Fallen Dancer


居酒屋の個室で、お手洗いに行って戻ると硝子が身の丈190cm白髪碧眼の大男に化けていた。

「いや何でよ」
「いいじゃん優秀な財布が来てあげたよ」
「良くはないんだよなぁ…」

「硝子は?」と聞くと「急患だってさ」とのことだった。一升瓶空けてたけど大丈夫かな。大丈夫か、硝子だもんね。
五条が注文したクリームソーダが届いたのでとりあえず席に着いてみる。

「で、五条はどうしたの?ここ五条の好きそうな料理あったかな」
「別に食事目当てじゃないしいいよ」

じゃあますます何なんだ。
昔から考えの読めない同期だった。いや、高専で最初の内はシンプルにクソガキだったか。読めなくなったのは3年生以降…ということはやっぱり、付き合いの内大半は『読めない』男だったわけだ。
五条は緑色のソーダに浮かぶバニラアイスをストローで沈めてグサグサ虐めている。食べてやれよ。いやまぁ好きにすれば良いけどさ。

「術師辞めんの」
「え?」

唐突に言葉を投げ渡されたせいで一瞬何のことか分からなかった。落ち着いてみれば、私のこと以外に無いんだけど。

「あー…まぁ、うん…そんな感じ」
「何で」
「なにこれ取り調べ始まってる?」
「何で」

ゴリ押しかよ。

「んー…親に泣かれた、かな」

非術師家系なもので、高専に入る時にも説得には苦労した。何しろ私の親は夜蛾学長(当時は先生か)が説得に通ってくれてもしばらくは、私が何か怪しい宗教に入信してしまうものと誤解して入学絶対拒否の一点張りだったのだ。
卒業して術師として働き始める時にも苦心して説得したけど、そろそろ限界らしい。普通の感覚なら、娘がいつ死ぬか分からない上に何やってるのかも微妙に分からない職に就いてるなんて嫌だろう。

「孫見たいとも言われた。ほら私一人っ子だし」
「子作りセックスの相手探しに術師辞めるって?」
「言い方よ…ってか何なの今日やたら絡むけど。機嫌悪すぎじゃない?」

五条は相変わらずクリームソーダに口を付けず、頬杖でそのスッキリしたフェイスラインを歪めている。
私の知る五条は、人に不機嫌を悟らせない人格者というのではないけど、見境なく八つ当たりする輩でもない…はずなんだけど。余程のことがあったんだろうか、総監部のイジメとか。

私みたいに理由ひとつで足抜けできない五条悟という立場に、無責任な同情をすることはある。五条悟は固有名詞であると同時に代名詞でもあって、死ぬまで呪術師を辞められないのだから。
その五条にとって親孝行の真似事みたいな理由で職を投げる私は、まぁ、目障りでも仕方がないか。

「分かった」と五条が言った。

「今から僕がお前のこと孕ませたら全部解決だね」
「とりあえず何が分かったのかだけ教えてくんないかな」

サイコパスだ。
悲しいお知らせ、数少ない同期がサイコパスでした。シンプルに怖。
五条は頬杖に寄り掛かって上半身を斜めにして、テーブルの下では多分脚を組んで膝をイラついた仕草でタンタンと膝を叩いている。

「お前は親に孫の顔見せられて術師辞める必要もなくなって、僕は子どもを口実にお前を囲える、全員ハッピー」
「ハッピーを辞書で引け。あのね孫が見たいっていうのは比喩表現でね、親は私に望まない妊娠してこいって言ってるんじゃないわけ、分かる?」
「お前が愚鈍だって露呈したね今」
「喧嘩売ってんのか」

どうやら今日五条には今期イチの腹立たしい災厄が降り注いだらしい。そうとしか思えない苛立ち様だ。
目の前の目隠し男は海底に沈んでいくような深い深い溜息を吐いた。

「何でそうなんの、プロポーズしてんじゃん」

プロポーズも辞書で引こうか五条。

「いやどこをどう解釈したらプロポーズになんの?五条もしかして酔ってる?」
「酔ってない」
「だろうねクリームソーダだもん」

五条は緑色のソーダとアイスクリームをぐずぐずに混ぜた可哀想な液体をテーブルの端に寄せた。何故注文したのか。

「酔ってないなら何、嫌なことでもあったの?甘いもの頼む?」
「正にいま嫌なことの真っ只中、クソみたいな気分」
「めずらし」

五条をここまでにするなんて、相当強烈な出来事と見た。
居酒屋のメニューを最後までめくって、アイスとか焼きプリンの写真が並んだ中で五条の好きそうなのはどれだろうかと考えてみる。いっそ店員さんに聞いてみようか、『一番甘いのどれですか』って。
と思っていたら、突然メニュー表がスッと抜き取られた。

「要らねぇっつってんだろ」

五条がその冊子をテーブルの端に立てた。

「お前さ馬鹿なの?ここまで言ってまだ分かんねぇ?」
「口調戻ってるよ五条」
「話摺り替えんな。子どもが欲しいなら僕があげるって言ってんの」
「遠慮します」
「ア゛?」
「怖い怖い怖い」

本当に今日はどうしたんだといよいよ心配にすらなってくる。

「あのね五条、私子どもが欲しくて術師辞めるんじゃないよ」
「じゃどうしたいわけ」
「それを五条が言うの?」

酒嫌いのくせにわざわざ居酒屋に来て、私に突っ掛かって。半端な動機で術師を辞めようとする様が癪に障るっていうのは分かるけど、七海が一度辞めた時にはアッサリしてたじゃん。…七海は、半端な動機ではなかったけどさ。

