少女と白豹A


夜の間に傑や灰原や硝子まで俺のところへ来て、やれミズキの好きなものを聞けだのデートに誘えだの言って追い立てた。
その度言ったけど、相手捕虜だからな?いや何で俺が正論吐く側なのワケ分かんね。

断じて、アイツらの指示に従ったわけじゃない。ミズキに「何か好きなもんとかねぇの」と聞いてみたのは単なる俺の興味であって、軟禁生活の退屈を紛らわせてやろうかというちょっとした気まぐれであって、断じて、アイツらがニヤニヤするような動機じゃない。

「本が好きです」
「フーン興味ねぇ」

だからカーテンの裏から覗いてニヤニヤすんの辞めろお前ら。灰原はカーテン焦がすな。
踵を返して部屋を出ようってのにミズキは棒立ちのままで、畜生察しろよ、グルルと喉の奥が鳴る、半分振り返って顎をしゃくった。

「…図書室、連れてってやってもいいけど」
「!いきますっ」

だから!ニヤニヤすんなお前ら!

図書室に着くと、四方の壁全て床から天井まで聳える本棚にミズキは目を輝かせた。子どもみたいにはしゃいで存分に目移りして、きらきら、きらきら、本当に明かりを発してるみたいに。

「すごい、すごい!どれでも読んでいいんですか?」
「好きにしろよ」
「ありがとう!」

眩しい。
ミズキは飛び跳ねるみたいにしてホールを横切って、目に止まる本をあれこれ棚から出して軽く目を通しては最初の1冊を探した。ある時とうとう決まったらしく大切にその1冊を抱いて戻ってきた。

「これにします!」
「ハイハイ」
「悟さんは?」

ただ呼ばれただけ、それなのに一瞬何を言われたのか理解出来ずに呆けた。
いや、名前を尋ねられてファーストネームを答えたのは俺だけど。あまりに自然に呼ばれた自分の名前は、よく知らない単語みたいに耳に残った。

いつまで経っても答えない俺にミズキが、「悟さんは読まないんですか?」と重ねた。

「アー…手が、さ。こんなだから」

三日月みたいな鉤爪をミズキの前に差し出した。

「ページがめくれねぇの」
「じゃぁ私がめくります。一緒に読みましょ?」

「ね」と笑うミズキに、俺はまた呆けるしかなかった。
それで久方ぶりに俺は本に触って、選んで、指の間に挟むようにして持って、部屋の隅にある読書用の机にミズキと隣り合って座った。

「うぅぅぅん」
「何だよ」
「一緒に読みましょうって誘ったのは私ですよ?でもね、まさか数学の学術誌持ってくるとは思わないじゃないですか」
「言ったからには最後まで付き合えよ」
「なら責任持って分からせてくださいね。私に理数科目を理解させるのがどれだけ大変か知りもしないで!」
「威張んなよバーカ」
「明日は私の甘っちょろいファンタジーに付き合わせます絶対やる今決めた」

こんな風に誰かと軽口を交わすのは何年振りか。かじかんだ手を湯に浸したような気分がした。

それで、俺はミズキにポアンカレ予想の何たるかをイチから説明する羽目になったわけだが、まぁ本人の言う通り困難を極めた。正直持ってきた本の前提の話なので、最初の1ページから少しも進まない。ページをめくる係は開店休業のまま話は続き、ある時腕にトスッと何かが当たって、見るとミズキが俺の腕に凭れて寝ていた。

「…マジか」

麗かな日、明るく静かな図書室、吹き込む軟風、俺は途方に暮れた。

それから結局、ミズキが目を擦りながら起きるまで、俺は無心で柱と化していた。起こさないように注意しながらどうにか上着を脱いでミズキに掛けてやった時には、謎の達成感があった。

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