月夜、赤い糸A


「絶対におかしい」

これは修行として絶対に間違っている。
五条さんのお宅(というよりももはや屋敷)にご厚意で泊めていただくことになった昨日、お風呂をお借りして上がってみると可愛らしい寝衣が用意されていた。五条さんの妹さんのものとか…?と思って袖を通せずにいると、扉の向こうから「ミズキちゃんのだからそれを着てね」と五条さんの声。
躊躇いはしたものの私の服はどこにも見当たらず(「雨に降られたんでしょ?湿ってたから洗濯に出しちゃった」と五条さん)、そのとても肌触りのいい服を有難く着させていただいた。
お部屋も、とても綺麗だった。お金を払って泊まるとしたら私の所持金では絶対に無理な感じの、いいお部屋だった。

そして今、一晩明けた朝、ハンガーラックにずらりと並んだ美しいお洋服を前に、私は冒頭の一言を発したのである。
五条さんはキョトンとした。

「ごめんね、好みじゃなかった?」
「違います。ショーウィンドウに飾ってあったら立ち止まって見ちゃうくらい可愛いお洋服ばっかりです」
「そ?良かった。好きなの選んでね」

五条さんはにこにこと機嫌良く、一着を手に取って私の身体に当てた。
だからそうではなくて!

「五条さん、このお洋服はどうされたんですか?」
「昨日の夜電話で注文してね、今朝に間に合って良かったなぁ」
「注文方法の話ではないです!こんなにたくさん、私払えません!」
「まさかでしょ、ミズキちゃんに払わせないよ。宿のアメニティだと思ってくれればいいから」
「シャンプーや歯ブラシと一緒にしないでくださいっ!」

五条さんはキャンキャン喚く私を楽しそうに見ていて、その内に駄々っ子を宥めるように頭を撫でた。

「パジャマのままなのも可愛いけど、好きなの選んで着替えておいで。そしたら朝ごはんにしようよ」

…ズルイの塊である。
15歳の、大した経験もない小娘に、こんな綺麗な大人の男性(そういえば年齢は聞いていない)が向けていい言葉と笑顔ではない。
爽やかに部屋を去る五条さんを見送って、しばらく葛藤した後、どれを選んだって可愛いに決まっている選択肢の中から一着選んで袖を通した。
時間が掛かってもお代はお返ししなくちゃと思いつつ、ものすごい肌触りの良さに恐る恐るタグを確認すると、素材:シルク、うわぁ…。
私の修行は2日目にして借金まみれである。

「ん!やっぱりすごく似合うね、可愛い」

キッチンにお邪魔すると、五条さんは自ら料理をしてくださっていた。慌てて手伝おうとすると、カトラリー運びという軽微な仕事を割り振られ、すごすごとキッチンを後にするしかなかった。再びキッチンに戻った頃にはホカホカのパンや瑞々しいサラダ、つるりと美しいオムレツが既にお皿に乗っていて、五条さんの「食べようか、飲み物は紅茶で良かった?」と共にUターン。完敗を喫した。
チタンのツナとミルクまで用意されていた。

「五条さん」
「うん?苦手なものでもあった?」

いいえ、どれもめちゃくちゃ美味しいです。ってそうではなくて。

「私は修行に来てる身なので、こんなに至れり尽せりされちゃうと…いえ、とっても有難いんですけど、全然修行感ないっていうか」
「僕が好きでしてるんだから遠慮しないでほしいな。受け入れるのも処世術だよミズキちゃん」

五条さんはにこにこと至極上機嫌で、それでも綺麗なテーブルマナーで口元を少しも汚さずに食事を続けている。

「何かお仕事させてください。お洋服のお金もきっとお返ししますから」

私が食い下がると、五条さんは「んー…」と少し考えてからパッと笑った。

「それなら、調薬できるって言ってたよね?頭痛薬をお願いしたいな」
「お安いご用です。偏頭痛ですか?」
「疲れたりすると頭が痛くてね。そんなに酷い痛みじゃないんだけど」

