青い雨の後B


ミズキには言えなかった。
呪術師を辞めろという、ただそれだけの一言が。

伊地知には言えたし他の誰が相手でも躊躇はない。恨まれても死ぬよりマシでしょ、と全員に対して同じことを同じ温度で思っている。
ただそれをミズキには、好きな女の子には言えなかった辺り、当時の僕もそれなりに青い。恨まれるのが怖かったし、呪術師として見込みが無いわけでもなかった…と言うと、贔屓目になってしまうけど。とにかく僕はミズキに引き際を与えてやらず、その結果彼女は右脚を失った。
硝子のおかげでほぼ元通りにくっつきはしたものの、運動は制限されるしミズキの膝上には薄ピンクの傷跡が一周残っている。


任務終わりに映画館に寄れと無茶を言って、車で映画1本分待機しようとしていたミズキを道連れにした。
自分から観ようとしたんじゃない映画なんて観る気がしないだろうと僕は思うけど、ミズキは真面目に展開を目で追っていた。僕はというとその姿を眺めてばかりいる。僕には狭い映画館の座席もミズキが座ると大きく見える。大きな目にスクリーンが反射してチラチラ動く。驚いた拍子に『あっ』という形に唇が開く。

『押し倒してキスしました』

恵の声が映画館に響いたような気がした。

エンドロールが終わって明かりがついて、周りが捌けても、僕はまだ座席に身を沈めていた。何も映っていないスクリーンを今更熱心に見るフリをして。
ミズキが僕の様子を窺いながら、おずおずと切り出した。

「五条さん、車を回してきましょうか」

答えない。

「夕飯はどこかに寄りますか?」

答えない。

ミズキが駄々っ子を扱いかねたみたいに(事実そうだ)困った顔をして、座席から腰を浮かした。その腕を捕まえて座らせ、身を乗り出して、ミズキにキスをした。柔らかい。大きな目が僕の眼前で更に大きく丸く見開かれて、数秒遅れで状況に追い付いたらしいミズキが僕を押して距離を取った。

「なっなに、を、」
「何って、キス」
「どうして」
「恵には許したのに?」

恵には許したのに、僕には理由を求めるの?
ミズキはどうして僕が知ってるのか、みたいな顔をして唇をわなわなと震わせた。いつも可愛いミズキの顔が、この時だけは憎らしいような気さえした。恵とキスをした後はそんな顔しなかっただろと思うと更に。
ところがミズキの目から涙が落ちて、その瞬間目が覚めた。頭から氷水でも被ったみたいに。

「…っ失礼します!」

ミズキは走り去った。今度は僕が避けられる番。
座席の背凭れに頭を預けて前列の座席の下に足を突っ込んで、脱力した。

「畜生」

呟いた罵りは伽藍堂の中、腐った果物みたいに落ちた。



翌日からキッパリ避けられるだろうと思ってたけど、意外にも接触頻度は減らなかった。考えてみると、術師からの指名を補助監督が断る上で2級と特級の差は大きいんだろう。
ただ僕の送迎をするミズキは極めて事務的って感じで、柔らかく笑うことも僕の話にくるくる表情を変えることもない。これがまぁ、物理的に距離を取られるよりも堪えた。

今日も、運転席のミズキは事務的な相槌を打って淡々と目的地へ僕を運ぶだけ。目的地に着くと任務の概要を暗唱して帳を下ろし、僕を送り出した。帳に入る。とぷん…と、水の中に入るような肌触り。ミズキの帳は僕に心地良い。

呪霊を祓うのは一瞬で終わったからさっさと戻ればいいんだけど、ミズキの帳を上げるのが惜しいような気がして、しばらくの間その夜の中に身を浸していた。
数分後、休憩を切り上げて帳を出るとミズキの目が僕を見上げた。

「…お怪我はありませんか?」
「ん、ないよ。いつも通り」
「そうですか…少し時間がかかったので、想定外のことがあったのかと」

そう言って、ミズキの口元が安堵に少し緩んだ。この子は、どこまでも優しい。泣きたくなるほど。僕を許そうとしている。見限ってしまえばいいのに。

「ごめん」

ミズキが小さく首を傾げた。

「ミズキの帳、好きなんだよね。居心地いいから中でちょっとサボってた」

ミズキがふっと笑う。

「五条さんは忙しいですからね。お役に立てて良かったです」
「ごめんね」
「もういいですよ」
「映画館のこと」

ミズキは一瞬ぎくりと身を強張らせて、それからまた、「もういいです」と言った。

「もういいって言われるとさ、有難いけどちょっと複雑なんだよね。僕としては脚のことも含めて責任取りたい所存なんだけど」
「脚ですか…?これは私の実力不足が原因なので、五条さんのせいじゃないです」
「本当は伊地知に言ったのと同じタイミングで辞めさせてやるべきだったんだよ。ミズキに嫌われるのが怖くて言い損ねた」

優しい言い方なんか分からなかった。決断の後押しをするなら僕を恨ませるのが手っ取り早くてずっとそうしてきたから。
ミズキはほんのり困ったような、或いは悲しいような静かな笑い方をした。

「…五条さんのことを、嫌いになんてならないですよ」
「嬉しいね」
「あっ信じてない」
「だってさぁぁぁ?」
「本当ですよ」

「本当に」と、ミズキは重ねた。目を伏せて。長い睫毛が頬に影を作った。
この子のこういうところが、心の底から優しいところが、諦め難く好きなんだと今更実感する。もう何年片想いしてんだか、踏み出せないまま足が根を張ったみたいだ。
今まで、踏み出さなくても手の届く距離に、ミズキはずっといてくれた。恵と津美紀の世話に巻き込むまでもなく。
でもそれはとても不確かで簡単に奪われてしまう。恵によって、或いは他の、ポッと出の男によって。冗談じゃねぇ、フザケるなよ。

根、か。

引き千切っちまえ。

「好きだよ」
「嬉しいです」
「あっ信じてないね」
「信じてますよ?」

じゃ、分かってない。
僕の『好き』はミズキの思うような穏やかで温かいものじゃなくて、欲望と呪いを煮詰めたようなそれだ。

「ついでに今から言うことも信じてよ。お前のことだから家族と同列の好きを想像してんだろうけど、違うからね。僕はミズキの服の下に触りたいし抱きたいと思ってるってこと」

ミズキのことだからすぐ真っ赤になるかと思ってたけど、どうも驚きの勝ったような顔をしていた。それでもやっぱり徐々に赤くなって狼狽え始め、結局まともに喋れなくなってしまった。
まぁ、想定内。

「恵も大体似たようなこと考えてんでしょ、意外と不良少年だからね。教え子に先越されたってのが僕は情けないけど」

一度言ってしまえば口はよく回る。ミズキが泣きそうに真っ赤になってるのが可哀想で可愛いと思える余裕だってある。
僕はミズキに嫌われてはないと思うけど、恋人となると、どうかな。ミズキのことだから恵の気持ちも無下に出来ずに、師弟の仲を裂いただとか余計な心配もするだろう。

となれば、

「やるでしょ、三者面談」

ミズキは大きな目をぱちくりして(はい可愛い)不思議そうな顔をした。
面白くなってきた。



***

三者
・学生
・保護者(と思われてない)
・保護者(と思われてない)兼担任の先生
※ただし三角関係とする

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -