恋猫の献身 その後
※恵ママが声だけ出演します。
カーテンの向こうではもう日が高いのに、身体が心地良く重くて、微睡から抜け出せない。
体温に馴染んだシーツ、するすると気持ちいい。
部屋の外に「ミズキ様はまだお休みですか」と誰かの声が遠い。
「うん。明け方まで抱いてたから寝かせてあげて」
悟さんの声。
悟さんはベッドの中でどんな風にしたとか、何回したとか、そういうことを平気で周囲に話してしまう。恥ずかしいって言ってるのに…と不満を伝えたかったけど、眠気が勝ってしまった。
悟さんと結婚をして、猫の国に移り住んだ。
綺麗なお城に広いベッド、シルクのシーツが敷かれていて、悟さんが毎晩私のことを撫でてくれる。悟さんの手にはきっと人を気持ち良くさせる魔法が宿っていて、触れてもらう度、私は喉を鳴らして受け入れることしか出来なくなってしまう。そうしたらもう、撫でるだけでは終わらないのも毎晩のこと。
日中は、何か仕事がしたくて伊地知くんに相談して簡単な事務仕事を任せてもらっているけど、「陛下(悟さんのことだ)の相手をしてくださるだけで、もう足を向けて寝られないほど有り難いことなんです」と言って最初は中々仕事を渡してくれなかった。私と結婚して悟さんがかなり落ち着いたと聞くから、その『かなり』の含みが気になるところだ。
私がやっとベッドから出たのは、お昼を過ぎた頃だった。
ぼんやりとベッドを覆う天蓋を見上げ、裸のまま床に足を下ろす。部屋から直接繋がるバスルームに入って温いシャワーを浴びて、やっと少し頭がはっきりした。耳にシャワーが掛かるのにはもう慣れた。尻尾の先から水滴の落ちる感覚にも。
この国ではみんな、思い思いの姿で過ごしている。四足歩行の猫、二足歩行の猫、猫の割合高めの獣人、人の割合高めの獣人、そしてヒト。悟さんはヒトの姿でいることが多くて、私は人の割合高めの獣人といったところ。それには一応理由があって、悟さんを始め力の強い人たちほどヒト型でいるのが容易なのだという。それで、住まいや衣服の作りがヒト仕様なのだ。このシャワーだって、四足歩行の猫だとコックを捻るのが中々難しい。
ふわふわのタオルで髪を拭きながらバスルームを出た。私の動線を把握してるかのように絶妙な位置に服が用意されていて、それを身に付けて部屋を出る。前に自分のために用意されたものと気付かないで他の服を着たら、悟さんに「なんで??」と首を傾げられてしまったことがある。
えっじゃあ悟さんが選んでるの?下着も?と尋ねたら、悟さんは何故尋ねるのか不思議とでも言いたげな顔で「だって夜になったら僕が脱がせるんだから、僕が自分の服を選ぶのと一緒でしょ?」と謎理論を展開した。
外廊下を少し歩いて椅子に掛けた。柔らかい風が心地いい。ぽかぽかの日差し、猫じゃらしがそよいでいる。くぅ…と小さくお腹が鳴った。
「随分主張の弱い腹の虫だな」
男性の声、直後に暗転した。
ハッと気付いた時には揺れる麻袋の中だった。咄嗟に猫の姿になっていたから袋の目に爪を立てて裂こうとすると、「やめとけよ、前足折ることになっちまうぞ」と声がした。
広い背中に袋越しに接している。私を入れた麻袋を背負ってこの男はどこかへ移動している。
以前に冥さんが私を攫った時よりも随分乱暴で、まずい状況だということだけが分かる。
腹いせに背中を引っ掻いてやろうかと思ったけどやめておいた。本能的に、この男には勝てないし逃げおおせるのも無理そうだと分かったから。
