がふうわりと緩んだ。
恵は彼女に抱き着いて背中で服を強く握った。

「ちょっと恵ぃ、僕のミズキだからね?僕だってまだ満足にスキンシップ取ってないのにさぁ」
「うるさい拗らせヘタレ」
「棘だらけの豪速球くるじゃん」
「ミズキさん何ともないんですか、違和感とか痛いとことか」

ミズキは恵の跳ねる黒髪をやわやわと撫でて「何もないよ」と笑った。恵は彼女の変化について何が起こったのか理解はしていなかったし尋ねたいことも多かったけれど、整理出来ない頭からは何の言葉も出てこなかった。だからただ黙ってミズキをぎゅっと強く抱き締めて離すまいとした。

「さて恵、僕ちょっと用事で出てくるからミズキのこと頼んだよ」
「…用事」
「馬鹿げた戦争終わらせてくんの」
「……はぁ?!」

恵が思わず顔を上げた。

「可愛いミズキからのお願いだからねぇ、先生頑張っちゃうよ。だぁいじょーぶ、各国トップに『即時停戦と2ヶ月以内の武力放棄に従わないと潰す』ってお話して回るだけだから」

五条はカラカラと笑って言った。日用品の話のように気楽に。戦争の終結ってそんな気軽な用事か?と恵は一瞬考えようとしてみて、やはり辞めておいた。どうせ五条はこの無茶を簡単にやってのけるのだから、考えるだけ無駄である。
五条の手が背後からミズキの顔を振り向かせてキスをした。

「行ってくるね、待ってて」
「、ぅ…うん…?」
「帰ってきたら初夜だから!」

恵からすれば憎たらしいほど晴れ晴れとした笑顔で五条は出ていった。15年間拗らせて二の足を踏み続けてきたくせに、タガが外れていきなり振り切れた。溜息を禁じ得ない。
「恵くん」とミズキが言った。

「初夜ってなに?私何だか悪魔じゃなくなったんだけど、その最初の夜って何かしないといけないのかな?」
「…とりあえずミズキさんダメ元で俺と一緒に隠れましょうか。あとアンタやっぱり悪魔には向いてなさすぎです」

恵は、彼の師匠とミズキが出会ったという15年前のことを思った。どういう経緯か詳しく知ってはいないけれど、悪魔としては純真すぎる彼女が五条と出会ってしまったのが運の尽きだ…と考えて、やっぱり悪魔らしい悪魔だったところで五条のことだから祓うか屈服させていた違いないと思い直す。
恵にとっては、優しいミズキが幸せであるかどうかだけが要点である。

「…ひとつ確認なんですけど」
「うん?」
「ミズキさんは先生のこと好きなんですか」

ミズキは目をぱちくりとさせて恵を見た。それから、桜色の頬をまたふうわりとさせて幸せそうに目を細めた。

「大好きよ」

恵はどうにもむず痒いような気分になって、「…なら、まぁ」と半端に漏らして目を泳がせた。

「あ、もちろん恵くんもね」

何でもいい、彼女に何か与えたいと恵は思った。15年前の五条も同じことを思ったのかもしれない。
恵は、五条が先日の『引越し』でミズキのための部屋を作り、彼女のための衣服で部屋を満たしていることを知っていたから、とりあえずその部屋の存在を暴露してやりたくなったけれど一応我慢した。恐らくあの師匠は怒るよりも面倒な拗ね方をする。

「…明日、天気が良かったらアイスでも食べに行きましょうか」
「本当?素敵、食べてみたかったの!あとね、本が読んでみたい。水浴びもしたいな」
「いいっすね、全部やれますよ」

輝くように笑うミズキを見ていると、恵は彼女を呪った五条の気持ちが分かるような気がした。



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ネタポストより『ハウルパロ』でした。ネタ提供ありがとうございました!
クロユリは花言葉がとても素敵だったので選びました。

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