恋愛不耐症


好きだったのかどうかすら、正直分からない。非術師だった。
任務の成り行きで助けた男性に連絡先を聞かれてあまりの熱意に折れて、それから。熱心に口説かれ会う度プレゼントを渡されて舞い上がった自分が情けない。相手は歳上で、歯の浮くような台詞をさらりと言えてしまうような人だった。

つまり遊び人だと初見で気付くべきだったのだ。
幸い、詰めの甘いタイプだった。私との待ち合わせの直前まで他の女性と会っていて、キスをして別れた直後に私に『もうすぐ着くよ』とメールをする一連の流れを目撃されていると気付かないくらいに。返事をしないでその場で着拒、高専に帰る道すがら少しだけ泣いた。

それが、2年前。





ミズキが恋をしている。そのことに気付いた瞬間の感情をきっと私は生涯忘れ得ない。
高専に入学して以来ずっと好きだった。他よりも特別親切にしたし、ミズキも私のことを信頼してくれたと思っている。それでも、万一にも失敗するのが嫌で『未満』の間柄に甘んじた結果がそれだったのだ。ミズキが、私じゃない他の男に恋をした。しかも相手は猿だった。私が長期任務で不在にしている間に、大切なミズキに、猿が触れた。

一度意を決して「その人のこと、好きなの?」と尋ねた。ミズキはほのかに顔を赤らめて「そんなんじゃないよ」とはぐらかす。
私が呪術師でなかったら呪霊の1・2体は生み出していただろうというほどの、激しい憎悪だった。

不幸中の幸いとしてその猿は早々に本性を現して、ミズキに雌猿との浮気を見られるという間抜けをやってくれた。傷心のミズキを優しく慰めて今度こそ私を見てもらうと心に決めた。

それが、2年前。





高専を卒業して、東京校所属の呪術師になった。
在学期間の最後は座学なんてほとんどなく任務三昧だったから生活の変化はあまりなくて、変わったといえば寮を出たことくらい。
準1級になった。夜蛾先生…じゃない、学長は褒めてくれたけど、同級生に2人特級がいる身としては素直に喜べない。

用事を済ませて高専から帰宅するために乗降場に行ったところで、偶然、夏油くんと鉢合わせた。
特級術師というある意味呪術界の頂点にいながら周囲への優しさを失わない、稀有な人。

「ミズキ!」

その稀有な人が私の顔を見てパッと笑った。

「久しいね。報告かい?」
「うん、ちょっと」
「昇級したんだろう?おめでとう」

こういうところだ。夏油くんは気が利くし、スマートに人を褒める。

「今日この後時間はあるかい?最近気になってる店があるんだ、お祝いを口実に付き合ってほしいな」
「口実って言っちゃうんだ」
「勿論心からお祝いするさ。ねぇダメかな?」

ダメなわけがないし、ダメだったこともない。
学生の頃からいつもこう、夏油くんは私にメリットしかないことを『ダメかな?』なんて言ってお願いしてくれる。そういう人なのだ。
私が了承すると夏油くんは「5分で戻る」と言い置いて教務室の方へ駆けていった。

いつもこんな風に、彼は私を甘やかす。もしかして他の誰より特別に優しくしてもらっているんじゃないかと自惚れそうになって、そんなはずないと、私は自分に言い聞かせることしか出来ない。





「美味しい」
「だね、当たりだ」

まぁ、下見済みなんだけどね。
ミズキと食事を出来る機会に初めての店でハズレを引くのは嫌だから、ミズキが好みそうで下見済みの店はまだいくつかストックがある。

わずかにグラスを傾けて口を湿らせる程度に酒を含んだミズキを、うっとりと眺めた。
身持ちの固いミズキが2人きりを許す異性は少なく、その狭い枠の中に私がいるという自覚がある。同期の特権というやつだ。

「夏油くんは美味しいお店見付けるのが上手いね。ここだって看板小さいのに」

大通りに面して賑わう店より静かで落ち着ける店を、ミズキが好むから。そういう店に嗅覚が働くようになった。

「ミズキの好きそうな店だなって、自然と目に留まるだけだよ」
「、ぇっうん、ありがと…」

ミズキがほんの少し表情を強張らせた。まだ駄目か…と内心で溜息を吐きつつ、以降は優しい同期に徹することにする。
ミズキは私が口説くようなそぶりを見せると守りに入ってしまう。それはひとえに猿ごときに弄ばれた後遺症であって、私はその壁が崩れるのを、ずっと待っている。





