あきらめそこないA


「信っっっじらんない夏油様、ミズキ様のこと彼氏いないままアラサーにさせるつもりなの!!」
「夏油様…まだ…?」
「うーん美々子菜々子、ちょっと後でお話しようか」

アラサー、彼氏いない、とっても刺さる。
可愛い双子の女の子たちはこの1・2年ですっかりおませさんになっていた。





失恋を決心したからといって電源を落としたようにいきなり気持ちが切り替わるとは思っていなかった。そもそも高専を卒業してからは顔を合わせる頻度が落ちたことと新生活の慌ただしさで、恋を意識する機会もあまりなかったくらい。
ただ時折思い出してはやっぱり好きだなぁ、と温かい思いに浸るような、日常的でこぢんまりとした恋だった。それが徐々に薄れていって1年後くらいには『好きだったなぁ』に変わる、そういうものだと思っていた。

それが、先日の五条くんの一件があって以来どうしても五条くんのことばかりを考えてしまって、我ながら簡単な頭だと呆れてしまう。思い出すたび、五条くんにそっと握られた指先が熱を持つような気がした。
失恋を忘れるには新しい恋をすることだなんて格言が私の中で説得力を増した。まだ五条くんに恋をしているわけじゃないけど、どうしようもなく意識を持っていかれている。

とはいえ一応大人の身分なので、仕事は毎日やってくるのだ。
この日私が送迎するのは夏油くんだった。高専から車で片道1時間と少し、事前には気まずくなったりするだろうかと心配したけれど、いざ走り始めてみると付き合いの長い夏油くんとは楽しい会話が出来た。
夏油くんは気遣いの人だ。1時間程度の道なのにSAの看板を見れば休憩するかと聞いてくれるし、後部座席でなく助手席に乗ってくれるし、そもそも毎回断るのに「私が運転するよ」から始めてくれるのだから。そんなに私の運転が信用ならないの、と揶揄ってみた時には「そうじゃないよ」と困ったように笑ってくれた。

今回の任務も等級から言えば決して易しいものじゃなかったけれど、私が帳を降ろしてから5分くらいで夏油くんは帰ってきた。それでも彼は「待たせちゃってごめんね」と言うのだ。

「全然待ってない…いや、無事に戻ってくれるのを待ってはいたけどね?5分だよ、やっぱり凄いね」
「格好付けたくてちょっと急いだかな」

格好付けるまでもなく格好良いのである。学生の頃からそう。

「夏油くんは今日もう終わりだよね?」
「あぁ終わりだよ、高専に戻って事務仕事はするけど大した量じゃない。だ、」
「それなら『立ち寄り』する?」

夏油くんが何か言いかけたのとかち合ってしまって、でも夏油くんは私に譲ってくれたまま、言い直す気は無いようだった。「お願いするよ」と私への返事だけを口にして、言いかけて潰された言葉は無かったことにしてしまった。少し、悪いことをした。

夏油くんは学生時代、呪術師の素質のある双子の女の子を保護している。美々子ちゃんと菜々子ちゃん。初めて会った時には痛々しく痩せていて、身体中痣だらけの傷だらけだった。硝子ちゃんが治療して数日間を高専で療養し、高専提携の保護施設に入ってもらったのだ。
夏油くんは2人を保護した時の任務で非術師を殴ったというので3日間謹慎した。そのことについて私は今でも納得していない。事情を聞くに、信じ難いほど醜悪な暴力が幼い双子に降り注いでいたのだ。それを救い出した夏油くんは謹慎に処されるべきではなかった、絶対に。

高専への帰路から少し逸れて、2人のいる保護施設へ車を動かした。山道をくねくねと登って駐車場に停まり、夏油くんに面会してくるように促す。

「私はここで日報書いてるから、夏油くん行ってきて」
「ミズキそれなんだけどね、」
「夏油様ミズキ様!!」
「さっき窓越しに目が合ったから今に飛んでくるよ、って言おうと思ったんだ」

成程。車を施錠して私も施設にお邪魔することに相成りました。
お手洗いをお借りして、職員さんが用意してくださったお茶とお菓子を携えて3人の待つ部屋に行くと、冒頭の会話が為されていたのだった。
(もうすぐ)アラサー、彼氏いない、ぐうの音も出ない事実である。あれだろうか、早いとこ男を紹介してやれ、みたいな。先月の私なら軽く傷付いていたよ。

「美々ちゃん菜々ちゃん、私がモテないのは夏油くんのせいじゃないよ」
「ほらぁこんなこと言ってんじゃん!!」
「まず誤解…解かなきゃ」

夏油くんは額に親指を立てて深い溜息を吐いた。


ひとしきり話している間にすっかり陽が落ちて、施設を出ると夜風が冷たかった。施設は高専と同じく山間にあるから、陽が落ちると急に冷える。
夏油くんが上着を脱いで差し出そうとするのを「車で暖房つけるよ」と断った。
こつこつと靴音がふたつ、高専の黒い車に近付いていく。私はふと長らくの疑問を口に出した。

