少女と白豹B


ミズキのいる生活は、まぁ悪くなかった。
きらきら、きらきら、よく笑うミズキがいると、この呪われた城も春みたいに光った。ありきたりな表現をすれば俺は、好き、なんだろうと思う。
解呪のためにおあつらえ向きだとか、数年振りに女を見た(硝子は除いて)からだとか、そういう浅い利己じゃないとは思う。
何せ、俺は今からミズキを手放そうとしてる。

ミズキは昼間俺や傑達の前では明るく振る舞っていて、でも夜になるとバルコニーに出て森の向こうをジッと見ている。父親を気にしてるんだろう、当然だ。

「…外に出んなとは言わねぇけど、上着ぐらい着ろよ」

背後からいきなり話しかけたから、ミズキは肩を跳ねさせて振り返った。

「ごめんなさい、ちょっと星を見てました」
「星ってさ、親父さんのかかりつけ医の名前とか?」

俺の言わんとすることを察してミズキの顔が曇った。

「…ごめんなさい」
「別にいーよ、気になんのは当然だし。親父さんに会いたい?」

ミズキは遠い村の明かりを見た。

「…父の身代わりになったことは後悔してませんし、とっても良くしてもらって、ここでの暮らしも大好きです」
「嬉しいね」
「私は村では爪弾き者だったから、本当に楽しかった」
「どうして?」
「…他の人には見えない化け物が見えるから」

やっぱりな、ってとこだった。
呪霊が見えるなら、初対面で俺の外見に驚かないのも当然だ。
この城の連中は皆んなミズキと同じものが見えるし、呪いで呪力を半減されてるけどその化け物を祓うことを生業にしてると教えてやれば、ミズキの顔が輝いた。
俺の好きな表情、眩しい。

「お前はひとりじゃないよ。ここの奴らは全員、お前の味方になる」
「嬉しい…誰にも分かってもらえないと思ってました」
「安心しなよ。いつでもここに来ればいいから」
「…え?」
「親父さんに会いに行けよ。村はずれまでトばしてあげる」

戸惑うミズキの足元を円形に囲って座標を確認して、後は一瞬。最後に何か言おうとしたミズキを目に焼き付けてお別れをした。最後の言葉を聞きたかったけど、聞かなくて良かった。

しばらくそのままバルコニーでミズキを送った方向を眺めてると、傑が現れた。

「悟、ミズキちゃんを知らないかい?てっきり君と一緒だと思ってたけど」
「逃がしたよ」
「え?」
「逃がした」
「どうして」

どうして、かぁ。

「愛してるから」

さぁ、もうじき青い薔薇が全部散る。


人が大人しく生涯を閉じようって時に限って面倒はやってくるものだ。
村の連中が森の中に巣食う不穏分子を討伐にやってきた。大方、ミズキの親父さんが村に戻ってから『娘を助けてほしい』って頼んで回ってたところへ、数ヶ月振りにミズキが帰ったからだろう。
生憎、わざわざ猟銃で武装して森を抜けてきた非術師に殺されるまでもなく、もうじき俺は呪いで死ぬ。
傑達はまとめてミズキの村にトばした。ミズキが非術師に酷いことをされてないとも限らないから。助けた後は、アイツらがミズキを守ってくれる。

俺は、もういい。
この身体でいることに疲れた。ミズキの腕を握るだけで致命的な血管を傷付けてしまう手だとか、キスでもしたら柔らかい唇を裂いてしまう牙だとか。

ミズキと別れたバルコニーで、ミズキのいる方角を眺めて悠長に構えてると、群衆を率いてきた男が汚い靴でミズキの部屋に踏み入ってきた。

「随分悠長に構えてるな化け物め」
「出てけよ、ミズキの部屋だ」
「お前を殺せば化け物が見えるだとか妙なことを言わなくなるさ。そうしたらあれは俺の妻だ」
「…ア?」

瞳孔がかっ開く感覚がして全身の毛が立った。半減されてても腹の底から怒りと一緒に呪力が湧き出る。
俺がすぐに死ぬとしてもこの男だけは今ここで殺す。ミズキが村で虐げられてるのを救いもせずに、上っ面を矯正して、そんなクソ野郎がミズキを妻にする?
ミズキに触っても傷付けないでいられる手を持ってるくせに、使い方がなってねぇ。それなら俺が切り落として達磨にして犬に喰わせてやる。

