拍手再録》五条先生とお出掛けする話


あの子の顔が好きだ。と言うと誤解を招くけれども、あの子が堪らなく好きなのに付随してあの子の顔がずっと眺めてたいほど好きなだけ。
額に掛かる前髪も好きだ。その髪を横に流して白いおでこにキスをするのが好きだから。
おでことかほっぺとか、子どもみたいなキスをするとあの子が幸せそうに笑ってくれるから好きだ。
ベンチに座って僕の戻りを待つ愛しい子、その大好きな可愛い顔に黒い液体が頭上から滴るのを見た瞬間、怒りを通り越して感情が凍り付いた。

「お前何してる」

僕の愛しい子の頭上にコーヒーをぶちまけてくれた女は、現行犯の手首を掴んだ僕を振り返って顔を蒼褪めさせた。「悟様」と震え声が呼ぶけど、僕には見覚えのない顔だ。多分、家関連で引き合わされたことのある女達の中の一人だろう。多分。掴んだ腕を投げ飛ばすようにして女を退かせると、可哀想にコーヒーを掛けられた愛しい子の前髪がペッタリ顔に張り付いているのを指で横に流した。

「ごめんね、酷い目に遭わせちゃったね。熱かったでしょ」
「あ…ううん、えっと、それなりに適温だったので」
「コーヒーぶっ掛けられるのに適温も何も無いよ」

自分の上着を脱いで羽織らせ、抱き締めて頭を撫でた。途端に可愛いこの子は慌てて「せんっ、…悟さん汚れちゃう」と腕を突っ張ろうとするけど、強引にぎゅうぎゅう抱き締めた。
全くこの子は人のことばかりだ。女の手前『先生』と呼ぶのを控え、僕の服の心配なんかして。
それに引き換え、

「…おいお前、黙ってバックレようって虫がいいんじゃない?」

低い声を出すと女は顔面蒼白になって縮み上がった。その程度の胆力で僕の大切な子に危害を加えてくれたわけだ?
さてどうしてやろうかと思っていると、腕の中からシャツがついついと引かれた。見ると、可愛い目が必死に僕を見上げていた。小声で「せんせ、平気だから」とまで。
この場で最年少のこの子にここまで気遣われちゃ、僕が怒るのも大人気ない。長い溜息で怒気を鎮めた。
腕を緩めて、愛しい子に微笑みかけた。

「ねぇ、おすわりって言ってみて」
「…?」
「いいから」

可愛い声がおずおずと「…おすわり?」と発すると、僕はベンチに座る愛しい子の足元に膝をついた。
僕の上着に着られて、小さな手を僕に握られて、可愛い可愛い僕のご主人様。
「わん」と一声鳴いて小さな手に忠誠のキスをすると、ご主人様は真っ赤になって狼狽え始めた。僕の背後で呆気に取られている女を振り向いた。

「お前が何したってどうこうなる気は更々無いけど、この子の犬になら喜んでなるね。それぐらい特別な子なんだよ。お前の家も名前もぜんっぜん知らないけど、顔なら今覚えたからな。二度と僕にもこの子にも近付かないこと…守れるな?」

転がるように女が逃げ去ったところで、愛しのご主人様の手を引いて立たせた。
なるべく近いホテル(いやらしくないやつ)に電話して部屋を押さえて向かいながら、現在地に近い百貨店のことを思い浮かべた。外商部の人間の番号を控えてたはず。
どうしたら償えるだろう、あんなに不快な思いをして、僕のせいで。とりあえずシャワー、替えの服、早く部屋に入りたい、心から謝ったらまたキスさせてくれるかな。

小さな身体をほとんど抱えるようにして急いでいると、突然愛しい子が立ち止まって僕の裾を引いた。

「せんせ、待って」
「どうしたの、早く部屋に入ってシャワー…」
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃないよ、気持ち悪いだろ。本当にごめん」
「先生のせいじゃないし、先生はわんちゃんじゃない」

「だから怖がらないで」と愛しい子は僕の頬に手を差し伸べてくれた。
見透かされている。
僕について回る外野に嫌気が差してこの子が愛想を尽かしてしまうのを、僕が恐れていること。

「先生はどうしたら安心する?」
「…情けないね、コーヒーぶっかけられた子に気を遣われちゃって」
「いいの、言って」

僕の頬に添えられた優しい手を握った。

「…一刻も早くシャワーを浴びて、僕が用意する服に着替えて」
「うん、ありがとう」
「着替えたらルームサービスでも取ろうよ、一緒にお茶したい」
「素敵」
「そしたら、キスさせてほしい。たくさん」

可愛いほっぺが赤くなって、だけど恥ずかしそうにしながら「いいよ」と言ってくれた。
深く安堵した。圧迫されて血の止まってた心臓からドッと血液が流れだしたみたいな感覚がした。
頬が緩む思いでいると、可愛い手が僕の襟元を掴んでぐっと引き寄せるから、腰を折って屈んだ。
ちゅ、と小さな音を立てて唇の横に柔らかい感触。え、

「…っはやくっ!行きますよ!」

呆然としてる僕を置いて、愛しい子は走りだしてしまった。でもすぐに止まって真っ赤な顔で振り返って、「…どっち?」。ハーーーーーー可愛いが過ぎる。完敗。
大股ですぐに追いついて肩を抱いて続きを歩く。
キスをしてくれた。照れ屋さんなこの子が、自分から。何て愛しいんだろう。

「あ、もうひとつお願い」
「なんですか」
「たくさんキスした後は、ベッドで意地悪してもいい?」

言っておくけど、僕なりの照れ隠しだったんだよ。
この子の照れた顔が可愛いから好きだとか、あわよくばっていう下心は否定しないけどね。
だから、ちっちゃな声で「いいよ」って聞こえた時の僕の嬉しさなんて、言うまでもない。

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