宇髄天元の場合(後)
絶賛困ったことになってしまいました。
「おーおかえり」じゃないんですよ宇髄さん。

「何で私の留守中にお隣さんが不法侵入してるんですか」
「なぁ今日チキン南蛮にしようぜ、鶏肉買っといた」
「あ、いいですねこの前瓶詰のタルタルソースもらったから…じゃない不法侵入の話をしてるんですよ私は!」

宇髄さんは鼻歌でも歌いそうな上機嫌で遠慮なく冷蔵庫を開け、夕飯の支度を始めてしまった。

2月某日高級チョコレートに篭絡されてご飯を食べさせたのは、失策だった。あれ以来味をしめたのか宇髄さんはちょくちょくうちでご飯を食べていくようになり、しれっと不法侵入するようになってしまった。
最初に不法侵入されたときには悲鳴を大きい手で塞がれて『あ、コレ死ぬ』と本気で思った。相手が宇髄さんだと分かって「え、なんで?私鍵かけ忘れてました?怖っ」と動転する私を彼は曖昧に笑って受け流した。

「いい加減警察呼びますよ。上の階に住んでる友達が、お隣はイケメンのお巡りさんだって言ってたもん」
「仲良く並んでメシ作ってる時点で痴話喧嘩と思われて終わりだっつの」
「居直りもいいとこ…!」
「米炊いといたぞ」
「主婦め!そつがない!」

意外や意外、宇髄さんはその大きな手に似合わずとても器用で料理も上手だった。不法侵入さえしなければいいお隣さんなのだけれど。
ちなみに私が帰宅したとき玄関に靴がないので、どうにかして窓から入っていると思われる。
多分真面目に訴えたら勝てる案件だと思うのだけれど、日々冷蔵庫に補充される食品に高級スーパーの名前が印字されているのを見ると訴えを引っ込めてしまうのだ。これではチョコレートのくだりと同じではないか。

ご飯の完成が近付くと宇髄さんは調理から離脱して、背後から私にのしかかって邪魔を始める。それを「邪魔です重いです2m級の巨人め」とあしらいながらご飯を仕上げて、その美しいお顔には似合わない安いダイニングテーブルで向かい合って「いただきます」と手を合わせる。美術品みたいに美しいくせに、食べるときには一見分かりにくいけれど実はすごくすごく嬉しそうにするものだから、何だかんだで追い返せずにいるのだ。あと、こんなに隣家に入り浸っているってことは、片想いは相変わらず進展していないのだろうし。


そんな生活をしていたある日、インターホンが鳴ってドアを開けてみると、とても綺麗な女の人が立っていた。知り合いではない、運送屋さんだとか宗教・新聞の勧誘という雰囲気でもない。その美人さんはぐいっとドアを引いて玄関に入り込み、後ろ手にドアを閉めて私を睨み付けた。豊かな巻き髪、きらびやかな爪、ほぼすっぴんの私とは対極的な、身なりに手入れの行き届いた美しい人だ。
その方の仰ることを要約するに、『ただの隣人である私が、どんな姑息な手を使ったのかは定かでないが、宇髄さんに取り入るのは不適切である』とのことだった。

「えっと、誤解のないようにと思うんですが…宇髄さんはきっと私のことを便利な飯炊きとしか思っていませんよ」
「は?」
「それに自分があんな綺麗な男の人と釣り合うとも、」
「待って、食べたの?作ったもの」
「え?食べますよ、あんなガタイしてるんだから」

言うとその人はみるみる目に涙を浮かべて歯を食いしばった。ぱん、と音がしたと思ったら右頬が熱くなって、何事かと思っているうちに女性は玄関から出ていってしまった。かつかつと踏み鳴らすような苛立ったハイヒールを聞きながら自分の頬に触れてみると熱を持っていて、遅れてじわじわと痛みがきた。その夜お風呂に入ったとき、ひりひりするなぁと思って鏡を見ると、ひとすじの細い傷が走っていた。
きっとあの女の人は、宇髄さんの持ってきた紙袋のチョコレートのどれかを贈った人なのだ。
改めてやっぱり私はあのチョコレートを食べるべきではなかったし、隣に住んでいるというだけで宇髄さんと過剰に仲良くするのは不適切、あの女性の言う通り。
その日から私は窓に鍵を追加して、出掛けるときもカーテンを閉めた。

