青い雨の後C
※サラッとだけ欠損表現あります(すぐ治ります)
私の右脚は一度失われたらしい。
2級に上がって初めての任務だった。勝てない相手に当たって呪力も尽きて、意識を失う直前に自分の靴を履いた右脚が地面に転がるのを見たのと、誰かの声が私を呼んだのを朧気に覚えている。
次に目が覚めた時には高専の医務室にいて、白い天井と硝子さんが見えた。腕には点滴、3日眠っていたのだそうだ。硝子さんの口から、脚は完治していることと、それでも今後運動は制限されることが説明された。それをどこかテレビのニュースでも眺めるように聞きながら、私を呼んだ声は誰だったんだろうと考えた。
「五条だよ」と、硝子さんは私の心を読んだかのように言った。
「アンタとアンタの脚を抱えて半狂乱で駆け込んできた。珍しいもの見せてもらったよ」
五条さんが助けてくれた。
今私がここにいるのは五条さんのおかげ。その当時私は既に五条さんのことが好きだったけど、そこからはその慕情に崇拝めいた色が加わり、高専を卒業しても成人しても25を過ぎても続く長い片想いになっていった。
その五条さんが私を好きだと言う。
五条さんは誰にでも気さくだから『好き』が大きいのだと思っていた。その大きな『好き』のほんの一欠片を、他のみんなと同じだけ配ってもらえるならーーーあるいは、他の人達よりも少し多くもらえているんじゃないかと勘違いしそうになったこともあるけどーーーそれでいいと。
だけど、私は間違っているらしい。
「お前のことだから家族と同列の好きを想像してんだろうけど、違うからね。僕はミズキの服の下に触りたいし抱きたいと思ってるってこと」
恵くんと、同じことを。同じ下絵に二通りの色塗りをしたみたいに。
恵くんが話したのかと思ったけれど、直後、恐らくそれは無いと思い直した。恵くんが五条さんにそんな話をしているのは想像出来ない。それならこの、私のもらった言葉たちは、2人それぞれの本音だということになる。
顔に火がついたように熱くなった。私は酸素の足りない魚みたいに口をはくはくさせることしか出来なくなって、ただ五条さんを見る。
五条さんは首に手を当てて溜息をひとつ。
「恵も大体似たようなこと考えてんでしょ、意外と不良少年だからね。教え子に先越されたってのが僕は情けないけど」
やっぱり、示し合わせた言葉ではないらしい。
五条さんと恵くん、そのどちらもが、私とその…、したい、と、思っている。
すっかり男の人の顔をした恵くんの目を思い出した。
『俺はミズキさんの服の下が見たいし抱きたいと思ってますよ』
顔が熱くてたまらない。涙が出そう。
どうしたらいいのか、どうすべきか、何ひとつ思い浮かばない。
五条さんがピッと人差し指を立てた。
「やるでしょ、三者面談」
………、……五条さん、いま何て?
