恋猫の献身A


見たこともないほど美しい男の人が、跪いて私の手を取っている。ゆらゆらと泳ぐ金魚が男性の白い髪をオレンジ色に照らしている。
その人のアオザイの光沢ある布地に織り込まれた植物の模様が光の加減で浮かび上がって見える。
とてもとても幻想的で、映画館でスクリーンを観ているみたい。映画、あるいは、夢。

「夢じゃないよ」

男性がクスッと笑うと唇の艶が揺れた。

「僕は五条悟。今日は僕の贈り物を受け取ってくれてありがとう」
「贈り物…じゃあえっと、五条さん、が私に…」

脳裏にスグルくんの声が蘇った。『君のことを大好きな猫がいてね』と。だけどおかしい、だってスグルくんは猫と言ったのに。

「私、贈り物は猫さんからだって…」
「うん、猫だよ。見ててね」

五条さんはにっこり笑って立ち上がると、瞬きの間に真白な猫に姿を変えた。一点の曇りもない、豊かな毛並みの真白な猫。青い目が五条さんと同じだ。その猫はまた瞬きの間に五条さんの姿に戻った。

「実際はまぁ…悪意のない化け猫とでも思ってもらえば早いかな。僕はもうちょっと特殊で役付きなんだけど」
「役付き?」
「うん、近くに猫を祀ってる神社があるでしょ?そこで神様やってんの」

そんなアルバイトみたいに。
ちょっと話の展開に着いていけなくなってきた。

「…悟、話が急すぎてミズキちゃんが戸惑ってるよ。それに女性を立たせたままじゃ失礼だ」
「スグルくん」

突然足元にぬぅっとスグルくんが顔を出した。どうやらずっと近くに控えていたらしい。真っ黒なスグルくんが暗闇でじぃっとしていると、本当に分からない。

「おいなんで僕が『五条さん』なのにお前は名前呼びされてんの?」
「名乗る時に名前しか言わなかったからね」
「あ゛ーしくった、ミズキ僕の苗字は一旦忘れて。悟って呼んで」

…はぁ。

「だから戸惑ってるってば」

スグルくん、ありがとう。
五条さん改め悟さんは、しばし考えるように口元に手をやっていて、それから「ヨシ!分かった!」と目を輝かせた。

「明日デートしよ!クレープなんてどう?」

何が分かったんだろう。
悟さんのこのマイペースな感じは、そういえば猫っぽいと思えなくもない。足元のスグルくんが『やれやれ』みたいな顔をしていた。

「今日はもう部屋に戻っておやすみ。明日また傑を迎えに寄越すよ」

明日私は、この綺麗な男の人(本当は猫で、神様らしい)と、クレープを食べに行く、ことになった。
話には追い付けていないままだ。与えられた情報のひとつひとつが大きすぎて手に余る。部屋に戻ったって眠れる気はしない。

「よく眠れるようにおまじないをしてあげる」

悟さんは私の前髪を指で少し横へ流して、額にキスをした。後から冷静に考えれば顔から火が出るくらい恥ずかしいはずなのに、その瞬間私はなんだか懐かしいような思いに駆られて、ただぼんやりと、離れていく悟さんの唇を見ていた。その唇が優しく弧を描いて「おやすみ」と言うから、私も「おやすみなさい」と返した。
次の瞬間には悟さんもスグルくんも金魚も消えていて、ただ猫じゃらしが夜風に揺れる音だけが残った。
静かな夜に戻った。
不思議な夜だった。
私は部屋に戻って、寝入った覚えもないほどストンと眠りに落ちた。何だか夢を見た気がする。若い頃の私の母が静かなどこかの森で、白い髪の男性に会う夢。あれは悟さんなんだろうか。





翌日、本当にスグルくんがやってきた。

「…本当だったんだねぇ」
「本当にね。おはよう、今日も可愛いね」

またまた。
窓を開けてスグルくんと対面しながら、彼はきっとモテるだろうなと思った。この息するように女の子を褒めるところとか、特に。

「ねぇ、もしかしてスグルくんも人の姿になれるの?」
「なれるよ、面倒だからしないけどね。猫の国を出ても人型を保てるのは悟と私を含めて数人ってとこかな」

悟さん…綺麗な男の人で、猫で、神様。今更だけど、私今日神様とクレープ食べるの?どういう状況?