しばらく移動した後、突然袋の口が開いて、大きな手が私の首根っこを掴み引っ張り出した。眩しさに目が眩む。一生懸命身体を捩って手から逃れて床に着地、咄嗟にソファの下に潜り込もうとしてまた同じ手に首を掴まれてしまった。
「じゃじゃ馬だな、大人しくしとけば殺しゃしねぇよ」
シャーッと威嚇してもどこ吹く風、その男は私を顔の前にぶら下げて面白そうに笑った。笑った拍子に、男の口端を跨いで走る傷がつられて歪んだ。
「甚爾君おおきに。相変わらず惚れ惚れする仕事ぶりやわぁ」
声がするまで気付かなかった。部屋の中にはもう1人男がいて(完全なヒト型)、明るい茶色の髪で耳はピアスだらけ、和服の下にボタンダウンシャツを着た書生みたいな服装をしていた。
ピアスの男が私のことを覗き込んで無遠慮に見た。ニィ、と目が細まって私を値踏み…いや見下している。
「きみが悟君の猫なん?何や思ったより貧相やね」
私は考えるより先にピアス男の顔に爪を立てていて、男の吊り目のすぐ傍に赤い線が走った。私を攫ってきた男が笑った。
「男前が上がったじゃねぇか良かったな」
「甚爾君の前で恥かかしよってこのアマ…生爪引っこ抜いたろか」
ピアス男がこめかみに青筋を立てた。
その時、口に傷のある男が私の首をパッと放して、私は4本脚で床に着地するとすぐさまソファの下へ逃げ込んだ。傷の男、私では絶対に勝てない隙のない相手だけど、私に対する悪意は感じない。
「直哉、先にカネ頼むわ。これ以上五条の坊と関わりたくねぇからな」
「せやね、おおきに甚爾君。後はコッチで、」
「コッチで、僕のミズキに、何するつもりだったのかだけ聞こうか」
悟さんの声。
いつも音もなく現れる。見ると本当に悟さんの大きな足が傷とピアスの間に増えていて、ソファの下から顔を出すと悟さんが私を見付けて笑ってくれた。
「ミズキ、怖かったでしょ。おいで」
タタッと足元に至って、一度の跳躍で悟さんの腕に飛び乗った。悟さんは私のことを丸く抱っこして、指で喉元を擽ってくれる。悟さんの手に触ってもらっただけで、私は崩れてしまいそうに安心した。この腕の中は、私には世界でいちばん安全なのだ。
「よしよし可哀想に、怖かったよね。待っててねすぐこのクソ猫どもの腹にお揃いのでっかいピアスホール作ってやるから」
私に笑顔で宣言するなり、悟さんは空いた方の手で人差し指を立てた。すぐにその指の先に赤い光の塊が現れて強い風が渦巻き始める。冷や汗顔の2人に対して「お前ら一列に並べよ、その方が手早く済むだろ」って…悟さん見た目よりキレてる?伊地知くんの言ってた悟さんがかなり落ち着いた…という、その『かなり』の前を垣間見た気がした。
「ま、冗談だけどぉ」
悟さんが手の形を崩すと赤い光はすぐに跡形も無く消えて、不穏な嵐みたいな風も止んだ。悟さんはポケットからスマホを取り出して、傷の男に画面を向けた。男が、無言のままに今までで一番動揺した。
「甚爾君」
悟さんのスマホから女性の声がする。
「ちょっとお話があるからすぐ帰ってきてもらえる?」
傷の男…トウジさん?は目を泳がせて、信じられないくらい小さな声で「ハイ」と言った。えっ今のこの人の声?っていうくらいの、小さな声。
「悟さん…電話の方は…?」
「うん?あぁ、このオッサンの奥さんで、恵のお母さん」
「ぇ…えっ?」
恵くんのことは、良く知ってる。悟さんの部下で、黒髪がツンツンとして、いつも冷静だけど周囲への気遣いが出来る男の子。の、お母様、が、奥様…ってことは、恵くんのお父様…?
