不死川実弥の場合(後)
お隣の不死川さんとの関係は、とても友好的に続いている。

ある日には、私が職場でピザの割引券をもらったのでお誘いして、不死川さんが翌日非番だったこともありお酒も買って、ベランダ居酒屋をした。一緒に買い物をしてきたのに「じゃぁ後で!」と各々のドアに入って、ベランダで「お久しぶりです」と言って笑い合った。
またある日には、そういえばこの辺りで交番っていったら一箇所だけだなぁと思いながら近くを通りかかったら、勤務中の不死川さんと道路越しに目が合った。私が小さく手を振ったら、ぴしりと敬礼してくれたのだ。うわぁぁかっこいい!
不死川さんがお巡りさんだぁ、と我ながらちょっと意味の分からない感動を抱いた。

仲良しのお隣さんができて日々楽しいのだけど、その中にもちょっと憂鬱はある。帰宅して郵便受けを開けることが、最近少し怖い。
意を決して郵便受けを開けると、ぞわっとした。今日も入ってる。何がって、この白い封筒だ。
表にはただ一行『ソウマミズキ様』、差出人なし、切手・消印なし。中身は今日も私の写真だろう、これで5通目になる。
警察には相談してみたけど『これだけじゃあ動けないよ』と一蹴されてしまった。何か盗まれるとか、怪我をさせられるとかするまで助けてはもらえないのだ。不死川さんに相談してみようかとも思ったけど、『これだけじゃあ動けない』なら困らせてしまうだけだし、やめた。実害はないし、仕方ないのかなぁ…と溜息を吐きながら自分の階まで上がった。

エレベーターを降りると、不死川さんの部屋のドアが大きく開け放たれて、業務用の掃除機みたいな何やら大仰な機械が玄関にどっかり居座っている。
咄嗟にさっきの封筒は鞄に押し込んで、ドアの傍に立つ不死川さんに挨拶がてら声を掛けた。

「こんにちは、どうしたんですかこれ…?」
「おォ…真上の奴が風呂の水出しっ放しにしたらしくてな、管理会社に朝から電話してんのにやっと今だァ」
「それは災難でしたね…今日お風呂入れるんですか?」

不死川さん宅のお風呂がどんな状態かは分からないけど、差し当たり一番の問題は今日のお風呂だ。不死川さんが鼻梁に皺を寄せて溜息を吐いた。

「洗面台で頭洗って身体は拭く」
「それならうちのお風呂使います?」
「ハ?」

『ぽかん』を正に体現したという感じの不死川さんが私を見た。

「だって、朝から電話してたってことは家にいたんでしょう?もしかしてこの後夜勤なんじゃないです?」
「…まァ、」
「気持ち悪いままなんて嫌じゃないですか。すぐお隣だし、着替えだけ持って来ちゃえば普段と変わらないですよ」

何か言おうとしてでも言葉が纏まらなかった様子の不死川さんに「じゃぁ片付けてますから、業者さん帰ったらお着替え持って来てくださいねぇ」と言い残して、部屋に入った。別れる直前に見た不死川さんの顔は、何とも微妙・複雑な表情だったと言う他ない。

とにかく部屋に入って最初に、お風呂場に干していた下着の類を取り込んで、ついでにベランダのタオルやTシャツも入れて、畳んで仕舞った。この前内祝いでもらったバスタオル出して、あ、ちょっと掃除しとこう…としてる内に時間が経って、インターホンが鳴った。
すぐに玄関に駆け寄ってドアを開けると、絶賛複雑なお顔継続中の不死川さんが立っていた。

「あのなァ…ちゃんとモニター確認したか?物取りかもしれねェだろ」
「うぅすみません…あの、どうぞ?」
「…お邪魔します、悪ィな」

お巡りさんらしいお叱りの後で不死川さんはきまり悪そうに目を逸らし、多分なるべく部屋の中を見ないようにしてくれながら、靴を脱いだ。そのままお風呂に案内した。

「えーっと、バスタオルとドライヤーはこれ使ってください。シャンプーとかは…持って来たんですね。あとはえーっと…」
「タオルも持ってきた。本当悪ィな」
「いえいえ全然。私のお風呂が水没したときは助けてくださいね。タオルも折角だから使ってください。あ、お花の香りのバスボムいれます?しゅわしゅわの中から小っちゃいお花が出ますよ」
「心から要らねェ」
「ですよね、いってらっしゃい」

あははと笑って手を振ると、ちょっとゲンナリ気味の不死川さんが脱衣場へと消えていった。
お花の香り、似合うと思うんだけどな。嫌だろうなさすがに。
さて、何してようかな、お風呂上がったら麦茶飲むかな。コップを冷蔵庫に入れて無目的にテレビをつけた。
お風呂場ではもうシャワーの音がしている。不死川さんお風呂早そう。

ぼんやりテレビを見ていると、その隣の定位置に置いた鞄が目に入って、その中の憂鬱のことも思い出した。そういえば鞄に隠したままだった。気は進まないけれど、こういうのはいつ何があったかの記録が大事だと聞くし、一応中身を確認しなくちゃ…と重い腰を上げて鞄から封筒を引っ張り出した。
鋏で封を切って中身を引き出すと、やっぱり私の写真が入っていた。全部で3枚、スーパーで買い物をしてるところ、アパートの前を歩いてるところ、郵便受けを開けてるところ…とぞわぞわしながら全部見たところで気付いた。もう1枚、写真じゃない紙がある。二つ折りになったその紙を恐る恐る開いたところで私は思わず悲鳴を上げた。

「どうしたァ!?」

洗面所からスラックスだけを身に着けて髪も濡れたままの不死川さんが飛び出してきて、咄嗟に私は手に持っていた一式を胸に押し当てて、彼に背を向けたまま顔だけ振り返ってへらっと笑った。

「ご、ごめんなさいびっくりさせちゃって、ちょっと、あの、ゴキブリ見ちゃって」
「…そォかよ。で、何持ってんだァ?」
「えっと、電気代の通知です」
「電気代の通知ってのはンな必死に隠すモンかねェ…」
「…」
「無理強いできねェが、悲鳴上げるようなモンがあるなら見せてみろ」

不死川さんが背を向けたままの私にゆっくり近付いて、柔らかく肩に手を置いた。とても温かくて、ベランダでコーヒーを囲むよりも近い距離で初めて「ミズキ」と呼ばれて、泣きそうになりながら、私は胸に押し付けて隠していたものを離した。
改めて天井を向いたその紙には、『君のことは僕が絶対に守ってあげるからね』と綴られていた。

不死川さんの手がぱっと私の手からその一式を取り上げて、手早く一通りを確認した。
「ミズキ」と不死川さんの低い声がまた呼んだ。

「郵便受けに直接入ってたか?」

頷いた。

「まだあんのか」

頷いた。

「全部出せ」

書き物机の抽斗からジッパー付きの袋を出してきてダイニングテーブルに置くと、不死川さんの手が迷わず開封して、極めててきぱきと内容をあらためた。銀行員がお札を数えるような鮮やかで事務的な仕草だったことが救いだった。

「警察には?」
「いったけど、『これだけじゃあ動けない』って…」
「何で俺に言わねェ」
「…困らせちゃうと思って」

叱られてるような気持ちで段々背中を丸めてしまっていた私を、不死川さんの温かい手が労わるように撫でて「怖かったな、話してくれてありがとうなァ」と言ってくれた。そしたらもう我慢できなくなってわんわん泣いて、不死川さんは私を抱き寄せてずっと背中を撫でてくれていた。
恋人でもないひとにこんなことさせて良心が咎めたけど、不死川さんが首に掛けていたバスタオルが、涙を押し付けるのにすごく丁度良かったと言い訳するしかない。内祝いのバスタオルはとってもふわふわだった。

私のしゃくりあげるのが落ち着いてきたのを見計らって不死川さんは身体を離して、屈んで私を正面から覗き込んだ。丁度、迷子になって泣いている子どもに『お名前言えるかな?』と尋ねるような格好で。

「差出人に心当たりはあるか?」

首を振った。

「…確認するが、俺の入ってる部屋、前に一度人が入って、でもすぐ出てったんだな?」

頷いた。

「よし、ちょい移動すんぞ」
「え?」

いかにも『切り換えました』という感じの不死川さんが私の手を引いて早速歩き始めたので、慌ててスマホひとつポケットに押し込んでついて行った。不死川さんは洗面所に立ち寄って忘れていたTシャツを着、脱いだ服をバスケットボールくらいのひとまとめにして小脇に抱えて私の部屋を出た。出たと思ったらすぐ隣の部屋、つまり不死川さんの部屋に入って、彼は玄関すぐ横の洗面所に丸めた服を放り込んだ。
私の部屋とほぼ線対称で、騙し絵の中にいるような不思議な感覚がした。
…というか、男の人の部屋!に、入っちゃった!!
「まァ座れ」って不死川さん、逆に何でそんなに落ち着いていらっしゃる!?

「いきなり悪ィな」
「いっいえっ」
「今からちっと邪魔なモン片付けてくるから、いい子で待ってろォ」
「じゃま…?」

部屋を見回しても、邪魔なものどころか余計なもののひとつも転がっていない。
いまいち不死川さんの言動を飲み込めていない私の頭をひと撫でして、テレビのリモコンを渡したり「冷蔵庫の中身は好きに飲み食いしろ」とか色々と気を回してくれた後で、部屋から出ていった。玄関から出る直前に電話を掛けている様子だったけど、「部長、不死川です」という話し始めからして掛けた先は職場なのだろう。

それから2時間くらいして、不死川さんは帰ってきた。詳しくは語らなかったけれど、不死川さんが「もう大丈夫だからな」と言うのを聞けば不思議と安心した。お仕事はと聞くと休みを取ったとのことで、またひとつ安心した。

「俺の留守中変わったことなかったかァ?」
「なんにも…あ、真上の部屋のひとがね、ものすごく派手に転んじゃったのかな、大きい音がしました」
「アー、いつも上の奴足音うるっせェんだよなァ…ベランダにも吸殻投げ込みやがるしよォ。でもさっき会って話したらな、近々引っ越すらしいぜェ」
「そっか、よかったですね」
「うん、よかったなァ」

不死川さんがニッと笑った。
それから彼は表情を引き締めると骨をコキッと鳴らすように首を傾げた後、意を決したように私を見た。

「…なァ、ミズキ、こりゃァ防犯的な意味合いが1割と単に俺が得するのが9割の提案なんだが」
「はい…?」

「俺と恋人になって一緒に住むってのは、どうだァ?」





(毎日毎日メッタクソ天井鳴らしてくれやがってウルセェんだよ暇人かテメェ、ア?ベランダの吸殻も風呂もセコい真似しやがってよォ。お前がどんだけ頑張ってもミズキには触らせねェ、俺がいるからなァ。3日後まだここにいやがったら刻んで海に撒き餌すっから、急いで不動産屋行けよ。オラ行けクソ変態ストーカー野郎)


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