「スグルくん…デートって悟さんは本気なのかな」
「すこぶる本気さ。お願いだから行かないなんて言わないでね、私が三味線にされてしまう」

三味線…それこそ嘘って言って。と思ったけど、スグルくんがぶるっと身体を震わせたからどうやら本当らしい。

「フルネームを伝えるのは本気の証なんだよ。魂を掴まれることと同義だからね。詳しいことは悟から聞くといい」

それならば私は今、神様の魂を掴んでいることになる。もちろん実感はまるでない。
だけどなんだか、ワクワクしているのも事実だ。

スグルくんに導かれて十字街まで来た。
悟さんの白い頭を探してキョロキョロしている私にスグルくんは「こっちだよ」と言って、クレープ屋さんの行列の最前へ歩いていく。でも後ろに並ばなくちゃいけないし、まずは悟さんと合流して…と戸惑ってる間に列の先頭に至って、そこに探していた白い頭も見えた。

「ミズキおはよう。ほら、どれにする?」
「えっえっと、」
「生チョコクリームひとつとぉー」
「い苺っカスタード、ひとつ…」
「支払いカードで」

神様ってクレジットカード持ってるんだ…?と思っている間に事は進んですぐにホカホカのクレープが渡されて、パラソルの立った円テーブルに着くまでが淀みのない一連の流れだった。

昨日(と言っても確か日付を跨いでいたから今日だ)の悟さんはアオザイ姿だったけど、今日は悪目立ちしない洋服を着ている。それでも首から上だけで道ゆく人たちの10人が10人振り向く美丈夫は逃れようもなく目立っている。
熱いくらいに温かいクレープを持ったままぼんやり見惚れていると、悟さんが私に向かってふっと笑った。

「先に食べようね。食べながら何でも答えてあげる」

そう言って神様は生チョコに齧り付いた。
遅れてクレープ生地の端っこを齧りながら、私は、不思議なことばかりのこの事態について質問をしていくとして、まずどこから手を付けたものかと少し途方に暮れる気分がした。



答え合わせの結果、私の見た夢は夢ではないらしかった。
若い頃の母が会ったのは本当に悟さんで、悟さんはその時母のお腹にいた胎児の私に一目惚れ(生まれる前の存在に対する『一目』というのが謎だけど)…とにかく、惚れ込んだらしい。

「嬉しすぎてその場でありったけ祝福したんだよ。あんまりにも贔屓しすぎたもんだから縛りが発生しちゃってさー、僕は自分からミズキのことを探したり第三者の手引き無しには会いに行ったり出来なくなっちゃったわけ」

やりすぎちゃった、てへ、みたいな感じで話す悟さんは既にクレープを完食している。そんなにガツガツ食べてた様子じゃないし、口元だって汚れていないのに。
対して主に聞く側だった私はまだ半分くらい。

「だから知り合いがミズキの残穢付けてるのに気付いた時には震えたよね。灯台下暗しってやつ?そこからはミズキが贈り物を受け取ってくれたから晴れて会えるようになった」
「ザン…?知り合いって?」
「コレ、見覚えない?」

言うと悟さんはポケットから水色の鈴を取り出した。私の抽斗に仕舞ってあるのと同じものだ。

「ショーコちゃんの…」
「そ」

悟さんが白いリボンを揺すると、りんりんと軽やかな音。私が揺らしても鳴らなかったことを伝えると悟さんは、「本当は鳴ってるんだよ。どれだけ遠くても僕には聴こえる」と幸せそうに目を細めた。

「食べ終わったらミズキを猫の国に招待したいんだ。ねぇ、来てくれる…?」

同じ丸テーブルを囲む悟さんが身を乗り出して、その綺麗な目で私を見上げた。
本当に、溜息が出るくらいに、綺麗な男の人。さっきから周りの人たちがちらちらと悟さんを盗み見ている。
猫の国、本当にそんな場所があるのなら行ってみたい。そこにショーコちゃんもいるんだろうか。

私が頷くと悟さんはパッと顔を輝かせて、周囲の女性たちが抑え気味にざわついた。

「嬉しいな、ゆっくり食べていいからね!」
「…あの、ごめんなさい。何だか食べ切れそうになくって…」

情報だけでお腹いっぱいというか。

「ん、じゃあ貸してごらん」

言うと悟さんは私の食べた端の部分を齧り取って巻紙を外すと「すぐるー」と言いながらクレープの残りを放り投げた。
椅子の上で丸まって寝ていたスグルくんはいつの間にか起き上がって大きく口を開けていて、放物線の着地点でそれをひと飲みにしてしまった。「悟が贔屓にする店にしては甘さ控えめだね」って、いつもこんな感じなんだろうか。

「よし。じゃミズキ、行こうか」

悟さんは椅子から立つ私に手を貸してくれて、斜めにに合わさっていた手の向きを揃えてするりと指を絡ませた。大きな手、私の手がおもちゃに見えるくらい。
指の絡んだ手が引かれて悟さんに一歩近付いたと思ったら、昨晩私の額に眠れるおまじないをくれた唇が今度は頬に触れた。

「…今度は何のおまじないですか?」
「んーん、僕がしたかっただけ」

途端に顔が燃えるくらい熱くなって、悟さんから目を逸らした。
「照れちゃった?可愛いね」と言いながら、繋いでいない方の手が伸びてきて私の頬に触れた。恥ずかしくて堪らないのに温かい手は心地良くて、辞めてほしいのかもっとしてほしいのか自分で分からない。
ただ昨日の『おまじない』と同じように、悟さんの手は不思議と、とても懐かしい温かさをしている。

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