ベランダには極力出ず、出勤を早く、帰宅は遅くして、ゴミ出しは深夜にこっそり行った。
意識しすぎかとも思ったけれど、絶つのなら徹底的に。そうして数日は何事もなく過ぎて、頬の傷も目立たなくなってきた。元々そう深い傷でもなかったから。

その日部屋に帰ろうと自分の階まで上がってエレベーターの箱から出た途端、久々に大蛇を前にしたハツカネズミの気分を思い出した。私のドアに、宇髄さんが背中を預けて外廊下に座っていた。
咄嗟にエレベーターに乗り直そうとしたけれど丁度扉ぴったり閉まって箱が降りていった。焦っているうちに宇髄さんが音もなく目の前に立っていて腕が大きな手に捕まってしまった。傷がある方の頬を宇髄さんから隠して足元に視線を落とすことが精々だ。

「なぁ」
「…こんばんは」
「ハイこんばんは。…こっち見ろよ」
「…」

見られるはずもなかった。目を合わせれば薄くなったとはいえ傷を見せてしまうし、それって何だか告げ口に近い気がする。
だんまりを決め込んだ私に痺れを切らしたのか宇髄さんは腕を掴んだままぐいぐいと大股に歩いて、私のドアのひとつ向こう、宇髄さんの部屋を乱暴に開いた。その中に私は為す術なく引きずり込まれて、閉まったばかりのドアの内側に昆虫標本のように肩を押し付けられてしまった。灯りのついていない玄関は暗い。
少なくとも宇髄さんはとても怒っている。

「なぁミズキ…何で避けんの。考えたけど怒らせた心当たりがねぇんだわ」
「…」
「これじゃ謝ることもできねーだろ」
「…謝ってほしいんじゃないです」
「じゃー何。………男できた?」

もちろん違うのだけれど、何と言えばいいものか分からなかった。確かに、理由があるとはいえ突然一方的にコミュニケーションを絶つのは失礼だった気がする。だけどそれなら何と言えば淡々とした隣人の関係に戻れたものか、私にはやっぱり分からない。
否定も肯定もせず相変わらず目も合わせない私に業を煮やした宇髄さんが、その大きな手で私の顎を掴み正面を向かせた。
傷を見られたと身構えたけどこの暗さなら大丈夫かと考え直したところで、宇髄さんの指が正確に頬の傷をなぞった。

「これ」
「…っ」
「誰がやった」

ほとんど見えないくらい薄くなったのに、とか、何でこの暗さで見えるの、とか色々混乱することはあったけれど、とにかくもう目を合わせないでいることは出来なくなってしまった。
それで久しぶりに宇髄さんの綺麗な目を正面から見たのだけれど、暗くてもわかる、少なくとも宇髄さんは、見たこともないくらいに怒っている。

「答える気ねぇなら心当たり片っ端から仇討ってくるけど」
「だっだめです!」
「どいつだろうな、女、派手な爪、左利き、4人知ってる」
「だめです、その人は宇髄さんのこと好きなんですよ。大怪我でもないし」

傷の終わりに添えられたままの宇随さんの手を掴んだ。

「私が正しくなかったです。ただのお隣さんが、宇髄さん宛てのチョコレートをもらったり、一緒にご飯食べたりして。私は怒ってませんから、乱暴なことしちゃだめです」

ね、と念を押すと、宇髄さんは深く深く溜息を吐いて、その美しい額を私の肩にごつごつと打ち付けた。この仕草は覚えがある。私の部屋でチョコレートを食べたとき、手応えのない片想いを嘆いていたとき。

「…なぁ、お前までやめろよ。俺が誰を好きになろうが俺の勝手だろ」
「それは、もちろん…」
「こちとら好きな女の顔に傷作られて笑ってられるほど大人じゃねぇんだよ」

『そうですよね』と相槌を打とうとしてはたと気付いた。この文脈では、宇髄さんの好きな人というのが、

「お前だわ馬鹿」

やっぱり宇髄さんは人の心が読めるのだ。




あの一件以来困ったことに、マンションの前にガラの悪い人たちがたむろするようになってしまった。最初に見たときには『怖いなぁ』と思って及び腰で通り過ぎようとしたのだけれど、私を見たその人たちは直角に礼をして「姐さんお疲れ様ッス!!」と叫んだ。姐さん?………姐さん??

天元さんは堂々と私の部屋に不法侵入を再開し、私はカーテンを開け追加の鍵を外してそれを黙認した。どんどんスキンシップが過剰になってきているので、『私だってもう貴方が好きなんですよ』と伝えるのを、少しためらっている。


prev next
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -