或る日陰の種
見た瞬間『げっ面倒臭』、これだった。
ミズキは七海・灰原と同級の後輩で、それを任務の成り行きで助けて「あー生きてる?」と振り返った瞬間の話。
その顔が分かり易く俺に恋をしてたから。
顔がいい自覚はある。今までに何度も軽くて浅い恋をされて、その度始まり方は色々だけど終わり方は大抵同じ、あっちが勝手に期待して妄想して幻滅して呪詛を撒き散らかして去っていく。迷惑極まりない。だから『面倒臭』、これしか感想は湧いてこない。呪術師の狭い世間でコレをやる馬鹿がいるか。
「五条先輩…あっありがとう、ございました…!」
後輩が瓦礫の中に尻餅ついてたからとりあえずで差し出した手を、やっぱり引っ込めた。やめとこ、面倒臭いから。どうにか自力で立ち上がったミズキが足を庇ってることには気付いたけど、早めに幻滅してもらおうと思ってサッサと現場を離脱した。
別にミズキが不細工とか範囲外とかそういうわけじゃないけど、生活圏の近い奴はフィルターに掛けたくもねーの、分かってくれ。好きになるなら傑とかにしろ頼むから。
と、願ってみたものの、翌日からまぁ挨拶みたいに告白が飛んでくるようになった。…いや違うな、挨拶みたいにっつーか挨拶と一緒にだ。「おはようございます五条先輩、今日も素敵」って具合に。
分かり易く雑な返事をしてるのにミズキがめげないから、段々俺もキツく言ったり避けたりするようになる。
「お前さ脈ナシってさすがに分かるだろ?他当たれ他」
シッシッと犬を追っ払う仕草まで見せたのにミズキは「そうですねぇ」と笑った。ダメだ分かってねぇ。
「脈のありなしで好きな人を選んでないですから」
「ハイハイ健気の無駄遣いな」
ミズキはまた「そうですねぇ」と笑った。おーい先輩の親切心を無下にすんなよ。
ある朝、寮の談話室に降りると他校の制服を着た傑が七海灰原に囲まれていた。
「え何、コスプレ?」
「いきなり失礼だな…おはよう悟。任務だよ、潜入というか囮捜査」
「はよ。囮にしては不自然過ぎじゃねーの?」
ボンタン姿を見慣れてるせいで違和感がデカい。ありふれた紺のブレザーとスラックスがリーマンに見えんだけど。渋谷とかで石投げりゃ当たるような学生に紛れるなら、もうちょっと人選あるだろ。
灰原が朝から元気に「1級案件なので!」と言った。
「ミズキだけだと危ないけど、夏油さんがいれば安心です!」
「は、アイツも行くの?1級なら傑1人で余裕じゃん」
「学生カップルばかり被害に遭ってるんだよ。だから囮捜査」
安いラブコメみてぇ。
聞けばこの2ヶ月の間に夕方から夜にかけて学校帰りの男女3組が行方不明になったらしく、傑とミズキでその時間帯に適当に歩いて呪霊が引っ掛かるのを待つ、と。
その時談話室のドアが開いて、傑と揃いの制服を着たミズキが入ってきた。すぐに俺の姿を発見して目を輝かせる。
「五条先輩っ」
「ハイハイ、任務だってな。傑の足引っ張んなよ」
「気を付けます!」
またいい子ちゃんの返事、こういうとこコイツは灰原に似てるかもしれない。
そうやって、傑とミズキは任務に出て行った。
呪霊を引き摺り出すまでが手間で、会敵すれば一瞬ってパターンはよくある。傑が出てんだから今回もどうせそうなる。ミズキのいない数日間、俺は静かに過ごせる。それだけだ。
ところが1週間経っても傑は戻らなかった。
傑に聞けばやっぱり出現待ちで、捜索の時間帯を広げたり色々条件を変えて試してるらしい。
(日中はビジホから別任務に行ったり呪術史の課題プリントを消化してる。もう生活してる感じ)
(ウケる、高専の寮より便利だったりしてな)
(それちょっと思ってる。中々いいよ、深夜早朝の任務がないしミズキの課題を手伝うのは役得みたいなものだし)
(え何、オマエそういう感じ?女の趣味変わった?)
(別に変わってないよ。可愛いじゃないか)
その後少しメールの往復があって、それで終わり。
携帯を放り出してベッドから天井を見る。さっきのメールの内容が傑の声で再生されるような気がした。ーーー中々いいよ、役得みたいなものだし、可愛いじゃないか。
…無い。無いって。近所で拗れんのは勘弁ってお前も言ってたろ。と思った後で、自己矛盾に気付く。ミズキに対して惚れるなら傑にしろと思ってたのは俺で、傑がミズキに惚れようが遊ぼうが別に俺に害は無い。
それなのに無性にモヤッて、その日はそのまま不貞寝した。
更に1週間過ぎて、それでも2人は戻らない。
こんな時に限って任務は落ち着いてて、学内にいると静かさが耳についた。灰原と七海がジャージで演習場に向かうのが窓から見えた。三角形の一角が欠けたように見えた。
無意味に携帯を開いて着信もメールもないのを確認する。そもそも、アイツにだってアドレスは教えてやってんのにメールのひとつも寄越したことがない。俺が好きとか言うくせに踏み込んでこない。
……まさか怪我とかねぇよな。まぁ、無いか。何かあれば硝子に緊急要請がある。
………あるいは、
「五条」
長く接してる間に傑に傾いた、とか。
ふざけんな『脈のありなしで好きな人を選んでない』んじゃねぇのかよ。
「五条」
傑に惚れたって遊ばれるのがオチって分かんだろ。課題のプリント手伝うとか口実に決まってんだよ馬鹿、まさか部屋に入れたりしてねぇだろうな。
ゴン!と俺の机を硝子の拳が叩いてやっと、硝子が正面に立ってることに気付いた。見上げて目が合うと硝子が舌打ちして、顔の横で携帯を振った。
「ミズキが負傷。もうじき夏油が手持ち呪霊に乗って搬送してくる。怪我の程度は不明。夏油は『手が塞がってて通話困難、帰った方が早い』だと」
語尾まで聞かずに教室を飛び出した。
負傷、程度不明、呪霊まで使うとなると軽くないだろう。手が塞がってるのは傷を押さえてるからか?それなら出血量が…クソッ硝子も連れて来りゃ良かった、でも戻る暇が惜しい。走って走って走って階段はほとんど飛ばして正門が視界に入る、傑が見えた、ミズキを抱えてる。
「あっ五条先輩」
「はぁっ?!」
何か思ってたのと違うぞコラ責任者出て来い。ミズキめちゃくちゃ元気そうじゃねーかイヤ良いことだけど。
「おま…っ負傷したって、は?嘘かよ」
「嘘じゃないよ、足を挫いた」
傑が『ほら』みたいな感じでミズキを抱える腕を上下した。
あしをくじいた。
あしをくじいた。
あしを…あ、そ。
脱力、あらゆる意味で。
「ほらミズキ、見てごらん。悟が息を乱すほど走るなんて珍しいね」
「五条先輩、急ぎの任務ですか?」
そうじゃねーよ馬鹿。つーか傑はいつまで抱っこしてんだよ女誑し。
俺が両腕を差し出すと傑は薄ら笑い、当のミズキはキョトン顔になった。
「…来い。代わる」
俺が言ってもミズキはまだ分かってない風で、「悟が君のことを抱っこしたいみたいだよ」と傑が意地の悪い補足をした。
「えっむ無理です!夏油先輩下ろしてください私歩きます!」
「無理って何だコラ大人しくしやがれ」
「やっやだやだやだ無理です痛い方がまし!」
ミズキを傑から引っ剥がそうとする俺、傑にしがみ付くミズキ、ニヤニヤする傑。何か懐かない猫みたいだな。
「悟、ミズキが怖がってるよ。ちゃんと説明してあげな」
「ア"?説明って何の」
「ミズキからしたら悟が急に掌返すから戸惑うし怖がるに決まってるだろ」
ぐうの音も出ないってヤツだ。
そういや俺には足を庇ってるミズキに手も貸さず放置した前科まである。
ミズキが恐々と、でも不思議そうに俺を見ている。
一度差し出した手を引っ込めて、苦し紛れに後頭部をがしがし掻いた。
あ"ーもー…認めりゃいいんだろ畜生。
「…好きだ、分かれ」
だからいつまでも傑に触らせてんな。
「それで?以来ずっと五条から逃げてんの?」
「そうなります」
「嫌いになった?賢明賢明」
「嫌いにはなってないですけど…軽くあしらわれるのに慣れてたから、どうしたらいいか分からなくって」
「とりあえず五条が一言話し掛ける度に500円取れ」
「強気な価格設定ですね…」
うん、まぁ、背後に俺いるけどね。
一切顔に出さない硝子すげーな。
ミズキの肩に手を置いて「よぉ」、ミズキが小動物みたいな声を上げた。
「楽しそうな話してんね、俺も交ぜろよ」
「入り方がいじめっ子なんだよクズ」
硝子は手厳しい。ミズキは、肩を縮めて困ったような目で俺を見ている。
「なぁ、今までのこと謝りたいしもっかい告白するからさ、そろそろデートぐらいしてくれても良くね?」
「嫌だね馬鹿」
「お前に言ってねぇんだよな硝子」
硝子に向かって人差し指を立てた。1カートンの意味になる。交渉成立して硝子は教室を出て行った。
取り残されたミズキが椅子から腰を浮かそうとするから逃げ道を塞いで、隣の椅子を引っ張ってきて正面に座った。
「なぁ」
「はっはい!」
「ビビんなって。ねぇ俺のこと嫌い?」
上目遣いで全開にあざとい顔を作ってみるとミズキが言葉に詰まった。「嫌いじゃ、ないですけど…」目が泳いでる。
「脈のありなしで惚れてねぇって言ってたけどさ、実るって嬉しくねぇの?俺のこと要らない?」
「えっと…違くて、届くわけないって思うから無邪気に手を伸ばせてた、みたいな…分かります?」
分かりません。
ミズキは泣きそうな顔で、常に逃げ道を探している。それでいて俺の顔からも目を逸らせないでいる。
俺はもう、ミズキから無邪気に告白されてた頃の俺が羨ましくて仕方ないってのに。
「ねぇ」
「はっはい!」
「だからビビんなって。お前が毎日健気に告白してさ、俺の中に入ってきて勝手に好きにさせたの。高専の身内なんて俺、好きになるつもりなかったのに。ここまでOK?」
「はい…え、うん…?」
「ミズキがいないとダメな身体にされちゃった」
「い…言い方ぁ…!」
「責任、取ってね」
ニコ、でダメ押し。
お前が俺の顔に惚れたんじゃないのは知ってるよ。ちゃんと俺を見て好いてくれてんのも分かってる。でもさ、俺が欲しいもの見付けたらこういう狡いことしちゃうっての、分かってなかっただろ。
***
ネタポストより
『高専後輩夢主、五条さんに初めての任務で助けてもらったとか。何か(きっかけが)あって五条さんが大好き。無邪気にアタックするけど、お断りされる毎日。 ある時、夢主初めての長期任務で不在の日が続く。五条さん的にはやっと静かで平穏な日々が戻ってきてせーせーしてるけど。だんだん怪我してないか。とか同行者の事、好きになってるんじゃないかと心配に(同行者はモブでも夏油さんでも)ストーリーはこれじゃなくても良いので、 ぜんぜん好きじゃなかったし。好きにならない。って思ってたコを好きになっちゃってた高専五条さんに会ってみたいです』
会ってみたいも何も、こんな高専五条さん絶対生息してる…と思って書きました。
気付かせてくださってありがとうございます。