劣等星と地平線


「ミズキ、旦那が来たみたいだよ」

級友が携帯の画面を見て発した言葉に、ミズキは椅子から腰を浮かした。『旦那』とやらを迎えに出るためではない。そもそも彼女は未婚の未成年である。

「ど、どこで見たって…?」
「京都駅。抹茶生八ツ橋買ってたってさ」

ミズキは少しだけ安堵した。別に『かの人』が生八ツ橋を買おうが湯葉やあぶらとり紙を買おうがそんなことはどうでも良くて、目撃されたのが京都駅ということは、ここ呪術高専京都校まですぐには到達しないというのが重要なのだ。車でも最低50分の距離、身を隠す暇はある。

「わっ私、任務に出るっ!模武先輩に同行…」
「いいけどソレ俺も行くよ?ミズキが怪我したら嫌だしさ」

ミズキの頭に顎が乗って、背後から腕が回った。彼女は「ひぇっ」と喉の引き攣ったような声を上げた。
先程ミズキに『旦那』の来訪を教えた級友はミズキの頭上を見て「五条悟だ」と零した。その通り、白い髪と青い目とサングラスを長身に乗せた五条悟その人である。
ミズキは身を捩って逃げようとして失敗した。

「どっどう、して…さっき、京都駅って」
「あぁ駅で生八ツ橋買ったけど食べる?」
「いらないです…」
「まぁ地元の土産物って食わないよな。前回来た時に駅で移動の起点に丁度いいとこ見付けてさ、ルート繋いだから快適快適」

ということは今後、京都駅で目撃された時にはもう五条悟が教室の戸のすぐ前に立っているのと同義になる。名古屋辺りで教えてもらわないと逃げるのは無理かもしれない。ミズキは項垂れた。

五条がミズキと初めて会ったのは交流戦の時で、東京校と積極的に火花を散らしにいく級友や先輩達を遠目に見ながら、彼女は仲のいい友人と和やかに談笑していた。国博いきたいね、とか何とかそんな内容だった。とにかく、自分から五条に近付いたわけでも、何か目を引く行動を起こしたわけでもない。それなのにいきなり影が差して、見上げると真っ黒なサングラスの男が至近距離で彼女のことを覗き込んでいた。

「惚れた」
「え?」
「俺と付き合って」

純粋に恐怖だったと後に彼女は語る。
ミズキは思わずその場を逃げ出し、交流戦の間中睨み付けてくる(誤解なのだが)五条に怯え、京都に帰って落ち着いて考えた結果嫌がらせや揶揄いの類だろうと結論付けた。
幸い京都校と東京校では交流戦くらいしか接点はないし、五条悟の気まぐれもこれっきりだろうと思ってミズキは忘れることにした。
ところが、交流戦の3日後には五条が京都校を訪れ始め、任務ばかりであまり校内にいない先輩よりも頻繁に会うようになり、とうとう周囲から『旦那』と称されるまでになってしまった。

五条が俯いたミズキの後頭部に額を擦り寄せた。

「あ"ー…天国みたいにいい匂いする癒される」
「ひぇ…っ」

ミズキは身を竦ませた。
何しろ上背のある五条が平均的な背丈のミズキに背後から覆い被さっているので、側から見ていた友人は『何か捕食してるみたいだな』と思った。

「ごっ五条さん、離してっ」
「んー?なんで?」
「なんでじゃなくて…っ離してください」

少し真剣味を増した声に、五条も一応聞き入れて彼女を解放してやった。自由になったミズキは友人の隣まで逃げて、警戒の目を五条に向ける。

「あのですね、五条家ではどうなのか知りませんけど…禪院では、当主争いに加わるような有望な人は、高専に来ないで家庭教師を付けるんです」
「ふーん、で?」
「…だから、私のことをどうこうしても、禪院は何ともないんですよ。落ちこぼれが片付いて良かったって言われてお終いです」

ミズキは、氏を禪院という。呪術界御三家の一角で五条家とは犬猿の仲の、禪院である。

五条はカクンと首を傾げ、純粋にすら見える顔でもう一度「で?」と言った。

「あの…だからですね、私に何をしたって禪院家は、」
「禪院の関心も無関心も俺にはどーでもいいわ」

ミズキは困惑した。今まで五条が執拗に自分に構うのは、禪院家への嫌がらせか何かだろうと思っていたから。
五条はミズキの言い様に少々気を悪くしたようで、首に手を当てて気怠げな仕草で骨を鳴らした。

「交流戦で初めて見て惚れたって言っただろ、アレが全てなんだけど」
「ぇ…え、でも、あれはその、」
「冗談と思った?」

五条に図星を突かれ、ミズキはおずおずと頷いた。
禪院家の中では五条家との確執を幼少期から刷り込まれ、それは落ちこぼれであっても例外ではない。
五条はゆっくりミズキに詰めると、しゃがんで彼女の胸の高さまで視点を下げて、白く華奢な手を取った。

