あきらめそこないC


それから、表面上は今までと変わりない穏やかな日が何日か続いた。『それ』というのは、仲のいい同期3人から相次いで告白されたことを指す。
3人とも返事を求めることもなく、告白のことにすら触れず、今まで通りに優しく接してくれた。
学生の頃からそう。要領が良くてそつがない3人は自分のすべきことをさっさと済ませて、私のことを待ってくれるのだ。
『ゆっくり考えていいよ』と、言われている気がした。

そんな折、仕事中に補助監督の後輩を連れて資料室を訪れることがあった。

「…ちょっと埃っぽいすね」
「滅多に入らないからね」

術師が何年何月に1級昇格した…だとかそういう情報が稀に申請で必要なことがあって、電子化以前のことは紙をめくるしかないのだ。私が学生だった頃にはまだ手書きだったと聞く。

資料の日焼けを防ぐためにブラインドも下ろしっぱなしで、昼間だというのに資料室は薄暗い。

埃っぽい書架を探って当たりをつけてファイルを手に取った。もう何年も動いていないそれは、引き抜いただけで軽く埃が舞った。
最初のファイルは空振り、棚に戻して次を抜き取る、その拍子にカサッと紙の擦れる音がした。覗き込んでみるとファイルを抜いた空白の奥で、書類が一枚斜めに折れ曲がっている。破れないようにそっと取り出してみると、複写紙だった。正本より薄いそれは、綴じ穴のところが破れてファイルから脱落したらしかった。

ゆっくり開いて中を見た瞬間、驚きのあまり私は声を上げそうになった。書類そのものは正規のもので、あって当然のものだった。
だけどこれは、どうして、

「あっ先輩ありました!これっぽくないすか」

書類を繰っていた後輩の声にハッとして笑顔を作り、持っていた書類は咄嗟にポケットに捻じ込んで着服した。彼の開いたページは確かに目当ての書類で、必要事項を控えてからファイルを元の場所に戻す。
頭がまた、混乱している。
後輩と書庫で調べ物をするという動作をこなしながら、意識はほとんどがポケットの中に引き付けられている。
そうして一応平然として「戻ろうか」と出口に足を向けた途端、後輩の緊張した声が私を呼び止めた。

「あの俺、ずっと…前から、ソウマさんのこと、好きです。今まであんま2人になれるタイミングなくて、良ければその、俺と、」

後輩の手が私に向かって伸びてくるのを、状況に追い付けないまま眺めていた。
その時電気の弾けるような音がして彼の手がビクついて止まった。「ぅわっ、静電気?」と彼は自分の手を結び開きして見ている。違う、静電気じゃないよ。

どうしてだろう。

七海くんと話したあの夜に久しぶりに結界を張って以来、精神統一みたいなものとしてひっそりと続けてきた。結界で拒む条件は何でも良かったけど気まぐれで『私に悪意を持っていること』にした。高専の中だし悪意なんて早々ない…と、今の今まで思っていたのに。
どうして、私を好きだというこの人は、私に悪意を持っているんだろう。
恐ろしくなって彼から一歩後ずさった。

「あ、ミズキ見っけ!」

資料室のドアが開いて五条くんが顔を出した。そのまま五条くんはすいっと入ってきて私の肩を抱き寄せた。

「この後僕と一緒の任務でしょ?さっさと終わらせてスイーツブュッフェ行こ」

五条くん。
五条くんは私に触れている。それだけで崩れそうなくらいに安心した。





「あーそれはねぇ、ミズキが嫌がっても押し通してやろうって欲が閾値を超えたからだね」

私の表情が固いことに気付いて、五条くんは資料室から連れ出してくれた。
どうやら私の結界は、私が理解していない感情についてもきちんと判定してくれたらしい。

「しかしお前は相変わらず結界上手いよね。六眼でもパッと見分かんないって相当よ?」

五条くんの声は明るい。私の気分を紛らわせるために敢えてそうしてくれてるのが分かる。

高専の中、石畳を歩いていく。学生の頃から何度も通った道。入学して間もない頃は五条くんと一緒に任務に出たこともあって、同じ道を通って行った。昔の五条くんはもっとツンケンしてて、「足引っ張んなよ雑魚」とか言われたっけ。それがいつからか気を許してくれるようになって、「俺の後ろにいろよ。で、この後何食いたいか決めといて」って、言ってくれるようになった。

