Killing you softly
「…また寝てんのかよ馬鹿」
期待通りというか、悪い予感が当たってというか。好きな女の寝顔に向かって溜息を吐くのはこれが最初じゃない。
この寝顔が俺のベッドにあるなら普段アテにしてない神仏に感謝してもいいぐらいだけど、残念ながら談話室のソファなのだ。せめて自分の部屋に帰れと何度も、俺が柄にもなく真っ当な説教をしてやってるのに、こいつは談話室のソファを見ると寝ずにいられないらしい。
とりあえず俺の上着を掛けた。
俺はミズキが好きだけど、ミズキは俺を好きじゃない。…嫌われてはないと思うけど。そもそも誰かを好きになるとか彼氏が欲しいとか、そういう色が頭にないと俺は見ている。
何か進展のきっかけにでもなるかと思ってミズキの目の前でわざと告白を受けてみたこともあるけど、「すごいねぇ」と微笑まれた。さすがに泣きたくなった。
ソファの座面に凭れて床に座ると、ミズキの呑気な寝息が聞こえる。半身になって寝顔を眺めるこの体勢はいつものこと。こいつが目を覚ますまでの時間も何となく分かる。何でこんな周辺情報にばっか精通してんのか、情けなくなってきた。本当は、何を言ったら喜ぶだとか、2人きりだとどんな風に甘えるだとか、そういうのが知りたいのに。
誰もいないのをいいことに、好き放題ミズキの寝顔を見た。何かの果物みたいな唇。アイスを食べる時にはこの唇から小さい舌が出てきて、溶けて垂れるのを一生懸命舐める。催すわ馬鹿こちとら健全な男子高校生だぞ。
吸い寄せられる。
俺の好きな女の子は、その存在自体の価値をまるで自覚しないまま談話室のソファなんかに不用心に転がしている。
「…食っちまうぞ馬鹿」
もう少しで触れる至近距離で警告しても、呑気な草食獣は目を覚さない。それどころか赤ん坊みたいに幸せそうにむにゃむにゃ言い出す始末で、いつもそうだ、俺が引っ込めるしかない。
壁の時計を見た。多分あと10分ぐらいで起きる。起きたらボヤッとした目で俺を見付けて「ごじょうだ」って笑う。これは嫌いじゃない。
それから俺が軽くいつもの説教をすると、上着を持ち上げて「かけてくれたの?ありがと」って聞いてんだか聞いてないんだか、また笑う。これも嫌いじゃない。
となるともう認めざるを得ない。これは惚れた弱みってやつで、崩したくないなら俺が折れるしかないんだ。
今からミズキを抱く。そう思うと妙な気分になった。勿論頭の大部分は過熱してガンガン血が回ってるのが分かるけど、10年以上欲しくて10年以上触れられずにきたものに今から触るのは、利き手と逆でドアを開けようとするような違和感がある。
と思ってたら、本当に利き手と逆でドアを開ける場面がきた。右はミズキの肩を抱いてる。滅多に使わないカードキーを翳して解錠、部屋に踏み込んだ。
ミズキはずっと黙っている。まぁ僕もだけど。緊張は避けられないだろうから適当に話でもして緩めてやればいいんだろうけど、情けないことに僕も余裕があるわけじゃない。
「五条、」
「ん」
「シャワー…使っても、いいですか」
「あそっか、こっち」
…一旦落ち着こう。相手は初心者で、本命で、ミズキだ。
ミズキを浴室に案内してから、ソファに凭れて天井を見る。遠く水音がし始めた。学生の頃はソファから起きたミズキが談話室を出て「硝子お風呂いこー」なんて言ってるのを聞いてたっけ。当時は硝子になりたいと結構マジで思った。
ほどなくしてシャワーの音は止んで、上着以外を着直したミズキが戻ってきた。入れ替わりに僕も簡単にシャワーを浴びて、ものの数分でリビングに戻る。ミズキはソファの上、小さく座っていた。
「寝なかったんだ?」
僕が声を掛けるとミズキはハッと気付いて、それから少し決まり悪そうに口を尖らせた。
「…さすがに寝ないでしょ。その…今から、……って時に」
「寝てても良かったけど」
「そしたらまた我慢?」
「しないよ。僕のベッドに運ぶ」
それはひとつの念願だった。勿論、ミズキが自分の足で歩いてきてくれるならその方がいいけど。
「じゃあ行こうか」
ミズキの手を取った。
ここで寝たのは数えるほどしかないけど、紛れもない僕のベッド、そこにミズキをやんわり押し倒す。脳がドクドク脈打つような気がした。
ミズキに2回目のキスをする。ずっと触れたかった小さな唇は柔らかくて温かい。舌先で『入らせて』を伝えたら薄く開いて、僕を迎え入れてくれた。アイスを舐めてた小さな舌が怖がって縮こまってたから、念入りに懐柔することにした。
結構しつこかったと自分で思う。
やっと唇を離した時にはミズキは息が上がっていて、目尻から涙の落ちた跡があった。腰にキたのを隠して余裕ぶる。
「キス、好きになれそう?」
「うん…」
「気持ち良かったんだ?」
「ん…五条、」
「うん?」
「もう1回、して…」
「っいいよ…舌出して」
ミズキが素直に小さな舌を出す。僕には甘く感じるその唇や舌にまた夢中で吸い付いた。今度は、ミズキの服のファスナーをじりじり下ろしながら。
ミズキが喉の奥から甘えたような声を出して、僕は手が震えるほど興奮した。背中でホックを外すとミズキはようやく違和感に気付いたらしく、小さい悲鳴が上がった。
ボタンも全部外してあるから、普段他人には見せないところまで見える。誰も踏み入ってない雪原みたいなミズキの身体。でも本人が服の前を寄せてそれを隠してしまった。
「ねぇ隠さないで、見せて」
「っ…」
「着たままじゃ出来ないよ?」
まぁ実際は、着衣でも出来なくはないけど。でもミズキは騙されて腕を緩めてくれた。
首にキスの続きをしながら、ミズキの服を腕から抜く。白くてふわふわな身体から、僕と同じボディソープの匂いがする。目が眩む。喉が渇く。
「は…お前本当、可愛いね」
言うと、ミズキは手の甲を口に当てて目を逸らした。照れた…ってことは嬉しいのか。
「っ…五条も脱いで」
「ん、いーよ」
丁度鬱陶しくなってきてたTシャツを脱いで放ったら、ミズキが赤らんだ顔で僕を見た。
「なんだか…五条じゃないみたい」
「他の誰かだったら殺してるって」
「やっぱり五条だった」
急に冗談みたいな空気になってミズキが笑った。
僕の下にいるミズキは綺麗に笑って、白くて柔らかい手でそっと僕の胸板に触れた。
「ドキドキするって意味だよ」
そうだ、昔から、この無防備で素直なところが可愛くて、それなのに僕のものになってくれないのがもどかしかった。
やっと、やっとミズキが僕を見た。
僕の長い初恋が実った瞬間だった。