「炎柱様がアナタに構うのは同情しているからよ。それに付け込んで利用するなんて厚かましい、藤の家が聞いて呆れるわ」 ミズキは無心で包帯を巻いた。目の前に座る女性隊士の傷は致命的ではなかったけれど、数が多かった。そのため、消毒と包帯を覚えたばかりのミズキが担当したのだった。大きな任務の後とあって、同じ現場での負傷者が数多く蝶屋敷で手当てを受けている。 ガヤガヤと色々な声や音の飛び交う中で、周りには聞こえない音量でこの粘着質な叱責は続いている。 体中に散在する大小の傷をひとつずつ順に布で覆っていく作業は、間もなく終わるところだった。 「柱の方がどれだけ多忙を極めていらっしゃるか、部外者には分からないでしょう。だけど仮にも藤の家の出身なら柱の時間の価値は知っておくべきじゃない?部外者のために割いていい時間ではないのよ。ねぇ、何とか言ったらどう―――あぁ、口がきけないんだっけ?」 最後の傷の包帯をじゃきんと切って、ミズキはいつもの手帳と万年筆を取り出した。 女性隊士の方は苛々とした様子でそれを見ている。 『仰る通りです。わきまえが足りず申し訳ありませんでした。煉獄様が良くしてくださることが同情からきていることは存じておりました。それに甘えてお時間を無駄にさせてしまったこと、お詫びいたします』 「それで、もう近付かないって約束できるの?」 ミズキが綴り終えるのを待ちきれず、その隊士は覆い被さるように言い立てた。ミズキがすぐに返事を書かずにペンをぎゅっと握ったことが、余計に神経を逆撫でしたようだった。「どうなのよ」と重ねた。 『貴女のような鬼狩り様が戦ってくださるからこそ私があります。深く感謝しております』 「どうなのって聞いてんのよ、馬鹿にしてんの!?」 ミズキの手帳が叩き落され、踏みつけられた。書いたばかりの文字が擦れ、紙が波打ち捻じれた。ミズキは手元に万年筆だけを残し呆然とその紙の歪みを見た。自分の気持ちを綴った文章が踏みつけられるのは、心を抉るものがあった。 「ミズキさん!その方の包帯おわりですね、一度消毒液を取りに戻りましょう!」 さすがに周囲にも不穏な空気が露呈し、きよが努めて明るい声でミズキの手を取って立ち上がらせた。ミズキはそれを一度引き留めて床の手帳を拾い、歪んだ紙を撫でのばして閉じ、女性隊士に深く頭を下げてからきよと連れ立って部屋を後にした。 「ミズキさん、大丈夫ですか?」 廊下の角を曲がったところできよが立ち止まってミズキを引き留めた。彼女はやんわりと笑ってきよの頭を撫で、『ありがとう』を手の形で示した。そして、先ほど踏みつけられた手帳に『煉獄様にはお伝えしないでね』と書き付けた。 「でも…」 『おねがいね』 ミズキの優しい手がきよの肩に置かれた。優しく蓋をする手だった。 「あら、ミズキさん、どうしました?」 診察室の戸を開けると、調合したばかりの解毒剤を注射器に取っていたしのぶが顔を上げた。 ミズキの手が『消毒液』の形を作ると、「それなら奥の戸棚に」としのぶが指示した。ミズキが頭を下げて戸棚に向かうと、しのぶはきよを手招きして僅かに感じた違和感の事情を小声で尋ねた。きよは少し躊躇した後、しのぶへの口止めはされていないからと自分に言い聞かせ、異変に気付いてからのことを簡単にそっと伝えた。 しのぶは「そう」とだけ言って口角を意識的に持ち上げ、薬剤を満たした注射器を指で弾いた。続けてベッドに横たわる隊士の腕をアルコール消毒して容赦なく針を立てた。注入、針を抜き、脱脂綿を貼り付けて終了。 「ミズキさん、おかげさまでひと段落しましたから、きよちゃんたちとご飯にしてください」 消毒液の瓶を持って戻ってきたミズキは『でも』という風にしのぶを見た。 「あと、お使いの手帳がそろそろ終わりでしょう?新しいのをどうぞ」 しのぶはつかつかとミズキに寄って、彼女のポケットの手帳をさっと抜き取って新しいものを差し入れた。 「消毒液はこちらでもらいますね、助かります。それじゃあお昼休みに行ってらっしゃい」 反論の余地のない流れで廊下に出されたミズキは、きよに手を引かれて台所へ向かうしかなかった。 2人の去った診察室でしのぶは消毒液の瓶を棚に戻し、手帳を開き紙の歪んだ箇所にざっと目を通して、自分の書き物机にしまった。 「今は亡き最愛の姉と瓜二つというわけでもないのに重ねてしまう部分がありまして、多少の贔屓目はあるかもしれませんね。ですが彼女は懸命に仕事にあたってくれていますし、覚えも早く丁寧でとても助かっています。 ですから、彼女に向けられる感情は良いものであれ悪いものであれ把握しておきたいという気持ちがありまして」 しのぶは極めてにこやかだった。ただ、対する人間にとっては生傷を刃物で抉られた方がマシと思うほどの威圧感がその小柄な身体から発せられていた。 「私は何も責めているのではありませんよ、ただ確認したいのです。蝶屋敷の大切な仲間であるミズキさんが一体何を言われどのように傷付けられたのか。だから安心して話してください」 にっこりとひときわ口角を上げてしのぶはその人物の手を握った。握られた手は小刻みに震えて冷や汗をかいている。 先ほどミズキを責め立てた女性隊士は手を握られながら俯いて奥歯をカタカタと鳴らしていた。 「お近くの方、何か聞きましたか?」 しのぶはぐるりと見回して、治療済みで休憩していた隊士たちにも微笑みかけた。複数人からヒッと息を飲む音がした。 「どうですか?」 「いっいえっ、小声だったので、何も!申し訳ありません!」 「そうですか、では、声の出せないミズキさんに対して、周囲に知られないよう小さな声で、包帯を巻いてもらいながら、ネチネチ嫌味を言っていた、と」 いよいよニッコリと綺麗に笑ったしのぶに対して、その女性隊士は深く頭を下げて詫びた。その声はうわずって裏返ってまともに発音できてはいなかったけれど、気にする者はいなかった。 「貴女が何を言ったのか明らかになってはいませんが、もう行って結構ですよ。ただ今後も鬼殺隊に身を置くおつもりなら、くれぐれも怪我や毒に気を付けてくださいね。貴女の顔を見たら、私の手元が狂って注射器に何を入れるか傷口に何を塗るかお約束できませんから」 女性隊士は転がるように部屋を飛び出していった。残った隊士たちに「それではどうぞごゆっくり」と言い残してしのぶは去っていったけれど、5分後には部屋に誰も残っていなかった。 |