夏油くんの言葉が怖いことがある。

「ミズキの好きそうな店だなって、自然と目に留まるだけだよ」

こんな風に女性が喜ぶようなことを、夏油くんはさらりと口にする。
やめて。『あの男』と同じようなこと言わないで。
もちろん夏油くんに他意は無いのだろうし、そもそもあの非術師と違って夏油くんは出来た人だから重ねる方がおかしいとは分かっているけれど。
それでもやっぱり、夏油くんが女性にしか向けないような優しいことを言うと、私は身構えてしまうのだ。耳触りの良い言葉の裏側には毒があるかもしれない、そもそも自惚れで恥をかくだけかもしれない。

幸い思わせぶりな発言はこれきりで、夏油くんはすぐに気さくで優しい同期に戻ってくれた。
我儘な自覚はある。優しくされるのは嬉しいけど女性扱いされたくない、なんて。

夏油くんがぐっとお酒を呷った。





「や」

私が軽く手を上げると、ミズキは目をぱちくりとした。何やっても可愛いな。

「夏油くんもこの辺で任務?」
「ううん、ミズキに同行」
「………んんんちょっとよく分かんない」

だろうね。私の職権濫用の結果だから。

ミズキと食事をしてから数日後、夕暮れ時にこれから任務の彼女と合流した。
ミズキはスマホで任務の概要を見直してやっぱり首を傾げている。特級術師が必要になる要素は多分そこには載ってないと思うな。

「今日はもうこの任務で上がりだろう?さっさと片付けてまた食事に誘おうと思って」
「また?何だか夏油くん私のこと養おうとしてない?一応お金には困ってないよ?」
「それは承知の上だよ。でも養うって響きはいいね」

正直なところ、養わせてほしい。ミズキを猿の目に晒さずに済むし、家で待っててくれると思えば任務も苦じゃないし。
ただそれを吐露すれば引かれること請け合い、今はとにかく頻回に彼女の壁をノックする必要があるというところだ。

ところが、任務を終えて補助監督の車に乗り込んだタイミングで手持ち呪霊を通じて吉報を得、ミズキに気付かれないように緩む頬を内側から噛んだ。機が熟したというやつだ、状況が変わった。

補助監督に行き先を指示した。

「あっ今回もお店決めてくれてるの?」
「うん、勝手にごめんね。和食なんだけど嫌じゃないかな?」
「夏油くんの見付けたお店で嫌だったことなんて今までないよ」
「嬉しいね」

本当に、嬉しい。





夏油くんが連れてきてくれたのは、半地下になった静かな和食屋さんだった。店へ降りていく外階段の最初に紺色の暖簾が掛かっていて、店名はその暖簾の端っこに小さく書いてあるだけ。知らずに通りすがったら確実に見逃してしまうし、目に留まっても1人で入る勇気は私にはないようなお店。

そのお店にいざ入ろうとした時、私の名前を呼ぶ声がして瞬時に怖気が立った。長らく聞いていなかったあの男の声だった。
どうしてこんな嫌な偶然なんてあるんだろう、私の顔は明らかに引き攣っているだろうに、男はふらふらと近付いてきた。その肩には蝿頭が何匹もしがみついている。

私の態度を見て夏油くんが遮るように一歩進み出てくれた。

「悪いけど、彼女に近寄らないでもらえるかな」
「あ"っ?!お前誰だ、どけよソレは俺の女だぞ!」
「妄想じゃないか?どう見ても釣り合いが取れてないよ」
「うるせぇ!いいからどけっ!!」

男は伸びっぱなしの髪が絡み、髭もまばらに伸びて口周りに砂が付いたよう、歯が何本か無かった。浮浪者と区別のつかない見た目になって、気障だったかつての面影はほとんどない。一瞬でもこんな男に恋の真似事をしかけた自分が恥ずかしいくらいだった。
夏油くんが私を庇いながら、振り向いて困ったように笑った。

「ミズキ、この男君の知り合いだって言い張るんだけど、本当かい?伸しちゃっていいかな?君のことを口説きたい立場の私にはとても気に障るんだ」
「え…っぅ、ん?」

夏油くん、今なんて?

「伸しちゃっていいってさ。お店に迷惑だから少し離れようか。ミズキは先に店に入って…あぁ、コレのせいで嫌な印象付いちゃったかな?他の店にする?」
「ぇ、や…平気…」
「そう?じゃ夏油の名前で予約したから、先に入ってて。私もすぐに行くよ」

夏油くんは男の首根っこを掴んで涼しい顔で歩いていってしまった。私は、ぼんやりとしたまま半地下のお店に降りて、感じのいい店員さんに夏油くんの名前を伝えて個室に通された。
何だか頭が上手く回っていない。あと、顔が熱い。





キィキィとガラスを引っ掻くような声が心底耳障り、だけど煩わされるのはこれっきりだと思えば心が弾んだ。

「クソッ!放せっ放せぇっ!」

お望み通り放して足を払った。無様に転んだ猿が起き上がろうとしてまた倒れ、足を見て悲鳴を上げた。踝の上辺りまでを私の手持ち呪霊が飲み込んでいるから、起き上がるのは難しいだろう。

「う…っぅあ、ぁあああ"っ!?」
「うるさいな猿が」

口にも1匹突っ込むとようやく静かになった。

「私がお前のことを何故今日まで生かしてきたと思う?」
「…っ?!ぁ"……、っ」
「あぁ、答えなくて構わないよ。正解はね、お前の負の感情の濃度が規定値を超えるのを待っていたから。こっちは一応規定に縛られた身なもので、非術師に手は出せないんだ。だけどね、呪霊を生み出しかねない濃度に達した場合には止むを得ない場合に限りトリアージする権限が、1級以上の呪術師には与えられてる。あ、トリアージって分かるかい?」

猿が頷くような首を傾げるような、微妙な反応をした。まぁ、どちらでも構わないが。

「これまで骨が折れたよ。手持ち呪霊だと残穢も付けてしまうし、その辺で蝿頭を見付けては私の痕跡を残さないようにお前のところまで運んだ。私が手ずからだよ?蝿頭はどこにでも湧くイメージだったけど、いざ探すと意外にいないものだね」

猿の足に食い付いた呪霊はそろそろ膝に達するというところ。

「ここまで身を窶したお前の姿を見たら、ミズキだって過去のことは悪い夢だったと思うだろう?或いはまだ時間がかかるとしても私のストレスが除かれる…後は私が優しく口説くだけだ」

猿は全身を飲み込まれる時点でもまだ絶命していなかった。望ましい死に様とは言い難いけど、ミズキを弄んだ報いとしては軽すぎるぐらいだ。





夏油くんはものの数分で来てくれた。

「もう二度とミズキに近付くなって言い含めておいたよ。分かりが悪いから思わず一発殴ってしまったんだけど、良かったかな…?」

悪戯がバレた大型犬みたいに困った顔を、夏油くんはした。私はただ首を横に振るばかり。

「全然、むしろごめんね…迷惑かけちゃって」
「それこそ全然だよ。…ねぇ、嫌なことを聞くんだけどもしかしてあの男、高専の頃に…」

過去の恥を夏油くんに知られるのは居心地が悪かったけれど、その推測を私は肯定した。
呆れられるかと思っていたら、夏油くんは意外にもムッとした顔で綺麗な鼻筋に皺を寄せた。

「もう一発殴れば良かったな」
「え…ふふっ充分だよ、スッキリした。ありがとね」
「そう?私はまだスッキリしてないな。あの男がミズキを傷付けたせいで私は何年も告白させてもらえなかった」

間抜けに「え」と零した私の手を、夏油くんはテーブルの上で捕まえて、指先を優しく撫でた。大きくて皮膚の固い、男の人の手。不思議と怖くはなかった。
「ねぇ」と夏油くんが私を覗き込む。

「そろそろ、好きだって言わせてくれないか?私は好きでもない女性を食事に誘い続けるほど遊び人じゃないよ」

また顔が熱い。
どんな見た目になっていることか自分で分からなかったけれど、夏油くんは私の様子を見て満足そうに目を細めた。



***

ネタポストより
高専時代で傑と両片想い。 過去にその優しさから信じきっていた想い人に裏切られ傷付いたことがあり異性からの優しさに疑い深くなっている夢主、夢主のことが好きゆえにしている傑の言動も極上ゆえさらに疑ってしまい…(そんな夢主の過去を知り元凶を「猿め」と罵りつつ)傑が頑張ってくれて結ばれるお話。

『頑張って』の部分がめっちゃ暗躍になりました。そして捏造呪術規定スミマセン。
最後の夏油さんの台詞は宇多田ヒカル【Play a LoveSong】から。

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