「好き」
「……、」
「信じて」

サングラスの隙間から青い目が、ミズキのことを見上げている。それまで、五条が視界にいる間は怯えるか居心地の悪そうな顔をするばかりだったミズキが、初めて赤面した。
五条は嬉しげに笑った。

「手にキスとかしていい?」
「だっだめ!」

ミズキはパッと五条から手を離して身を縮ませ、対する五条はわざとらしく残念そうな顔を作った後でゆったりと立ち上がった。

その時五条のポケットから着信音が上がり、彼は端末を開いて軽く舌打ち、通話をして相手から小言を言われたらしく「まだ時間あるだろ」とか「分かってるっつの」と文句を言って終えた。

「じゃ任務あるから行くわ。また来んね」
「ぁ…はい…気を付けて…」
「ん。次来たらまた告白するから」

五条は眩しそうに目を細め、それから踵を返すとひょいひょい飛石を行くように軽やかに、教室を出ていった。
後には赤くなって呆然とするミズキとその友人が残され、友人はただ一言「すげえ」と呟いた。



次に五条が来たのは3日後の夜で、ミズキは寮の自室で課題に向かっていた。
窓が外からノックされ、カーテンを開けると五条の姿、ミズキは面食らった。窓から少しひやりとした風が入った。

「久しぶり。勉強してんの?可愛いね」
「独特な褒め方…と言うか、3日しか経ってないですけど」
「一日千秋換算だと3000年ぶりだし」
「四字熟語で算数しないでください」

ミズキは半身になって軽く首を傾げ、五条を室内へ迎え入れる仕草を見せた。今度は五条が驚く番で、彼はサングラスの下で目を丸くする。

「部屋入っていーの?危なくね?」
「危ないかどうかは五条さん次第ですよね?それに、風邪を引きます」

自分に会うために東京・京都間を移動した人間を、肌寒い夜に屋外に放置することは、ミズキには出来なかった。第一、五条悟が本気で何かしようと思ったらガラス窓一枚が何の抵抗になろうか。
五条はベランダに大きな靴を残してミズキの部屋に上がり、そわそわと辺りを見回した。

「め………」
「め?」
「っっっちゃいい匂いする…俺ここに住みたい」

ミズキはちょっと呆れた。それから、「ココアにします適当に座ってください」と言って電気ケトルのスイッチを入れる。ココアを大きなスプーンでマグカップへ、沸いた湯を注いでぐるぐると混ぜた。
そうやって作ったココアを五条に手渡してやると、彼は礼を言った後に「なんか意外だな」と続けた。

「前回告白の予告して帰ったから、もうちょい意識してくれてるかと思ったけど」

ミズキは書物机に寄って課題のノートを閉じ、飲みかけだった自分のココアを取った。

「…そのことなんですけど、よく分からなくて」
「どの辺が?」
「だって私は……、」

それきり、ミズキは黙ってしまった。
禪院と五条の不仲のこと、彼女の言う『落ちこぼれ』と対義語としての五条悟のこと、大きくはその2つが心を隔てているらしいことは、五条にも何となく理解出来る。共感出来るかは別として。

「…別にさぁ、禪院と五条の不仲とかどうでも良くねぇ?俺とミズキの間に起こったことじゃないね」
「…」
「それともアンタのこと落ちこぼれ扱いした奴等全員ブン殴ってきたら付き合ってくれる?」

どうしてそこまでするんだろう、というのが、ミズキの言う『分からない』の核である。いがみ合う家の娘を、しかも落ちこぼれと蔑まれる娘を、何故。

「なぁ答えてよ。もしかして俺のことタイプじゃない?」

ミズキは弱く首を振った。

「…五条さんは綺麗です。実力があって、努力してるのも見れば分かります」
「そりゃ何より。でも傑みたいな塩顔の方がタイプとか無いよな?」
「スグルって夏油くんですよね?ないですけど…仮に言ったらどうなるんですかそれ?」
「今から帰って傑を二重瞼の金髪にする」
「それはテロですね…」

あまりにも夏油が気の毒である。あの屈強な夏油が、彼よりも更に上背のある五条に取り押さえられ、無理矢理に(しかもかなり雑な手つきで)容姿を矯正される様を想像してミズキは心底気の毒になった。
それでも、冗談のような五条の発言にミズキの表情が少し緩んだのだから、五条にとっては無駄話の甲斐があったというものだ。彼は手渡されたココアに口を付けた。

「…でどうなの?難しい質問じゃねぇだろ、俺がタイプかそうじゃないか。ほら傑を助けると思って」
「とりあえず夏油くんを被害者枠から出してあげてくださいよ」

とうとうミズキはくすくすと笑った。それを見た五条は飲みかけのココアに頭を突っ込まんばかりに顔を伏せてしまい、ミズキを困惑させる。どうしたのかとミズキが尋ねると五条は文字に表し難い呻き声を上げた後で「かわいい」と言った。

