※少々残虐表現があります





藤の家紋の家の近辺で、熊か狼か判然としないけれど何か恐ろしい影の目撃情報が続いている。
物音に気付いて障子を細く開けた使用人ひとりが、原因不明で失声した。
以上が鴉の伝えた内容だった。
杏寿郎は腰の刀を強く握り締めた。
この藤の家は彼の管轄地区にあり、家人と面識があった。犠牲者を出してなるものか、そして、必ず討つ。杏寿郎は歯を食いしばって前方を睨み付け、風を切って駆けた。

現着して隠と合流すると、行商人を装って藤の家へ入った。辺りは既に日が傾き、まもなく夜が来る。

「鬼狩りが来ていると知れたら逃げられるかもしれない。なるべく普段通りに振舞ってください。申し訳ない、恐ろしいだろうが、協力していただきたい」

奥まった部屋で隊服に着替え直した杏寿郎が家人たちに目を配ると、皆一様に神妙に頷いた。
緊張感をひた隠しにしながらも、ひとまず静かな夜が訪れた。杏寿郎は振舞われた夕食にありがたく箸をつけ、風呂は断って手拭いで身体を清めた。
夜が深まって、虫も鳴かない重く濃い静けさが夜の底に溜まった。家人が布団を敷いてくれたことに感謝はしつつも床に入らずに部屋の隅で神経を研ぎ澄ませていた鬼狩りの耳が、微かな不審を捉えた。
ぎぃっと床が鳴る合間に、長く尖った爪が床板を掻く音がする。音と気配で位置を掴んだ瞬間、杏寿郎は襖を開け放って一足飛びに部屋を越え障子から僅かに覗いたその影を庭に蹴り出して四肢を切り落とした。耳を劈く醜い悲鳴に顔を歪めることもせず、彼は達磨と化したその生き物の傍らに立って胸を踏んだ。

「貴様に聞きたいことがある。簡潔に答えてくれ。さもなくば下半身を切り離す」

再生しかかった腕をもう一度斬ると、今度は呻き声が上がった。
月が雲間からその生き物を照らすと、縦に切れ込みの入ったような形の瞳孔がぶるぶると震えていた。

「声を奪うのは貴様の血鬼術か?」

鬼が頷いた。

「どうすれば解ける」
「言うわけが」

杏寿郎の日輪刀が鬼の脇腹に突き刺さった。再び濁った悲鳴が上がった。

「回答を間違うな。どうあっても斬首するが、それまでにどれだけ苦しむかは貴様が決められる」

脇腹から刀が引き抜かれ、今度は戻りかけた脚が切り落とされた。

「まぁ、血鬼術は術者を殺せば解けるというのが定石だ。交渉の材料として解除の条件を出さない時点で安心して貴様の首を刎ねることが出来るというもの。俺は今貴様に感謝すらしている」

鬼は恐怖に視界を揺らしながら鬼狩りを見上げていた。どうあがいても敵わないと本能的に察していた。今まで慎重に慎重を重ねて鬼狩りとの対峙を避けてきた。血鬼術で声を奪って静かに人を食い殺し、鬼狩りが駆け付ける前に逃げおおせて力を蓄えてきたのだ。
今自分の胸を踏んでいるこの男は恐らく最上位の鬼狩りだ。肺が圧し潰されそうなほどの威圧感は他のどんな鬼狩りからも感じたことがない。

「わざわざ俺の地区にまでその頸を差し出してくれたことを」

せめて一瞬の隙ができれば、逃げる隙を、と鬼は血鬼術を展開した。鬼狩りの口がはく、と音を発しそこねた瞬間に鬼は身体を捻って足の下から逃げ出したが、ぐるんと視界が回転して頬から地に落ちた。手をついて身体を起こそうと藻掻くも感覚が遠い。そこで気付いた。頸を斬られた。
頸の断面からじりじりと焼損していく。目の前に足が現れた。眼球だけを動かして見上げると、月を背負った鬼狩りが冷たく見下ろしていた。

「声が戻ったな、安心した。恐ろしくても悲しくても耐え難い痛みでも声を上げられない苦しみを噛みしめて逝くといい」

やがて紙が燃え尽きて最後の灰の欠片が宙に舞うように鬼は消えた。



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