「美々菜々ちゃんは、どうして私のことも『様』なのかなぁ」

施設に入るまでの数日間は身の回りのお世話をしたけれど、私がしたことといったらそれくらい。傷を治した硝子ちゃんのことは『ショーコ』なのに。
夏油くんの靴音が止まった。

「…私が言ったからだよ」
「え?」
「やっぱり上着、着てくれないかな」

「それで、少し聞いてほしい」と夏油くんが私の肩に上着を掛けてくれたのを、私は呆然と受け入れたのだった。いつも柔和な笑みを絶やさない夏油くんのいつになく真剣な表情に、飲まれてしまったからだと思う。
夏油くんは車を逸れて、敷地の端に並んだ木に沿って歩き始めた。私はそれに2・3歩遅れて歩く。

「私があの2人を保護した任務のことを覚えてるかい?」
「もちろん。聞いただけで吐き気がするくらい酷い件だった」
「本当は全員殺す気だった」

理解が追い付かなくて、自分が何かとんでもない聞き間違いをしてしまったに違いないと思って、思わず聞き返した。夏油くんは同じ言葉を繰り返した。

「目眩がするぐらいの怒りと軽蔑だった。あの瞬間『ここの奴等は全員殺す』って決意をしてた」

夏油くんが。この、優しい夏油くんが。

「だけど、怒りに任せて1人目を殴った時にね、ポケットの中で携帯が鳴ったんだよ。ミズキだ、って思わず手を止めた」
「…確かに電話した、けど…ポケットに入れたままで、どうして私だって分かるの?」

確かに覚えている。後から状況を知って、何て大変な時に呑気に電話しちゃったんだろうって酷く後悔したから。

「分かるよ、君だけ音を変えてたから」
「、え」
「翌日に、一緒に出掛ける約束をしてただろう?それでミズキの顔が思い浮かんだら、拳に力が入らなくなった。結局私は謹慎したしミズキには2人の世話を押し付けることになって、デートの約束は流れちゃったけど」

デート。人を殺す決意をしたという話の中で、その単語はひどく浮いているように感じた。

「後から冷静になって考えたら、私が呪詛師になればあの2人もきっと処分対象にされてただろうね。だからミズキがいなかったら私達は生きてないんだよって、あの2人に私が言った」

ひゅうっと冷たい風が吹いた。夏油くんは私に上着を貸しているせいでTシャツ1枚で、とても寒そうに見える。
「ねぇミズキ」と夏油くんが穏やかな笑顔で振り向いた。

「私が怖いかい?人を殺す決心をした私が」

怖くないよ。
そう伝えると夏油くんは疑うように首を傾げた。

「本当だよ。夏油くんは双子の女の子を助けただけで、謹慎になんてなるべきじゃなかったって今でも思ってる。私にとって夏油くんは優しい人で、それがすべてだもん」

風に晒されている夏油くんに上着を返そうと、大きな襟首を持って背伸びをした時だった。夏油くんの長い腕が私を囲って苦しいくらいに抱き締めた。「違うんだよ」と夏油くんの声が、混乱する私の耳元に落ちた。

「違う、私は優しくなんてない。下心があるから、ミズキだから優しくするだけだ。どうして君の着信だけ音を変えてたか分からないかい?君以外の音なら無視して奴等を殺してた。君なんだよ、私は君が好きだ、ずっと」

夏油くんの声は苦しそうだった。
私は動揺のあまり手に持っていた夏油くんの上着を放してしまって、それはぱさりと音を立てて彼の踵の後ろに落ちた。

『ずっと』っていうのは、いつからだろう。
どうして、

「どうして、今になって、そんなこと言うの」

諦めた後になって、五条くんに揺れてしまった後になって。

「…言えなかった。ミズキのお陰で私は呪詛師にならずに済んで、それなのにずっと努力してきたミズキが私のせいで呪術師を辞めることになったんだよ。償いこそすれ、胸を張って告白なんて出来る立場じゃなくなってしまった」
「なに、言ってるの。私が資格停止されたのは実力が足りなかったからでしょ?」
「違うよ、私のせいだ」
「何言ってるのか分かんないよ…夏油くん、ちゃんと教えて」

それから夏油くんは「言えない」と「ごめん」を、何度も繰り返した。
しばらくすると夏油くんは最後にもう一度「ごめんね」と言い残して私を放した。背後に落ちていた上着をばさばさと振るってから私に掛け直し、車に歩み寄って「高専に戻ろう」と私を後部座席に座らせた。
私が運転すると申し出たけど、今回は夏油くんが譲らなかった。

「私の運転は信用ならないかい?」

そうじゃないよ。
ただ、分からないだけだよ。

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