校内では駄目の一点張りなので、それならばミズキがひとりで暮らすアパートに行きたいという話になるのは当然の流れと思うのだが。
妻よ、何故渋る。
ミズキが目を泳がせしどろもどろになりながら答えた内容を整理するに、「私も『したくない』のではないから、本当にふたりきりになってしまったら拒む自信がない」とのことだった。

「だめです、絶対にだめ。杏寿郎さまが卒業なさるまで我慢するんです」
「うん、うん、分かったから」

分かったから5分だけ愛いのを仕舞っててくれないか!!つらい!!


兎にも角にも校内では安心して話も出来んだろうと苦心して説得し、連れ立ってアパートに入らないとか俺は私服で帽子も被るとか(何せ目立つ髪は自覚するところだ)様々に対策を講じてようやく、ミズキの暮らすアパートに上がることに成功したのだった。
ミズキは俺にお茶を出してくれた後、顔を両手で覆った。

「あぁなんてこと…生徒ひとりだけを自宅に招くだなんて、バレたらクビです」
「バレないために色々対策したろう?…だからそろそろこっちへおいで、離れていた間の貴女の話が聞きたい」

それから、前世のことや現世で出会うまでのことを、お互い夢中になって語り合った。
ミズキは教育短大でひとつ先輩の冨岡と再会したのだそうだ。友人達の前で『冨岡様』と呼んで不審がられ、話し合った末『義勇さん』に落ち着いたとのことだった。
俺の方は正直あまり話すことがなかった。再会してすぐにミズキを家族に引き合わせたために、粗方のことは伝わっていたからだ。余談だが全くあの時は、父上も千寿郎もミズキも泣いて抱き合って、母上も「ずっとお会いしたいと思っていましたよ」とミズキを捕まえて、全員が中々ミズキを返してくれなかった。
そういう訳で俺の話すことと言えば、今も剣道をやっているだとか、教科なら歴史が好きだとか、その程度だ。しかしミズキはそれを嬉しそうに聞いてくれた。

気付いた時には窓の外で陽が傾きかけていて、随分長い時間話に夢中になっていたようだと笑い合った。
思えば、こんなにもゆったりと時間を取ってミズキと過ごしたのは初めてのことだった。前世では多忙な身であったし、交わす言葉は専ら手紙だった。

その時ふと、肩を寄せ合うようにして笑っていた中でふたりともが沈黙し、至近距離で視線が交わった。赤味を増しつつある外の光がミズキの目を経て輝かせているのがありありと見えた。
ほとんど衝動的に、彼女の頬に手を添えて唇を合わせてしまった。これは確実に叱られてしまうなとは思いつつも止められず、柔らかな唇を食んだ。
柔らかい、甘い、愛しい、俺はこれが欲しかったのだ。貴女もそうだろう、と訴えたくて薄く目を開けると、ミズキの震える睫毛が見えた。
どこかの時点で華奢な手に胸板を押されるものと思っていたが、いつの間にかその手は俺の肩から後ろにまわり脊髄の凹凸を確かめるように柔い指先が後ろ首を撫でて、そうなればもう止められる筈もなかった。

「ン、んぅ…んっ」
「ミズキ、」
「ん…は、い」
「口を開けて」
「だ、だめ…」
「愛している」

言葉を発するたび互いの唇が触れる距離でミズキの目が薄っすらと開くのを見た。とろりと蕩け流れてしまいそうな目をしていた。
俺の懇願を聞き入れてくれたものか、はたまた前後不覚の脱力のためかミズキの唇が薄く開いたところへ夢中になって喰い付いた。そのまま随分長い時間、少なくとも夕暮れになる手前だった外がすっかり暗くなってしまって、とにかく電気をつけなければとお互いがふと冷静になるまでずっと、キスを続けていた。

「あ、あの…杏寿郎さま、灯りを」
「…そうだな!その前にトイレを!借りる!」
「は、はいっ」

バネのように立ち上がって僅かな灯りを頼りにトイレまで辿り着いて籠った。今現在身体的には思春期の童貞なのだが、頭というか魂はしっかり妻の身体を覚えていて、それがこんなに辛いとは誤算であった。
どうにか始末をつけて個室を出ると、部屋は明るく照らされカーテンはきっちり閉められ、台所でミズキが食事の支度を始めたところだった。その背中に近付いたのだが、ミズキは気恥ずかしさからか振り向かないままだった。

「すまない、俺は料理がからっきし出来ないのだが、何か手伝えることはないだろうか!」

俺がこれを言うとミズキはやっと笑って、俺を見た。

「お願いができたら言いますから、座ってお待ちくださいね」
「あい分かった!」

そういえば前世でも包丁を持ってみたことはあるのだが、振り下ろす度まな板を割るので千寿郎から出禁をくらったのだった。
生まれ変わったからには、現世に於いて良き夫となれるよう努めなければ。俺にも出来る料理はあるはずだ、米を運ぶとか、ジャム瓶を開けるとか。…料理ではないな。
という心の内を夕飯の席でミズキに話すと彼女は笑って、「でしたら、目玉焼きから練習しましょうね」と言ってくれた。
夕飯の後せめて皿は洗うと申し出て、何とか何も割らずに皿を洗い終えた。

土曜の夜という条件からして、正直なところ自分の家族には泊まりだと告げてきたのだが(父上にはかなり厳しく『早まるなよ』と釘を刺された)、俺は荷物を持って立ち上がった。
泊まりたいのは山々だが、手を出さずに朝を迎えることは到底出来まいという確信があった。このままここにいたいというのが偽らざる本音であるから、俺だって色々考えたのだ。俺の両手首を背中で縛ったらどうにかならないか、とか。しかしてんで駄目だと自分で予想がついた。恐らく俺は口ひとつ動けばミズキに喰らい付く。

どうにか表面上平静を装ったまま玄関で靴を履き、最後にともう一度ミズキを抱き締めると、愛しい甘い匂いが鼻先を掠めて早速決意が揺らいだ。

「それじゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
「俺が出たらすぐに鍵を掛けなさい」

俺がドアノブに手を掛ける直前、一度身体を離したもののミズキの顔が再び寄ってきて、俺の口のすぐ横へ軽くキスをして離れていった。俺が目を丸くしているところへ妻が優しく微笑んで「おやすみなさいませ、杏寿郎さま」と言うものだから、精一杯掻き集めた冷静さで彼女の頬を撫でて「おやすみ、ミズキ」と言い残して外へ出た。
外廊下へ出ても俺が立ち去るまで鍵を掛けずに待っている気配があったので後ろ髪を引かれる思いで足を進め、エレベーターに乗った時点でしゃがみ込んで手で顔を覆い深く息を吐いた。

こ れ は つ ら い ! ! !



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