こんな大きなお屋敷を維持してるのだから、五条さんにも色んな苦労があるのだろう。お庭のハーブを使う許可をもらって、食事を再開した。
それにしてもこのオムレツは完璧すぎる。多才で何でも人並み以上にこなせる…という私の占い結果は大当たりである。

食後、頼み込んでお皿洗いは私がさせてもらっていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
五条さんが応対している間に洗い終え、手持ち無沙汰になったので、調薬に手を付けてしまおうと掃き出し窓からお庭に出た。
色とりどりの花が朝の光に揺れている。チタンが爛々とした目で蝶を追い始めた。

庭からは死角の玄関からは、お客様と五条さんの声がかすかに聞こえている。お客様は女性、何だか少し語気が荒い。

「あーもーッ!とにかく渡したからね!すっぽかしたら殺す!」
「歌姫が?僕を??どうやって???」
「やっぱ勝手に死ね!」
「歌姫先輩、朝から血圧上がりますよ。五条は健康に良くない」
「それね!」

立ち聞きは良くないと思いつつ、何の話だろうと気になってしまう。お客様は2人みたいだけど…いや、詮索は辞めよう。
と、思っていたところへ玄関を後にしたお客様たちの姿が死角から出てきてバッチリ目が合ってしまった。

「お、おはようございます…」

取り敢えず失礼のないように頭を下げたけど、下げた頭を上げた時にはお客様方は目をまんまるになさって、充分驚いていらっしゃった。
泥棒じゃないです、居候なんです…あぁ、これも充分不審だ。

「あ、貴女…」

その女性は私に向かって一歩踏み出しながら、ドアノブを握るくらいの位置で手をわなわなと震わせた。怒られるものと身構えていると彼女はギッと玄関へ鋭い視線を向けた。

「五条ッ!あんたこんな綺麗な子どこで攫ってきたのよ!クズ変態ロリコン自首しろ!」

大変な剣幕である。自分が叱られると思っていただけに拍子抜けしていると、もう1人の、静かな雰囲気の女性が声を掛けてくれた。目の下に隈がある。

「騒がしくてごめんね。歌姫先輩は悪い人じゃないんだ」

家入硝子さんというそうだ。色気のある大人の女性で私はドキドキしてしまって、摘んだばかりのハーブをぎゅっと握り締めた。

「それ、何にするの?」
「五条さんに頭痛薬を…」
「五条が?頭痛薬?」
「? はい」

家入さんは小さく笑った。

「いや…ごめんね。それよりミズキは魔女なの?調薬するところ、是非見せてほしいな。魔女のレシピに興味がある」
「それは構いませんが…」

家入さんの背後を見ると、『歌姫さん』はまだ五条さんに掴み掛かろうとして躱されていた。
私は攫われてきたのではなくて厄介になってるだけです…って言い添えた方がいいんだろうか。

「歌姫先輩、ミズキ攫ってカフェ行きましょ」
「行く!私が保護するわ!」
「まったく人聞き悪いなぁ」

五条さんは歌姫さんの横をすり抜けて近付いてきて、摘んだハーブごと私の手を取った。

「ミズキちゃん、嫌じゃなかったら行ってくるといいよ。硝子は診療所をやってるから話が合うかもね」
「お医者さまなんですね」
「そうだよ。…ただね、夕方には必ずここに帰るって約束して?僕はまだミズキちゃんと話したいし、宿代だって要らない。ミズキちゃんがひとりで寝泊まりするところを探すなんて、想像したら心配で耐えられないよ」

五条さんの手はとても大きい。その手が朝露に濡れた私の手をすっぽり包んで温めてくれた。五条さんが心配そうに眉尻を下げると、その表情がとても美しくってどぎまぎしてしまうし、罪悪感も湧いてくる。思わず頷いて、今晩もお世話になることを決めてしまった。

肩にチタンを乗せて、家入さんと歌姫さんに挟まれて五条さんの庭を出た。
門扉を通るときに振り返ると五条さんはまた手を振ってくれて、その手の小指には昨日私が結え付けた赤い糸がまだ結ばれたままになっていた。

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