「で、主旨は何なんすかこのイカレ会議」
現れるなり、恵くんは五条さんのことを睨み付けた。
五条さんは三者面談を発案したその場で恵くんに電話をかけた。
「恵ちゃんヒマでしょ?偶には僕とアフタヌーンティーでもシバキに行かない?」
「行きません暇じゃないんで」
「ミズキいるよ」
「5秒以内に場所のURL送ってください」
以上、経緯のすべて。
正直戸惑う隙もなかった。
私が運転してきた高専の車を今度は五条さんが動かして、いつものあの渋滞はどこに消えたのかと不思議になるくらいスイスイと進み、「ここ美味しいよ僕の行きつけだから」らしい洋菓子屋さんに到着した。いかにもお得意様専用という感じの個室に通されて待つこと10分少々、恵くんがやってきてこの会議(ではなく面談らしいけど)の主旨を問うたのだった。
「ミズキさん無事ですか、五条先生に何もされてませんか」
恵くんはつかつかと詰めてきて私の手を取り、本当に傷がないか見るみたいに視線を滑らせた。
しばらく距離を置いていたから、間近に見るのは久しぶりになる恵くんの顔。何だか安心して懐かしくて涙が出そう。
「失礼だな何もしてねぇっつの。強いて言うなら告白したぐらい」
「やってんじゃないですか」
「お前が先でしょ」
「そうですね俺が先ですね」
「ムカつくー」
仲の良い様子には見えないけど息は合っている…五条さんと恵くんは、昔からこんな具合だった。
五条さんが私の手を握る恵くんの手の甲をペチッと叩いて座るように促して、恵くんは渋々という感じで円卓の空席に着いた。
真っ白なクロスの掛かったテーブル、漆喰の壁と窓のステンドグラスが素敵な部屋。
「まぁ言ったと思うけど三者面談ね」
「聞いてませんけど」
「そうだっけ?ま、名目は何でもいーよ不良少年」
「ミズキさん何頼みますか?」
恵くんがこちらを向いて、それでやっと自分もこの部屋にいるのだと思い出した…と言うと不思議だけど、本当にそんな気分だった。ひとつの素敵な部屋の中に、五条さんを好きで恵くんを大切に思う私と、私を好きでいてくれて恵くんの先生である五条さんと、私を好きでいてくれて五条さんに師事する恵くんが、円卓を囲んでいる。何がどうなって、こんなことになっているんだろう。仲良くはなくても息の合ったこの2人が、このことを理由に仲違いをしてしまったり、するんだろうか。
ひとまず各々が注文をしてそれが届き、アンティークな部屋にケーキと紅茶とコーヒーが加わったところで、五条さんは「まずは」と短く発した。
「恵、僕と付き合える?」
恵くんがお腹の底から「ハァ?」と嫌悪感たっぷりに吐き出した。
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ死んでも御免ですいくら払えばいいですかマジで」
恵くんの横顔に本当に鳥肌が立って、五条さんは「勘違いすんなよ」とケーキにフォークを入れながら溜息をひとつ。
「もし僕とお前がモメるのを気にしてミズキがどっちも選べないって言い出した時に3人交際案で逃げ道塞げるかって話」
五条さんその話私の前でして大丈夫です?
「それならアリです手段選んでらんないんで」
恵くんもそれ私の前で言っちゃっていいやつ?
「じゃ改めて、ミズキどうする?どちらか或いは両方、お好きにどーぞ」
五条さんが口からフォークを抜いて、私に向かってニッコリ綺麗に笑った。
『どうする』も何も、この一連の出来事について私に決定権があることだとか、どんな選択肢があるのかも、私は未だ上手く飲み込めていない。そもそも恵くんとこんな状態になったことで怒られるか軽蔑されると思っていた。
「ミズキさん」
恵くんが私を呼んだ。
「俺のこと嫌いですか?」
「…そんなわけない」
「いきなり男として見ろっても難しいのは分かります。でもここで俺が一回引いたらアンタ、俺が成人してもリトライさせてくんないでしょ。俺は諦めるつもりないんで、腹括って単純に俺を好きか嫌いか今判断してください」
確かに恵くんの言う通り、ここでいわゆる『大人の対応』をして恵くんの気持ちを受け流したら、大人になった恵くんからも私は逃げるだろう。
内実は、苦しみながら自分の気持ちと向き合った恵くんの方が既に私よりもよほど大人だ。
この中で心を定められないでいるのは私ひとりだけ、自己保身を手放せないでいるのは、私だけ。
緊張で喉の渇く思いがした。
「…、……私、ね」
恵くんがほんの少しだけ首を傾げる仕草で続きを促してくれる。
「何があっても…、恵くんのこと嫌いになんてならないよ」
今度は口端を浅く上げて、優しく目を細める。恵くんは心を許した相手には、すごく優しい。
「私ずっと五条さんのことが好きだったけど、恵くん達のお世話を引き受けたことに下心なんて、本当に、なかったの」
「は?」
声の方を見ると五条さんが紅茶のカップを持ち損なって手を半端に浮かしていた。
………じゃない、え、私いま、えっ、
あっ何か血の気が引くってこういう感じ?
「ミズキ」
「はっはい!」
「詳しく聞こうか」
………五条さん笑顔だけど何か怒ってませんか?
恵くんもしかしてそれ『あーあ』みたいな顔してる?