「ミズキが俺の前で笑うのって交流戦以来初…妖精かよ正直俺のいないとこでは1ミリも笑わないでほしい」

ミズキはきょとんとした後に「変なひと」とまた笑った。
代名詞としての五条悟でなく生身の彼からは、ちゃんと人の匂いがする。正直、彼女のことを冷遇する禪院の人間たちよりも余程。
五条は惜しむようにミズキの笑うのを見ていたけれど、ある時ふと目を逸らして手元のマグカップを見た。

「そーいやさ、一個嘘があったわ」
「嘘?何ですか?」
「交流戦で一目惚れしたのが全部って。アレ正しくない」

ミズキは首を傾げた。五条はまだココアの水面を見ている。或いは、その向こうの床を。

「さっき俺を部屋に入れるのに『風邪引くから』って言ったろ。そういうとこ」
「…それが何か…?」
「俺のこと怖がってんのに邪険にしないとか、俺が東京に帰る時『気を付けて』って言ってくれんのとか、俺と付き合ったら家の連中を見返せるって考えないとことか、今も『そんなこと?』みたいな顔してんのとか」

表情から考えていることをずばり当てられてしまい、ミズキは思わず頬を手で覆った。五条はいつの間にか顔を上げ、ミズキのことを真っ直ぐに見ている。

「ねぇ」

青く美しい目、その目が、或いは相伝の特別な術式が自分に備わっていたならと思ったことも無いわけではない。けれど、そんなタラレバは無意味だと彼女は知っている。
今はただ目の前のこの青年が、何度も何度もミズキの窓の足元に来ては彼女に会いたがっていることを、素直に受け取らなくてはいけない。

「答えて」






「やぁ、交流戦以来だね」

夏油は愛想良く笑った。
彼が黒髪のまま、一重瞼のままであることにミズキは安堵した。

五条の告白への返事に代えて、ミズキは今度は自分が東京に行くからと言った。そうしていよいよ訪れた日が今日である。
五条が夏油とミズキの間に割って入った。

「ミズキは俺に会いに来たんだからな、引っ込め糸目」
「やれやれ幼稚な男は嫌われるよ」
「んなわけ。ミズキ行くぞ、適当に観光しようぜ」

五条は教室の出入り口へ向かい、それに続こうとするミズキを夏油がこっそり引き止めた。夏油はにんまりと弧を描いた口の前に人差し指を立て、首を傾げるミズキに携帯の写真を見せた。小さな画面の中、中央には五条の背中が写っている。床に座り込む彼の周りには本の山がいくつもあって、開いたままになっていたりページの角が折られていたり。よく見るとそれらはすべて東京の観光情報誌である。

「書店にあるもの一通り買ってきたみたいだよ。今日は楽しんで我儘言ってあげて」

ミズキはその写真に手を触れたいような気分がした。夏油の私物なので実際には我慢をしたけれど。
そこへ、ミズキのついて来ていないことに気付いた五条が戻ってきてまた夏油との間に割って入った。呪霊だったら縮み上がってしまうような睨みを受けても夏油の方は涼しい顔で、写真も上手くポケットの中。夏油は愉快そうに笑い、五条の背中を叩いて廊下の方へ押し出した。

「ほら、行った行った。男でもハンカチぐらい持つんだよ」
「うっせぇな母親かよ…ミズキ、こっち」

「行ってらー」と硝子がひらひら手を振った。
ミズキは小走りに五条へ追い付いて、一度教室を振り返って夏油と硝子に頭を下げた。
それから、廊下を歩いていく五条にもう一度追い付いて、彼の手を取った。五条の目が零れ落ちんばかりに見開かれて彼女を見る。

「五条くん、ありがとう」

五条は立ち止まって、しばらく動けなくなってしまった。ミズキがおずおずと心配の声を掛けている間、彼は思い出していた。彼女に一目惚れをした時、どんな気持ちだったか。




***

ネタポストより
『想い人の悟に告白されるも平凡な自分をからかっている(しょんぼり)と信じられない恋に臆病な夢主。 しかし悟はそれなら想いが伝わる(信じる)まで伝えるまでと態度や言葉で伝え続け、(からかいが続いていると)戸惑っていた夢主もだんだん愛を感じるようになりつつも信じなかった申し訳なさも感じ踏み出せずにいるところへトドメを刺され(←)実るお話』

すみません大幅改変しました。
他にも京都校所属の盲目夢主という設定でネタポストいただいてまして、すごく素敵な設定なので書きたいなー書き切れるかなーと練ってる最中なのですが、そちらと設定が混ざりました。
禪院家の落ちこぼれと五条悟ってめっちゃ美味しくない…?!って、思って…(などと供述しており)

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