義勇にとっては、不本意な入院だった。 先の任務で鬼に毒の霧を吐かれ、すぐに躱したのだが少し吸ってしまった。直後に鬼は討ったし、毒の影響といえば僅かな手の痺れくらいだったから大丈夫と言ったのだけれど、様子見の入院をしのぶは譲らなかった。 「文句を言う暇があるならたくさん陽に当たって毒抜きしてくださいね。周りに影響を及ぼす類の毒も報告されていますから」と有無を言わさぬ笑顔を向けられてしまい、すごすごと入院着に着替えるしかなかったのである。 せめてさっさと毒抜きしてしまえ、と日当たりのいい場所を求めて蝶屋敷の中を歩いた末に、義勇は縁側に腰を下ろしたのだった。 義勇が溜息をひとつ落とすと、広い庭の向こうで箒を動かしていた人物が掃除を終えたようで顔を上げ、目が合った。数ヶ月前に義勇がこの蝶屋敷に連れてきたミズキだった。 ミズキは義勇に駆け寄って頭を下げると、手帳にさらさらと書き付けて彼に示した。 『お怪我ですか?』 心配そうに眉が下がっている。 「…いや、ほんの少し鬼の毒を食っただけだ。日に当たると毒抜きになる」 ミズキは自分の影が僅かに義勇の爪先にかかっているのに気付いて、慌てて日向を譲った。頭を下げる彼女に向けて義勇が「こんな僅かな差で変わりはしない」と説くのだけれど、ミズキが首を振るばかりなので、少し考えて隣に座るように促したのだった。 ミズキがちょこんと義勇の隣に掛けた。 「息災か」 唐突な義勇の言葉を咄嗟に汲み取れないでいると、彼は言葉を付け足した。「お前のことだ」と。 ミズキは膝の上で返事を綴った。 『お陰さまで、身に余るほど良くしていただいています』 「…そうか」 この後も、ぽつりぽつりと会話は続いていった。元々言葉数が少なく声も小さい義勇にとって、往復に時間のかかる静かな会話は苦にならず新鮮だった。 杏寿郎は蝶屋敷の面々への手土産をアオイに渡し、教えられた通りミズキが掃除をしているはずの庭を目指した。思えば数ヶ月前、しのぶから初めてミズキを紹介されたときに辿った道順だった。戸を開けて縁側が見えると、探していた後姿があった。ただ、その隣には入院着の義勇が腰掛けていた。 咄嗟に声を掛けるのを躊躇い、気配を殺して戸の陰に引いた。これではまるで盗み聞きではないかと後悔したけれど、どうしても聞き耳を立ててしまった。 ただ、耳をそば立てても会話は明瞭には聞き取れなかった。義勇は声が大きくないし、ミズキは筆談で、2人とも室内に背を向けている。会話の内容は分からないが、ミズキは笑っているようだった。細い肩の揺れ方や、僅かに見える横顔の頬の具合から見て取れた。 杏寿郎は、胃の底にどろりとして熱く苦い何かを流し込まれたような感覚に驚いていた。それが嫉妬であると分からないほど子供ではなかったけれど、体験するのは初めてだったし、人の笑う様を見て自分が不快を抱くことがあるとは考えたこともなかったのだ。 「(ミズキさんが笑っている、良いことだ)」 心内で唱えた言葉は自らに言い聞かせるためのものだったけれど、本心がそれに抗っていることはますます鮮明になるばかりだった。 ミズキを凄惨な事件現場から救ったのは義勇であるし、彼は一見冷たいようでいて心ある男で、おまけに美丈夫だ。ミズキと並んだ様もよく似合っている。 「もしもし、もしもーし?」 ちょんちょんと背中をつつかれて杏寿郎は大きく肩を揺らした。しのぶは杏寿郎から身を乗り出して覗き込み、縁側の背中ふたつを見て大方の事情を察した。 「ミズキさーん、煉獄さんが迎えにおいでですよ〜」 しのぶの呼びかけにミズキが振り返り、杏寿郎の姿を見付けてぱぁっと顔を輝かせた。その途端に杏寿郎は胃の底で煮えていた苦々しい感情がすっかり消えてしまうのを感じた。彼がミズキへの恋情を自覚してから、直接会うのはこれが初めてだった。 「(あぁ、何と美しいのだろう)」 日向に立っているというだけではない、輝くように美しく見えた。ミズキが自分を見て嬉しそうに笑っている。そのことが引き起こす甘やかな感情に、杏寿郎は酒に酔うような心地がした。 「ミズキさん、約束の時間には少し早いのだが来てしまった!出られるだろうか?」 ミズキがしのぶの顔を伺うとしのぶは笑って、「ミズキさん、構いませんよ。この声の大きい人を表に連れ出していただけると助かります」と言ってのけた。 蝶屋敷に程近い定食屋で杏寿郎とミズキは食事をした。彼女の食事量は随分回復し、定食を6割ほど食べられるまでになっていた。ちなみにミズキがそれを食べ終えるまでに杏寿郎は8人前平らげた。 勘定を済ませると、杏寿郎は店の主人から「旦那ぁ、えらい別嬪さんを連れてるねぇ」と言われ、それが冷やかしだとも気付かず「あぁ!俺の一等大切な女性だ!」と胸を張って店を後にした。真っ赤な顔を手で覆ったミズキがそれに続いた。 「口に合っただろうか?」 『とても美味しかったです。ご馳走さまでした』 筆談にももう慣れたもので、杏寿郎はミズキの手元を覗き込んで満足げに喉を鳴らした。 「ウム!まだまだ美味い店は数多くあるからな、また付き合ってほしい!」 ミズキは笑顔で頷いて、唇を「ぜひ」という形に動かした。 「『是非』で合っているか?」 ミズキが頷いた。 「そうか、良かった!」 杏寿郎が高らかに笑う後ろでミズキがふと足を止めた。不思議に思った杏寿郎が振り向くと、ミズキが胸の前で、右手の指2本を交差させる見たことのない形を作っていた。 「うん?どうした?」 ミズキが慌てて首を振って、『何でもない』の仕草を見せた。 「そうか!少し散歩をして帰らないか?」 ミズキは笑って駆けて杏寿郎の隣に並び、彼はその手を握った。 |