―――私を愛していると言ってくださったこと、本当に嬉しく、まだ夢の中にいるようです。いただいたお手紙を何度も読み返すのですけれど、これも夢なのかしらと思ってしまいます。
あの女性の剣士様は、鬼殺隊をお辞めになったのですね。あのとき、確かに悲しい悔しい思いもしたのですけれど、いちばん辛かったのは彼女の仰ることがすべて図星で返す言葉の見つからなかったことです。
私といくつも違わないような女性の方が、体中に傷を負っておられました。あの方の流した血で私のように戦えない者が守られています。ましてや、煉獄様のお時間はより多くの人を守るための貴重なものです。本来でしたら、私のいただいていいものじゃないというのは、本当にあの方の仰る通りです。
ただ、藤の家の者としては間違っているのかもしれませんけれど、私は煉獄様に恋をしてしまったのです。だから、もしよろしかったら、煉獄様がお休みになるときに、お傍にいさせてくださいますか?うんといい子にしていますから、どうぞお許しになってください。
甘味処にお誘いいただいたこと、もちろんとても嬉しいです。その日を楽しみにして頑張りますね。だけどお時間が取られなくなったりしたときには、無理も遠慮もなさらないでくださいね―――

杏寿郎は起き抜けに布団の中から手を伸ばして、何度読み直したか分からないその手紙を掴み、顔の上へ翳して、一文字ずつ噛みしめるように読んだ。読み終えると簡単に畳んで枕元へ置き、緩んだ顔を掌で覆った。
恋を素直に打ち明ける愛らしさ、忙しい日々に遠慮をするいじらしさ、少しのあどけなさ、それでいて矜持や高潔さも、すべてが文面から滲み出るようで愛しくて堪らない気持ちになった。この手紙を受け取ってからの数日で幾度も読み返し、ほとんど暗記してしまうほどだった。
我ながら初めて恋をした少年のようだと思った。そしてまさか自分が恋をする日が来ようとは、彼は想像もしていなかった。当然のように見合いで宛てがわれるであろう伴侶を受け入れて大切にすることが自分の責務の一部だろうと、ある意味では諦めていたといっていい。
これまで彼にとって周囲のすべては守るべき対象であって、何を置いても守りたいものという存在が自らの中にあるということがこんなにも心を鼓舞してくれるのだとは驚くばかりだった。

今日やっと会うことができる。
顔を覆った掌の下で、杏寿郎はミズキの姿を思い浮かべた。部屋の中から日向に立つ彼女を見たときの、あの輝くような姿だった。
そのとき千寿郎が襖の外から控えめに呼び掛けたので、杏寿郎は急ぎ表情を引き締め身を起こして返事をした。それでも、顔を合わせた途端に「何か良いことがあったのですか?」と表情の緩みを指摘され、晴れてミズキと恋仲になったことを白状することになったのだった。





「こんにちは。ミズキさんですね、今お呼びしますからお掛けになってお待ちください」

杏寿郎が蝶屋敷の玄関を開けて第一声を発する前の、アオイの先手である。「ウム!ありがとう!」と杏寿郎は壁際に置かれた椅子に腰を下ろした。
まもなくトタトタトタと軽やかな足音が寄ってきて、廊下の角から3人娘がミズキの手を引いてやって来た。杏寿郎は下ろしたばかりの腰を上げて目を見開いてミズキを見た。蝶屋敷に身を寄せてからの彼女はいつもブラウスとスカートに前掛けという姿だったけれど、今日は和装だった。
しばらく杏寿郎が物も言わずに呆然としているので、3人娘が代わる代わる話し掛けてみても、まるで耳に入っていない様子だった。