「五条くん」
「ん?」
「五条くんは私のこと無理矢理どうにかしようって思わないの?」

何でも出来る五条くんは、私を庇って、私に歩幅を合わせて、私の望みを聞いてばかり。見返りがほしいとは思わないのかな。

「無いね」

五条くんの声は殊更にきっぱりとしていた。立ち止まって五条くんは「はいちょっとごめんねー」と私の両脇を抱え上げ、腰高の石垣に座らせた。腰高といっても私の腰じゃなく五条くんの腰だから、ひとりなら座ろうと思わない高さ。目線が揃って、五条くんは目隠しを首に下ろした。

「ミズキ、僕の目見て」
「見てるよ、きれい」
「素直でいいね。あのね、僕にとってお前は特別なの。ミズキの許しなく事に及んだとしてそれで嫌われちゃったらさ、その先の人生どーすりゃいいのって話。分かる?僕はミズキを好きにしたいんじゃなくて好きになってほしいの」

五条くんが私の両側に手をついて下から覗き込むように顔を寄せた。

「傷付けないし、傷付けさせないよ」

ドキドキして、息をするのが苦しい。
何て返事をしたらいいのかまるで分からない。
ただ五条くんの真っ青な目を見ていた。

その時視界の端に急に影が迫り五条くんが手を翳すとそれが爆ぜた。何が起きたか分からない中ではらはらと散る残骸を見る。呪霊のようだった。

「邪魔すんなよ傑」
「ついね、君がミズキを虐めてたものだから」

呪霊の来た方から夏油くんが歩いてきて、私はそれでようやく、あの影が夏油くんの手持ちだったことが分かった。はぁ…と息を抜くと、縮み上がっていた心臓が遅れて脈打ち始めたのだった。
夏油くんはあれこれ物申している五条くんを避けて私に歩み寄って、優しく手を取った。

「ミズキ、何か嫌なことされなかったかい?もう大丈夫だからね」
「いい雰囲気だったのをお前が邪魔したんだよ」
「そう思ってるのは君だけだろ」
「あ゛?やんのか傑」
「ひとりで遊んでな」

さっきまで胸を苦しくさせるような色っぽい雰囲気だった五条くんが、夏油くんといると高専の頃みたいに荒っぽくなる。夏油くんもわざと煽って少し楽しそう。懐かしくて思わず笑った。

「お、ミズキ笑ったね」
「悟に虐められたのなら無理に笑う必要はないんだよ?」
「前髪毟るぞコラ」

今度はもう我慢出来なくて、声を上げて笑った。
そうだ、昔から私はこれが大好きだった。喧嘩しながら肩を組むような五条くんと夏油くんがいて、硝子ちゃんはそれをいつも冷めた目で見てて、でも偶に微笑ましそうにする。そして3人ともが振り返って、「早くおいでよ」と遅い私を待ってくれるのだ。
私は3人のことが大好きでこの関係を崩したくなくて、それが結局夏油くんに告白しなかった理由の一部でもある………というのは、言い訳になってしまうけど。

「五条くん、任務行こうね」
「OK、秒で終わらせてスイーツブュッフェね」
「秒で終わったら戻って事務仕事しな、悟」

本当に大好き。
身体の両側に手をついてぴょいと石垣から降りると、思ったよりも高さがあって足がジンとした。これが腰高なのだから、五条くんの脚の長さは推して知るべしだ。
「あ、ミズキ」と五条くんが声を上げた。

「さっき『僕はミズキを好きにしたいんじゃない』とか言ったと思うけど、シたくないわけじゃないからね。ミズキが求めてくれるなら今からこの場でヌカロクも辞さない」

ひぇ。何かえっちっぽいことだけ分かる。
夏油くんが五条くんの頭を強かに殴った。

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