青い雨の後D
五条先生による尋問が始まって、俺にはクッッッソ不快な内容なのでコーヒーを飲んでやり過ごすことにした。
俺と同じ年頃だったミズキさんが若い五条先生に恋をする場面なんか想像したくもない。その当時の俺がまだランドセルと乳歯を携えたガキだったことは、更に不快で考えたくない。
「ついでに聞くけど彼氏いたことないよね?お前」
作らせなかった、の間違いだろ。
「ない、です…その…ずっと片想い、だったので」
知ってる。ずっとそれを見てた。
五条先生が黙ったと思ったら、口元を手で覆って俯いていた。『考える人』みたいに。ミズキさんはそれを不機嫌と捉えて狼狽えてるけど、あれは照れだ。
クソむかつく。
最初から分かってた。
ミズキさんは五条先生が好きで五条先生はミズキさんが好き、何かのきっかけで疎通すれば後はって話になる。その中で、ミズキさんに片想いしてるだけのガキの俺が逆転するのは無理な話で、良くて間借りだ。
五条先生が長く息を吐いた後で、顔を上げた。
「ミズキ」
「、はい」
「改めて、どうしたい?」
学生時代からの恋を詳細に振り返った直後のこのタイミングで聞くかよ、と悪態のひとつも吐きたいところだったけど、まぁタイミングが違えど俺の不利は変わらない。
ミズキさんがテーブルの下、膝の上で拳を強く握り込んだらしいのが分かった。
「………最低なわがままを、言ってもいいですか?」
「いいよ」
ミズキさんが俯くとぽろぽろ涙が落ちた。
「恵くんと…離れるのは、いやです」
最初、俺のことを言ってると思わずに、一瞬遅れて気付いた。それでも聞き間違いかとミズキさんを見て確信を得ようとして、でもミズキさんは細い肩を震わせて泣くばかり。
「ほら恵、どうすんの?」
五条先生が頬杖ついて、軽く肩を竦めて見せた。
席を立つ。ミズキさんのすぐ隣に立った。
「ミズキさん」
ミズキさんはきつく叱られた子供みたいに俯いたまま。その丸い頭を、俺の胸に押し当てるようにして抱き締めた。髪が柔らかく指に当たる。
ずっと触りたかった。ガキの頃にはミズキさんの身長を早く追い抜きたくて毎日測ってた。
「好きです、ずっと好きだった」
ミズキさんはとうとうしゃくり上げて泣き始め、鳩尾辺りが服越しにじわりと温かくなった。
「じゃ、結論3人で付き合うってことで合意かな?」
「別にミズキさんは五条先生と付き合うとは言ってないと思いますけど」
「それ言ったらお前もでしょ恵、泣いてる内に囲って言質取んの」
「了解です」
手段は選んでられない。本当はミズキさんと一対一が理想だけど。
ずっと触りたかった柔らかい髪を撫でてると、ミズキさんが俺の腹の前で抑え気味に笑い始めた。
「お、いいね笑った」
「完全に泣き止む前に俺と付き合うって言ってもらっていいですか」
「ふ…っふふ、ふ」
確かに、頭の上でこんな間抜けな会話されちゃ泣いてられないだろう。でもそれでいい。
ミズキさんが俺の腹から顔を上げた。目元に涙の跡、それでもいつものミズキさんの笑顔だった。
「大好き」
これを、この一言を聞きたくてずっと、俺は。
その時いつの間にか詰めてきてた五条先生がミズキさんの肩を人差し指で叩いた。と思ったら見上げたミズキさんにキスをした。テーブルと椅子の背に手を置いて、低い窓を覗き込むみたいにして。
「ん。これからよろしくね」
「え、ぁ、はい…」
腹の立つほど清々しい笑顔で、五条先生は言った。
「ミズキさん怒っていいんですよ」
「や…えっと、びっくり、して…」
「でしょうね」
「ちょっとぉ恋人にキスして何が悪いわけ?それに付き合う前に押し倒してキスしたお前に言われたくねぇっつの」
「あソレ嘘です押し倒したのは本当ですけど」
五条先生はひとしきり目を丸くしてポカンとしていて、それから額に手を当てて大笑いし始めた。
落ち着いた雰囲気の店にそぐわないほどの馬鹿笑いを。先生が相当の金持ちでなければ店を追い出されていたような気がする。
俺とミズキさんは目を見合わせて、ミズキさんが『どうしよう』みたいな顔をしてるのに俺は返事として『放っときましょ』という顔をした。多分伝わってる。
「あー久々こんな笑ったの。弟子に出し抜かれてんじゃんウケる」
「良かったですね」
「ミズキ、恵にキスしてやったら?」
ミズキさんが咽せた。
「アンタ発言が飛ばし過ぎなんですよ。あと余計なお世話なんで黙っててください」
「えぇーでも3人でって具体的にはこういうことでしょ?その内セックスどうするって話もしなきゃだしさ」
ミズキさんが小さく「ひぇっ」みたいな声を上げた。五条先生には人のペースに合わせるという発想が無い、あるいは絶望的に不足している。
「ミズキさんのペースを考えてください。デリカシー無さすぎて嫌われますよ」
「ふーんお前がしばらくプラトニックで行くなら止めないけどさぁ、悠長にしてたらミズキは多分年齢のこと気にしてお前に裸見せるの嫌がり始めると思うよ」
「する時は俺が先でいいですよねミズキさん」
「手のひらぐるっぐるじゃんウケる」
ミズキさんは見てて可哀想になってくるほど真っ赤になって狼狽えていた。そして実際可哀想だけど、さっさと腹を括ってもらうしかない。
五条先生が「ミズキ」と呼んだ。
「これから色々大変かもしんないけど、僕も恵も執着心強いから覚悟しといてね」
清々しい笑顔を頬杖に乗せて、五条先生は言った。
ずっと、五条先生を見るミズキさんのことを俺は見ていて、でもミズキさんの視線が外れた隙にミズキさんを盗み見る五条先生のことだって見てきた。俺達はそれぞれにずっと長い片想いをしてた。全員の想いが折れずに輪になるなら、これで良かった。
その後俺は、ミズキさんからキスをしてもらった。柔らかくて温かくて、触れただけなのに甘かった気がする。
本当に良かった。
俺がミズキさんを押し倒したあの日に、強引にキスをしてしまわなくて、本当に。