『自宅から持ち帰った着物です。可笑しくないでしょうか?』

ミズキが不安そうに手帳を差し出すと、杏寿郎はやっと目を覚ましたように強く瞬きをした。

「すまない!美しいので見入っていた!」

ミズキは顔を赤くして、3人娘はそれぞれに声を上げたり頬を押さえたりしながらミズキをぐいぐい押して、「それじゃあ楽しんできてくださいね!」と玄関から押し出した。

ふたりは約束の甘味処へ向かい、毛氈の敷かれた長椅子に並んで座った。

杏寿郎は改めて和装のミズキを見た。自宅から持ち帰った着物ということは、彼女の両親が与えたものということになる。
質のいい品だし、丁寧に手入れされていることが見て取れた。かつての彼女の愛に満ちた家庭が偲ばれて、杏寿郎は奥歯を強く噛み締めた。

ふとミズキがあんみつを食べる手を止めて杏寿郎を覗き込んでいることに気付き、彼は「すまない!何でもない!」と口角を上げた。
続いて、空になったあんみつの器を積み上げた皿の上に加えてミズキに向き直り、杏寿郎は目を細めて彼女を見た。

「ミズキさん」

ミズキは食べかけのあんみつを脇に置き、そのガラス玉のような目が杏寿郎を見た。

「改めて、俺に恋をしてくれてありがとう、俺は幸せ者だ。俺の持てる全てで貴女の幸せを守る。貴女を心から愛している」

ミズキは目元を赤く染めてふんわりと微笑み、ゆっくりと唇を動かした。杏寿郎はその形の一文字ずつを読んで、声で追った。

「わ、た、し、も、す、き、で、す」

ミズキが頷くと、杏寿郎は彼女の上半身を抱き寄せた。
ミズキは人目を気にして少し身を固くしたけれど、やがておずおずと杏寿郎の服を握った。
杏寿郎はミズキの髪を撫で、甘い花の匂いに酔いながら、やはり本当の彼女の声で聴きたいと切望した。そして、必ず彼女の家族を殺し声も奪った鬼を自分の手で討つことを改めて心に誓った。

その時杏寿郎はミズキの肩越しに、一羽の鴉を見た。自分の鎹鴉であることは疑うまでもなく、指令を持って来たこともすぐに察しがついた。
ミズキの前で鬼のことを口に出すなと厳に言い含めてあるので、じぃっとこちらを見て待っているのだ。
杏寿郎はミズキの両肩を掴んでそっと身体を離し、にこりと笑いかけた。

「すまないが少し席を外す。すぐに戻るから、続きを食べて待っていてくれ」

頷いたミズキの頭を撫でて、杏寿郎はその場を離れた。角をひとつ曲がったところへ鴉が下りてきて腕へ停まった。



「ミズキさん、本当にすまないが任務のようだ。蝶屋敷へ送っていくが、出られるだろうか?」

杏寿郎が店へ戻ると、ミズキはちょうど食べ終えたところだった。手早く会計を済ませて杏寿郎はミズキを横抱きにし、「しっかり掴まっていなさい。まぁ、落とすことは絶対にないのだが!」と笑って走り出した。
ほんの一瞬(少なくともミズキの体感によれば)のうちに蝶屋敷の玄関にいて、ゆっくりと降ろされたのだけれど、ミズキはこんな速さで移動したのは初めてで、呆然としたまま框に座り込んでしまった。
杏寿郎は屋内へ向けてしのぶを呼びつつ、跪いてミズキの履物を脱がせてやった。

「随分お早いお戻りですね」

音もなく現れたしのぶに、ミズキは立てないまま身体を捻って頭を下げた。

「胡蝶、ミズキさんを頼む」

ミズキの足元に跪いたまま、杏寿郎はしのぶを見上げた。しのぶは「わかりました」とだけ答えてミズキの背中に手を添えた。

「すまない、ミズキさん。この埋め合わせは近く必ず」

首を振るミズキの手を取って、杏寿郎はその華奢な指先を握った。

「行ってくる。必ず戻るから」

ミズキの指先に僅かな温かさを残して、瞬きのうちに杏寿郎の姿はその場から消えた。



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