鉤爪に呪力を纏わせて男の頸を裂く。もう少しで命を摘めると感じたその時、ガス欠したみたいに呪力が切れた。途端に爪が止まる。脚から力が抜ける。男のナイフが俺の首から腹にかけて袈裟斬りに走った。反転術式…駄目だ、呪力が練れない。
『終わり』がきた。
男の頸に食い込んだ爪だけは意地と腕力で振り切ると、男はよろめいてバルコニーの手摺から落ちていった。ざまぁみろ。
それを最後に本当に力が抜けて、ぐら、と背中側に傾いて、倒れた。視覚も聴覚も全部遠い。自分の荒い呼吸しか聞こえない。どうせならミズキの声が聞きたかった。

暗転。



誰かが泣いてる声がした。しゃくり上げて、嗚咽を漏らして。
誰の声だと思ってる内にその声はどんどん大きくなって、ある時気付いた。ミズキの声だ。ミズキが泣いてる。
泣くなよ、笑って。言いたいのに喉が掠れて声にならない。せっかくミズキが出てくる夢なら、笑ってくれる夢がいいのに。

「っく、さと、さ…っやだぁ…っぅ、」

顔が見たい。泣いてるなら涙を拭いてやりたい。でも駄目か、こんな爪の鋭い手じゃミズキに触れない………手?そういえば、手の感覚がある。意識を向けると動かせた。
ミズキの泣き声は続いている。

重い瞼を持ち上げると空が見えた。夜空、星が見える。
…何、もしかして生きてんの、コレ。
どうにか視線を動かして声の方を見ると、血塗れの胸に縋りついて泣くミズキが見えた。反射的に手が動いてその頭を撫でてから、あ、ヤベ爪が立つ、と思って、そこで気付いた。人間の手だ。

「…ミズキ、」

名前を呼ぶと、ミズキが泣き顔を持ち上げた。ミズキの泣き腫らした目がまんまるになって、その中に僕が映ってるのが見えた。
身体を起こすと、傷は綺麗さっぱり治っていた。

「さとっる、さん、じゃないぃ…っ」
「イヤ悟さんなんだけど」
「だっ、だって、猫ちゃんじゃないもん」
「待って猫じゃなくて豹なんだけど…それより解呪してんじゃん、ウケる」
「かい、じゅ…かいじゅ…?」
「呪が解けましたってこと。解呪条件何だったか知りたい?」

ミズキが半信半疑のままコクンと頷いた。

「僕が心から誰かを愛して、その相手から愛し返されることだよ」

僕の言葉を一文字ずつ受け取って順番に処理を掛けてゆっくりゆっくりようやく理解したところで、ミズキは赤くなって狼狽えた。可愛いね。
そこへ、元の身体に戻った傑が靴を鳴らして歩いてきた。

「解呪おめでとう悟。ミズキちゃんにはお礼を言わないとね」
「え…声、夏油さん…?時計じゃなくなってる」
「そうだよ。ミズキちゃんのおかげで呪いが解けたんだ」

傑の『ミズキちゃんのおかげ』発言から解呪条件のことを思い出したようで、ミズキはまた恥ずかしそうに目を伏せた。

「ミズキちゃんが倒れてる悟に泣きながらキスしたのが可愛かったっていうのは内緒にしておいた方がいいかな?」
「マジかそれ詳しくお願い」
「やーめーてー!」

ミズキはまた半泣きになって手で顔を覆ってしまった。
まったくさ、泣きたいのはこっちなんだよね。

「ミズキ」

呼ぶと、指の隙間からミズキが僕を見た。

「キスしたい。いい?」

ミズキの目が真っ直ぐに僕を見ている。親しんだ獣の姿との共通点を探すみたいに。それをミズキは僕の目の中に見付けたようで、泣きそうに笑って「本当に悟さんだ」と言った。

許可はもらってないけどキスをした。
もう、触れただけでミズキに怪我をさせる身体じゃない。




***


ネタポストより『童話パロか動物パロ』でした。
ネタ提供ありがとうございました!

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