あきらめそこない@


ある日私は失恋することにした。
理由は、何だろうか。敢えて言うなら目に入ったカレンダーに自分の誕生日を発見したことだけど、それはキッカケであって理由ではない。25歳になる。
当然のことだけど呪術高専に入学した時には15歳だったわけだから、あの頃から10年近くが経とうとしている。つまり、私が夏油くんを好きになって9年と少しということだ。

私には呪術師としての才能が足りなかった。だから3年生の途中で術師の資格を取り消されて補助監督への転向を決めた、というより余儀なくされた。唯一の自慢といったら3人いる同級生たちで、他者に反転術式を施せる稀有な存在の硝子ちゃん、呪霊操術使いで特級術師の夏油くん、そして言わずもがな有名人の五条くん。3人とも呪術界の大切な柱で、優秀で、だけど落ちこぼれた私と仲良くしてくれる優しい人。

あぁ、夏油くんの話だった。
物腰柔らかで、親切で、だけど五条くんとセットだと歳相応にヤンチャになる夏油くん。好きになったキッカケは忘れてしまった、あるいは、無い。いつの間にか好きだった気がする。
だけど結局告白はしなかった。私は4人でいることが大好きであまりにも心地よくて、告白すれば成功失敗のどちらでもその関係を無くしてしまう。
そう思ってる内に私だけが補助監督に転向することになって、どう見ても釣り合いが取れない身分になってしまった。

もう20代も半ば。きっと数年の内に同級生の誰かが結婚するなんて話が舞い込んで、集まってお祝いにご飯でも食べたらそれでお終いだ。
既婚者になったら気軽に集まるわけにもいかないだろうし、今みたいにそれぞれの誕生日に集まったりするのだって出来なくなる。
何となくだけど、結婚の話を持ってくるのは夏油くんなんじゃないかと思っている。五条くんは家柄の絡みで結婚したがらなさそうだし、硝子ちゃんは結婚に興味がないって言ってたし。
夏油くんが可愛い奥さんを紹介してくれる時には愛想良く笑っていたいし、出来れば心からの祝福を贈りたい。

だから私は、失恋することにした。





「今月ミズキ、誕生日でしょ?僕とご飯行こ」

これを言ってくれたのは五条くんだった。補助監督として任務同行した帰り、高専に着いて五条くんと一緒に車を降りたタイミングでのことだった。

「残念だけど誕生日当日は出張入っててさ、だから先に祝わせてよ」
「忙しいのにありがとね。じゃぁいつものグルチャで日にち決めよっか」

誕生日のたびに4人で集まって食事をすることが、卒業してからもずっと続いてきた。年4回、私以外の3回を言い出すのはいつも私で、みんなよく付き合ってくれるものだと思う。
だけど今回、五条くんは首を振った。

「今回はふたりがいーの。来週の木曜いける?」

勿論のこと、特級術師より忙しい補助監督なんていない。大丈夫だと伝えると、五条くんは嬉しそうに笑った。

「じゃ、当日よろしくね。楽しみにしてる」

『よろしく』も『楽しみ』も私の方だよ。そう言って、その日はそこで終わった。
後日、五条くんからお店の名前を知らされて検索した私は、慌ててお店に相応しい洋服を買い求めることになった。五条くんセレクトは何と言うかもう、すごいとしか言えなくなっちゃうアレなのだ。

約束当日、車で迎えにきてくれた五条くんは顔を合わせるなり「可愛いね」なんて褒めてくれた。照れるしかない。

「お店の名前教えてもらって検索してから慌てて買いに行ったの。同じ名前でもうちょっとカジュアルなお店ないかなって3回探したけどだめだった」
「それは残念だったねぇ。でもま、今日は個室だし気楽に飲み食いすればいいって」

そんな居酒屋みたいに考えられるものなら、そもそもこんなに緊張しないのである。
運転席の五条くんはスーツ姿だった。これ以上ないくらいに綺麗で、似合っていて、様になっている。この人が行ったら緊張するのは案外お店の方かもしれない。


「…五条くんどうしよう、出てくるもの全部美味しすぎてちょっとどうしたらいいか分かんない」
「ハハ、噛んで飲む一択でしょウケる」

ケラケラと五条くんは笑った。本人の言った『個室だし気軽に』というのを実行している。
本当に、出てくる料理がどれもこれも美味しい。柔らかくあるべきものは噛まずとも溶けるくらいに柔らかく、味付けは素材の味を消さず、単調にならず、食べていて楽しい。一点の曇りもなく磨かれたカトラリーやグラスが当然のように楚々と並んでいる。
最後に出てきたお皿ではチョコレートソースで書かれたHappy Birthdayの美しい筆記体を崩したくなくて、慎重にケーキだけを食べた。もちろんこれも蕩けるほど美味しかった。

「字、残すんだ?」
「うん。消したくないの」

絵本に出てくるサンタクロースの手紙みたいだから、と言ったら、五条くんは目を細めて笑った。
本当に贅沢で楽しい食事だった。五条くんには感謝するばかりだ。

「次の誕生日は硝子ちゃんだね。ハードル上がっちゃったなぁ」

自分だけこんな素敵なお祝いをしてもらったままじゃいけない、という思いから出た言葉だった。
だけど五条くんはどこかムッとした様子で、頬杖の手でぐしゃりとコメカミの髪を乱した。

「…お前さ、僕がただの同級生の誕生祝いでこんなに気合い入れる殊勝な奴だと思ってる?」
「うん…?」
「ミズキじゃなきゃこんなことしないよ」

どういうことだろうか。

「傑や硝子の誕生日だって、ミズキの誘いじゃなきゃわざわざ祝ったりしない」
「? でもずっと、」
「いい?聞いて。僕は、ミズキが、好き。勿論友達じゃなく恋人になりたいって意味でね」

五条くんはわざとらしいくらいに、きっぱり単語を区切って言った。子どもに言葉を教えるみたいに。
いつから、とやっとの思いで尋ねると、「さぁ…ミズキが傑に惚れたのと大体同時期だから、高専1年のどこかだろうね」と返ってきた。
今日のアルコールといえばシャンパンくらいなのに、頭がくらくらとする。

「…それ、どうして知って、」
「見てれば分かるよ。僕の欲しい感情を向けられてる傑が、引き千切れるほど羨ましかった。本命なのに負け戦ってキツイよね」

五条くんが手のひらを上に向けて肩を竦めた。
私は何も言えなかった。本命なのに負け戦、その気持ちは痛いくらいに分かる。

「でもさ、まだだけどそろそろ10年だよ。もう時効にしてくれてもいいんじゃない」

言われて、心臓が大きく波打つ。夏油くん、時効、つい最近自分で決心したことだった。そのことを伝えると、五条くんは本当に輝いて見えるくらい嬉しそうに笑った。

「待った甲斐あったね。彼氏に立候補するから僕のこと審査して。いい?」

五条くんを、『五条悟』を、私が審査なんて。恐れ多いというか、途方もないというか。
私が返事のひとつも出来ないでいると、五条くんの手がテーブルを渡ってきて、私の指先をそっと握った。熱くて溶けてしまう気がした。

「ミズキ、好きだよ」

「やっと言えた」と五条くんが笑う。
彼は私の選ばなかった道を選んだのだ。

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