金魚姫A


五条が高専敷地内の川辺で発見したのは人間の女だった。歳の頃は容姿から20歳手前という辺り。川の流れに半分ほど身体を浸して横たわっていた。
五条が自分の上着で包んだ彼女を医務室に連れ込むと、硝子は最初目を丸くしてから軽蔑の眼差しを五条に向けた。

「失礼な勘違いすんなよ、敷地内で保護しただけ。ずぶ濡れだから着替えさせてほしい」
「高専の中でか?呪詛師の可能性は?」
「ほぼ無いと思っていい。上にはまだ、内密に」

少し含みのある五条の言い分に硝子はしばし黙って、それから「診察台に寝かせろ」と言ってバスタオルを五条に放った。

ミズキが目を覚ましてから、声を出せない彼女が筆談で明らかにしたところによると、名前以外は何ひとつ覚えていないのだという。
明らかに不審なものを呪詛師ではないと断言する五条然り、僅かに目を泳がせながら何も記憶がないというミズキ然り、硝子にとっては何ひとつ信用に足る部品が無かった。それでも五条がミズキのことを保護すると言うのだから何か考えがあるのだろうし(その考えというのがロクでもないものであったとしても)、有事の際には五条が責任を取るだけの話だと納得することにしたのだった。
それから五条がミズキの身の回りのものを買い漁りに行くというので、硝子は戸惑う様子のミズキに「五条は財布としては優秀だぞ」と言い添えて送り出した。

医務室を出る間際、五条は硝子に一瞥をくれて小声で呟いた。

「…何もないとは思うけど、気に掛けてやって」

随分見目麗しい子だったけど、まさか囲う気じゃないだろうな…と一抹の不安が硝子の頭を過った。





ミズキは必死に首を振った。勿論五条に向けて。
彼の手には値札の付いた鞄がふたつあって、ミズキが首を振る直前の質問は「どっちがいい?」だった。
値札の数字が何桁あるのか確認はしていないけれど、ブランドからして少なくとも気軽に買う鞄ではないと分かるし、そもそも高専に今し方保護された身分のミズキには鞄など使う機会もない。

「あれ、好みじゃない?それか両方いっとく?」

また首を振った。埒が明かない。ミズキはメモとペンを取り出した。

(買わないでください。使う機会もないです)

ミズキの手元を覗き込んで読むと、五条は「無欲な子だねぇ」と謎の溜息を吐きながら2つの鞄を棚に戻した。
ここに至るまでの買い物も大体同様だったために、ミズキの方はすっかり気疲れしている。

「くたびれてきちゃったかな?お腹は空いてる?」

鞄の店から出て少し、五条が次に指したのは通りに向けて美しくディスプレイされたパンケーキだった。


勿論のことパンケーキはとても美味しかった。ミズキは目を輝かせて噛み締め、五条が「美味しい?」と尋ねるのへ何度も頷いて見せた。
そういえば仮にも倒れていた身なのだから、もう少し早く休憩させてやるべきだったかも…という小さな後悔は五条の中で一瞬持ち上がってすぐに消えた。
というのも、遠慮に疲れたミズキの心をパンケーキや生クリームや果物がてきめんに癒したようだったから。

食べ終わるとミズキは五条への礼を丁寧な字でメモに綴り、化粧室を小さく指差してから席を立った。彼女の姿が見えなくなってから、五条は溜息と深呼吸を混ぜたような息を吐いた。

彼にしてみればこの一連の買い物はもてなしのつもりだったのだけれど、ミズキの態度を見るにあまり有効に働いた様子ではない。美しい服飾品や雑貨を見て目を輝かせる場面は何度もあったから、興味が無いということはなさそうだった。それでも気に入ったのかと思ってレジに置くと途端に申し訳なさそうに眉をハの字にして首を振ってしまう。

それに、と五条は考える。僕に恋してるっぽいけど媚びてくる感じ無いなぁ、と。
初対面の時からずっと、その目に恋の色があることに五条は気付いていた。ミズキは買い物をして回る間も時折ポーッと五条を見ていたけれど、目が合うと逸らしてしまうし、それ以上近付く素振りもない。
残念ながら想いに応えるわけにはいかないし、時間の問題で上層部に存在が割れればどんな処分が下るか分からない。だからせめて良い想い出でも作ってやろうーーーという意味の、もてなしだった。

ただ、目下彼女には物量作戦は通用していない。

五条はミズキがテーブルに残していったメモを見遣った。丁寧で物静かな字が並んでいる。

「あっ五条さんだぁ!」
「すごーい偶然!」

頬杖の上で考え込んでいたところを、キャンキャンと甲高い声に引き戻された。見ると、五条にとってもしかしたら見覚えがなくもない女2人が立っていた。
どうにも声のデカいこの手の女の子って顔が似たり寄ったりで覚えらんないなぁ、と内心で失礼なことを考えながら、五条は無難に「久しぶり」と返した。
食べ終わった皿や座席の空き方から五条が1人でないことは明らかだろうに、その2人はお構いなしに話し続けた。頭の痛むような甲高い声に笑顔の下でげんなりしつつ、化粧室の方を見ると出てきたミズキが一瞬見えてすぐに引っ込んでしまった。
五条はミズキのメモを回収してポケットに仕舞った。

「…まぁ2人とも座ったら?好きなの頼みなよ」
「えっいいのぉ?五条さん好きー!」

『いいの』と言いつつ座るのが早い。
五条は目配せで店員を呼び、2人が注文すると席を立った。

「それじゃごゆっくり」



店を出てすぐにミズキから裾を引かれ、振り返ると彼女は五条から返されたメモに文字を綴っていた。

(あの女の人たちはよかったんですか?)

これについて、五条は少し面食らった。
ミズキの顔を見ても嫌味や皮肉の色は見当たらず、ただ純粋にあの女性らとの関係の悪化を心配していると、五条には見受けられた。

「いいんだよ。こっちの予定もお構いなしに話し続けるタイプの子達だから逃げてきただけ」

ミズキの頷き方は曖昧で、納得は4割という様子だった。
分かんないな、と五条は思った。あの2人の『好き』は浅く薄く軽いけれど、ミズキの『好き』は掴めない。
良い想い出を作ってやろうにも物量作戦は効果なし、この様子を見ると五条の特別になりたいとも思っていないように感じられる。

五条が『どうしたもんかな』と思っていると、不意にミズキが数歩後ろで立ち止まった。

「気になる店でもあった?」

ミズキの視線は道端の案内板に注がれている。地味で、人から求められることがあまりに少なくて人を案内する気も無くしてしまったという感じがする看板だった。

「…図書館?」

こんなところにあったんだ?と思うほど、慣れた道ながら五条がその看板を目に入れるのは初めてだった。この先50m、矢印、色が褪せている。

「行きたいの?」

ミズキは少し迷ってから、こくんと頷いた。

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