宇髄天元の場合(前)
最初に見かけたのは、ゴミ出しのときだった。アパートの敷地内にあるゴミ捨て場まで出て、そこで恐ろしく顔の美しい男性と鉢合わせた。身長が2mほどもありそうで、白髪赤目、派手派手しいアクセサリーときたものだから、なんだかもう『まぁ素敵な男性』とときめくより先に『これは今何が起こってるの?』という感じだった。本能的に大蛇を前にしたハツカネズミの気分だったのだ。
一応挨拶をしつつゴミを所定の場所に入れ、早く部屋に引き上げようとエレベーターに乗るとその男性も乗ってきてもう少しで『ヒッ』と言うところだったのを耐えた。失礼はいけない。相手もこのアパートの住人なのだろうから、ゴミを出したら部屋に戻る、そのためにエレベーターに乗る、当たり前だ。声が震えないように気を付けながら「何階ですか」と聞いたらまさかの自分と同じ階、階に到着してやっと自宅ドアの前まで戻ってきたときに判明したことには、まさかまさかのお隣さんだった。このときの『判明』を私は『ぜつぼう』と読んだ。

それからというもの、このお美しいお隣さんとやたらエンカウントするようになっ(てしまっ)た。
例えば、ベランダに出たとき。
例えば、玄関から出たとき。
例えば、近所のスーパーに行ったとき。
そして相変わらずゴミ出しの往復。
こうも頻繁にお会いしているとさすがに慣れてきて(あるいは恐怖が麻痺と言ってもいい)、徐々に言葉を交わすようになってきた。意外にも彼が親切で、買い物袋やゴミを持ってくれたりしたというのもあって、それなりに打ち解けた。
その男性は宇髄天元さんといって、高校で美術の先生をしているそうだ。初めて聞いたときには『え、絶対うそ』と声には出さなかったのに「嘘じゃねーよ」と言われた。心を読む能力者らしい。

ようやくちょっとした軽口を交わせるようになってきた頃、ある土曜日にインターホンが鳴ってドアを開けてみれば、宇髄さんが「よ」と一文字だけ発した。

「これあげる」
「?何ですか?」
「チョコ。一緒に食おーぜ」

そう言って宇髄さんが差し出した紙袋には、デパ地下のショーケースに並んでいるような高級チョコレートが山ほど入っていた。2月という時節柄、その意味が分からない人間は中々いない。

「えっ最低極まりない…!!」
「ド派手に失礼なやつだな、捨てるよりマシだろーがよ」
「責任もって食べてくださいよ自分で」
「食いきれるかよ10分の1だぜコレ」
「えっっっっっ」

思わず紙袋を凝視した。この満杯の紙袋があと9個。確かにひとりで食べる量ではない。

「そもそもあんま甘いもん好きじゃねーし」
「そ、それはシンドイ…」
「な、だからコーヒー淹れてくれよミズキちゃん」
「……、……………今日だけですからね」
「なげーよ葛藤が」

渋々招き入れれば、宇髄さんはまったく遠慮の気配もなくさっさと靴を脱いで部屋に上がった。私の靴の隣に並んだその靴は、ちょっとした枕ほども大きさがあった。


「…で、ひとまずコーヒーは淹れたわけですけれども」
「何よ」
「やっぱり罪悪感あるっていうか…」
「地味なこと言ってんなよ。これでもなぁ、手作りのは避けて手紙が入ってりゃ抜いて食い物じゃないのも抜いて来てんだぜ」
「お…お疲れさまで…」
「なのにミズキちゃんは最低とか言うしー」
「すみませんってば」

宇髄さんは胡座をかいて膝に頬杖を立てて、不機嫌そうにわざとらしく口元をひん曲げた。いつもの部屋に巨大な宇髄さんがいると、相対的に家具やマグカップが縮んだように見える。

モテ税とも言うべき労力を宇髄さんは支払ったらしい。人気者も楽じゃないということだ。
私は意を決して紙袋から有名ブランドのパッケージを取り上げた。箱を開けると宝石のような綺麗なチョコレートが、美しく並んでつやつやとしている。これを宇髄さんに贈った方、ごめんなさい、いただきます。ひとつを口に入れると、チョコレートがとろけた。

「うわぁぁ美味しい高級な味ぃぃ…!」
「ヨカッタネー」
「宇髄さんも食べるんですよ!っていうか宇髄さんが食べるんですよ!」
「気が乗らねー」
「ほらそんなこと言わないで、美味しいですよ?」
「好きな子はくれねぇんだもんな」

思わず宇髄さんのお美しい顔を凝視した。この美人さんが、片想い。10袋満杯にチョコレートを贈られても、好きな子からのひとつがその中に無い。

「片想いしてるんですね」
「まーな」
「モテるのも大変ですねぇ」
「虚しくて泣いちゃう」
「傷心の宇髄さんはチョコレート食べましょ」

チョコレートの箱をずいっと差し出すと、宇髄さんの赤い目がじぃっと私を見た。たじろぐほど綺麗な目に私が喋れないでいると、宇髄さんが突然「んあ」と口を開けた。
意図を測りかねている私に、宇髄さんは人差し指でちょいちょいと開けた口を指した。

「え、口に入れろってこと?」

非常になんでやねんな状況ではあるけれども、宇髄さんはあんぐり口を開けたまま譲りそうになかった。しかし歯並びまで完璧とはずるい。仕方なしに箱から綺麗な一粒を取り上げてその口に放り込むと、もぐもぐと咀嚼した。その後やおら突っ伏してごつごつとその美しい額をテーブルに打ち付けた。

「あーうめぇあー虚しい鈍感女め」
「告白しないんですか?」
「けっこうモーションかけてる」
「気付いてもらえないんですか?」
「まっっっっったく」

一見すると豪華なソファで美女を3人くらい侍らせてブランデーでも飲んでいそうなこの大きな男の人が、手応えのない片想いにしょんぼりと背中を丸めて安いローテーブルに伏せている。とても今更でとても失礼ながら、そこでようやく『同じ人間なんだなぁ』と思ったのだった。大きな蛇とかじゃなくて。

「ほら宇髄さん、美人さんがもったいないですよ。お顔上げて」
「まだ元気でなーい」
「大きい駄々っ子…!もう、せめてこの1箱は食べきりましょうよ、そしたらご飯作りますから」

「えっ」と目を真ん丸にした宇髄さんが急に顔を上げて、私の方がびっくりしてしまった。甘いもの苦手な人って本当にチョコレートよりご飯が好きなんだなぁ、当たり前だけど。俄かには信じがたい、だってピエールマルコリーニですよ?この小さい箱がいくらすると思ってるの。
「まじか」とやたら念押しする宇髄さんに圧されて頷くと、宇髄さんはにぱっと、何だか小さな子どもみたいに笑った。えっ可愛いっていうか色々ズルいなこの人。

「…応えられるか分からないけど、好きな食べ物何ですか?」
「ふぐ刺し」
「ふざけてます?」


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