どういう経緯で今回のことに加担したのかは分からないけれど、とにかく、恵くんのお母様からの電話は鶴の一声になった。トウジさんは目に見えてシュンとして、筋骨隆々の身体を萎ませて帰っていった。その後ろ姿は何だか可哀想にすら思えてしまった。
首謀者と思われるナオヤ?さんの方は、悟さんが「ちょっとお灸を据えてあげる」らしい。私は駆け付けてくれた傑さんに身柄を託され目を塞がれているので、その有様は見えない。
何でもナオヤさんは禪院という名家の出身で、悟さんのつがいが人間上がりなのは承服できぬということで今回私を誘拐したらしい。
「禪院っていうのは昔からそういう家でね、時代錯誤でうるさいんだ。だからミズキが気にすることは何もないさ」
「そっか…ところで傑さん、私まだ何も見ちゃだめですか?今すごい音しましたけど」
「大丈夫そろそろ終わるよ。奴の腹にマンホールぐらいの穴が空く」
「それ大丈夫じゃないです。悟さぁん」
傑さんの腕の中から一声呼ぶと、すぐに大きな音は止んで悟さんの上機嫌な声が近くまで来てくれた。悟さんの腕に移る。
「待たせちゃってごめんね、そろそろ帰ろうか」
「もうヒト型に戻ってもいい?」
「んー…だぁめ。直哉はムッツリだから見せたくない」
見る余裕は、無さそうに思うけど。
お城に戻ると床に下ろしてもらって、私はやっとヒト型に戻った。私はリラックスすると耳と尻尾が出る。鏡に映った自分に髪と同じ色の三角の耳があることにも慣れて久しい。
鏡の中に悟さんが突然現れて、私のことを後ろから抱き締めてくれた。
「ハー…僕の可愛い奥さん、怖い思いさせてごめんね。猫の姿だって他の男に見せたくなかったけど、ヒト型はもっと嫌。だってこんな可愛いんだよ、カス猫が発情しちゃったら大変だもん」
発情…するかな?ナオヤさんは私のこと『思ったより貧相』って言ってたけど…でも、ナオヤさんに対する悟さんのキレっぷりを思い出して何となく黙っておいた。
その時私のお腹からきゅぅ…と音が鳴って、そういえばずっとお腹が空いたままだと思い出す。悟さんが部屋の外の誰かへ軽食の用意を言い付けてくれて、ほどなくしてお茶とお菓子を運んで来てくれたのは、恵くんだった。恵くんは入室してお茶の支度を済ませると、私に向かって深く頭を下げた。
「この度は…俺の関係者が迷惑掛けてすみませんでした」
「恵くんが悪いんじゃないから謝らないで。お父さんも反省してる感じだったし…」
「父親ではないですね。ただの迷惑なギャンカスです」
「父親ではないです」と恵くんは念押しまでした。え、でもあんなにそっくりなのに…?と私が混乱していると、悟さんが「恵ちゃんは反抗期だからねぇ」と効果的に逆撫でしてしまう。
恵くんは床に膝をついたまま、悟さんのことを睨み上げた。
「大体アンタがミズキさんのことを他の連中に見せたくないとか我儘言って結婚式も内輪に留めたのが悪いんですよ。仮にも国王なんだから内外へのパフォーマンスが必要なことぐらい分かるでしょ」
「正論可愛くなーい」
「可愛くなくていいです一切。ミズキさんの立場を確立するために検討してください」
私にも耳の痛い正論だった。悟さん自身のこと以外ほとんど何も知らないで結婚したけど、このままでは納得しない人がいるのは当然のこと。
恵くんが退室した後、悟さんは山と積まれたお菓子の中から小さなエッグタルトを摘み上げて口に入れた。もぐもぐする間だけ悟さんの口元やほっぺが可愛らしく動いていて、飲み込むとまた不機嫌な様子に戻った。
「…ミズキは気にすることないんだよ。律儀にパフォーマンスしたって文句言う奴は言うし」
「じゃあもう一回ウェディングドレス着たいって言ったら、悟さん叶えてくれます?」
私が言うと悟さんは一瞬目を丸くして、それから破顔して、ちゅっちゅと何度も私にキスをしてくれた。さっきのエッグタルトの味の、甘くて、幸せなキスだった。
翌月、2回目の結婚式が今度は盛大に執り行われた。
最初の式で着たドレスがとても綺麗で大好きだったから、1回着たじゃ勿体ないと思っていたのだけれど、今度の式ではまた違うドレスが用意されていて(しかもまた可愛い)びっくりした。
こんなにたくさん人…というか猫、がいるんだというくらいに、列席者も観衆も多かった。悟さんは式の間中ずっと私の腰を抱いてくれていて、すごく安心したし緊張しないでいられた。…悟さんが時々内緒でちょっといやらしい触り方をしようとすることを除けば。
まだギプスの取れないナオヤさんも列席者の中にいた。目が合って会釈すると、ナオヤさんは顔を赤くして口をはくはくとさせていた。
何か怒らせてしまったかしらと思って式が終わってから恵くんに相談すると、「それ五条さんには言わない方がいいですね死人が出るんで」と不穏なアドバイスがあり、黙っておくことを固く誓った。
その直後、仕事の用で出ていた悟さんが戻ってきて私がヒヤリとしたのも束の間、悟さんは重いドレスの私を抱き上げていつもの寝室に向かう。いつもの天蓋を見上げながら、いつも通り悟さんの手に撫でてもらって、そうしたらもう、撫でるだけでは終わらないのもいつものことなのだ。
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ネタポストより『恋猫の続き』でした。
楽しく書かせていただきました!
直哉さんは猫より狐ぽいですが、世界観を広げすぎると書きこなせないので全員猫です。禪院猫です。甚爾さんはノルウェージャンフォレストキャット、直哉さんは何か高そうなやつ。