「ねぇ五条、言ってくれなきゃ応じられないよ。私に出来ることは限られてるし叶えられるかは分かんないけど…教えてよ、五条どうしたいの?」

私が言うと、五条は黙った。この個室に入って初めてだ。薄い仕切りの向こうから不鮮明に隣の声が聞こえる。
五条は頬杖を崩してテーブルに顔を伏せた。

「…いかないで」

顔を伏せて頭を囲うようにして言うものだから、咄嗟に聞き取れなかった。…じゃないな、聞こえたけど、聞き間違いだと思った。だって『いかないで』なんて言うと思わない。五条が、五条悟が、私に。

「いかないでよ」

駄目押しだ。

「…え、と。そこまで言ってもらえるの、嬉しいよ。五条にも硝子にも負担が寄っちゃうのは…ほんとごめん」

顔を伏せた五条が小さく揺れて、それからゆらりと起き上がった。

「………ふざけんな」
「え、何すみません…」
「だから何で分かんないのお前、結婚なら僕としろってさっきからずっと言ってんじゃん」
「言われ…てませんけど?!」

言われ…、……うん言われてないな?
五条は学生の頃によくしていたみたいに、口をへの字に曲げて不満を訴えている。

「あーもうだからさ、五条はどうしたいの、って聞いてるんだよ。私に術師辞めてほしくないっていうのは分かったから、けど、事情ってそれぞれあるでしょ」

私がこれを言うと五条はいよいよ歯を食いしばって、がしがし乱暴に髪を掻き混ぜた。

「あ゛ークッソ、何でこんなムードもへったくれもない居酒屋で言うことになんの?情けねー」
「あ嫌だったら無理に言わなくても…」
「お前本当もう黙って、優しさが盛大に間違ってるから」

えぇ…何かごめん。
………いやこれ私謝るの?

「好きなんだよ」
「?そっか」
「絶対分かってない僕が言ってんのは僕はお前のこと手放す気なんか更々なくて子作りセックスの相手探すなんて地雷もいいとこだしお前のこと孕ませるのは僕って決めてるって話」

五条は息継ぎもしないで捲し立てた。どことなく自棄糞みたいな声で。
私が黙ったままでいると、五条は怒ったような声で「何とか言えよ」と催促した。

「…いつから?」
「高専で初めて会ってから」

五条はずっと前のめり気味だったのに、今度は椅子の背に凭れて腕を組み、長い脚も組んでいる。機嫌が悪いっていうのを絵に描いたみたいに。
でも私はこれを知っている。機嫌が悪いんじゃなくて、不安なのを誤魔化したい時の五条の癖だ。
ああもう、

「それじゃ、何年かは両想いの期間があったんだねぇ」

私が言うと、一拍遅れて五条はムスッとしていた口元をポカンと空けて、腕組みも崩した。

「………ハ?」
「そんな素振りなかったし分かんなかったなぁ」
「ちょっと待っていつから?!」
「高専3年…くらいから、23くらいまで」
「『まで』ってやめて継続中でしょ?!」
「や、もうそんなに」
「ア゛ァ?!」
「怖い怖い怖い」

薄い仕切りの向こうで隣の個室の人が少し声量を控えている。お騒がせして本当すみません。
五条は珍しく混乱してる風で、額に手を当てたりそわそわと身じろぎしている。

「…何で、言わないの」
「お互いさまでしょ」

テキメンに五条が黙った。そりゃあね、『言わなかった』期間は五条の方が長いみたいだし。

「ねぇ五条」
「…ん」
「私五条のこと嫌いになったわけじゃないよ。軽薄なふりして根はいい奴だし照れ隠しで悪ぶるのも嫌いじゃない。五条が私に『してほしくないこと』は分かったよ、でも『どうしたい』はずっと、学生の頃からなんでしょ?教えてくれないね」

ずっと目を隠したままだった五条がサングラスを外した。綺麗な目。でもそんな、不安な子どもみたいな目をしないでよ。

「………好きだよ。ミズキがずっと」
「ありがと」
「彼氏になりたい。他の男に見せたくない。僕以外と結婚なんかしないでよ」
「うん」
「僕の手の届かないとこに行かないで」
「あごめんそれはちょっと」
「何で?!綺麗にゴールインの流れだったじゃん今!」
「だってもう学長に辞表出しちゃったもん」

五条は勢い余って椅子から腰を浮かし気味だったところから座り直して、安心した様子で息を抜いた。

「その辞表なら僕が無事に握り潰したから大丈夫」

無事、も、辞書だね五条。



居酒屋を出ると、五条は「僕に一晩ちょうだい」と私の手を引いた。
いつの間に予約したのだか、何やらすごく綺麗なホテルの一室に案内され、居酒屋よりはまともなプロポーズをしてもらった。『居酒屋よりは』というのは、アレだ、花束とか宝石とかシャンパンは登場しなくて、ただもうひたすらベッドの上で数え切れないくらいに「好き」と言ってもらったという意味で。
私は学生の頃から柔らかそうだなぁと思ってた白い髪を思う存分撫でて、言われた回数だけ同じことを言った。

本当にね、そういうところなんだよ五条。微積分を暗算するくせに足し算を間違うみたいな、綺麗なホテルなのに夜景も見ないで、一生分の好きを一晩で言うくらいなら思った時に言えば良かったの。
そういう器用で不器用でチグハグなところを、好きになったんだよ。




***

ネタポストより『五条さんと歳の近い話、
お互い両片思いで長年焦ったい関係からヒロインが報われない片想いをやめようと恋人を作ろうとして焦った五条さんが…』
ネタ(…に沿えているかは別として)提供ありがとうございます。

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