冨岡義勇の場合
幼馴染の蔦子とミズキは幼稚園の頃からずっと一緒で、クラスこそ離れたことがあったけれど結局大学までずっと一緒だった。就職でやっと道が分岐した格好で、それでもやはり頻繁に連絡を取り合って、週末になればランチに出掛けたり、絶賛幼馴染継続中といったところ。

蔦子には弟がひとりいて、名前を義勇という。美人の蔦子に似て人が振り返るような美男で、この美しい姉弟はミズキの自慢の幼馴染だった。
義勇は幼い頃から静かなたちで、その美貌のために周囲の女の子から揉みくちゃにされても強く拒絶出来ず、くたびれたシャツのようによれよれになったところを姉やミズキが助けてやる度にただ黙って後をついてくるような子どもだった。
中学に入った頃からは女の子に絡まれる前にスッと逃げることを覚えたために姉たちの助けを借りることもなくなっていったけれど、美しい顔立ちと静かで掴みどころのない感じが余計に女子人気を煽った。本人はただひたすらに迷惑がっているだけなのに、人生って上手く噛み合わないわぁ、とミズキは傍から見て常々思うのだった。

ミズキは母校の養護教諭として高校に出戻った形で4月から働き始め、在学中の義勇とまた頻繁に顔を合わせるようになった。
姉の蔦子の中では義勇のイメージが小学校の中盤辺りで止まっているらしく、『最近学校で義勇はどう?』と子犬の生育状況でも確認するかのようなメッセージがたまにミズキに入る。そしてミズキも蔦子と同様で、『元気にしてるよ、相変わらず女の子は苦手みたいだけど』と子犬の生育状況を報告するのが常だ。

ミズキが母校で働き始めてからというもの、義勇は足繁く保健室に通い、昼休憩には静かな保健室でミズキと一緒に食べたがった。元々彼が人と会話をしながら食べるのを苦手にしていて、そのために家族以外と食事をすることをあまり好まないことをミズキは承知していた。そして義勇のことを子犬のように可愛く思っていればこそ、快く迎え入れて一緒に食事をした。

「あ、そういえば義勇くんこれ」
「?」

いつも通り一緒に食事をして弁当箱を片付けた後の机にミズキが可愛らしい封筒を一枚出した。義勇は警戒していない表情で首を傾げていたけれど、封筒の表に可愛らしい字で『冨岡先輩へ』と綴られているのを見ると不快そうに目を細めた。

「…要らない」
「苦手なのは分かるけどね、受け取ってあげなくちゃ」

ミズキと義勇が幼馴染の関係にあることはさっさと校内に広まり、義勇に告白しようにも捕まえられない1年生の女の子が思い詰めた表情でラブレターを託しに来たのだった。
義勇は不承不承受け取って、開封もしないまま上着のポケットに突っ込んでしまった。

「迷惑そうにしちゃ可哀想よ」
「冷たく断るのも優しく断るのも変わらない」
「勇気を出して書いてくれた手紙よ、自分なら…返事はどちらでも、こうされたいって思う対応をしなくちゃだめ」
「…分かった」

義勇はポケットから少し折れた封筒を出して開封し、淡々と中の便箋をあらためた。視線の種類としては日用品を買った後のレシートを見る目と大差なかったけれども、それについては口出しすまいとミズキは義勇の向かいの席で思ったのだった。
読み終えた便箋を畳んで封筒に戻し、今度は幾分丁寧に上着のポケットに入れて、義勇はミズキを見た。

「後で断りを入れておく」
「…そう」

ミズキは手紙を託しに来た女の子のことを思って少し心を痛めたけれど、こればかりは義勇が決めることで仕方がない。

「俺は怒ってる」
「どうして?」
「ミズキとの時間を邪魔されたくない」

ミズキは目を何度か瞬かせて義勇を見た。幼い頃からの付き合いでよく懐いてくれているとは思っていたけれど、ここまで言ってくれるとは思っていなかった。子犬がすりすりと手にじゃれつく様を想像してミズキは胸をときめかせた。

「嬉しいな、義勇くんは可愛いねぇ」

ミズキにしてみれば全く悪気なく、いつもの調子で、義勇の少し硬い髪を撫でた。いつもなら、少し嬉しいような嬉しくないような微妙な表情で義勇はその手を受け入れて、結局ミズキの気が済むまで触らせるところだった。しかしこの時義勇はミズキの手が触れてすぐにその細い手首を掴みテーブルを挟んだままぐっと引き寄せた。ミズキはテーブルに半ば乗り上げた状態で、怒ったように鋭い義勇の目を間近に見ることになった。

「いつまでも子ども扱いするな」
「ご、ごめんね?高校生の男の子が可愛いって、嫌だったよね」
「違う。ミズキが俺の気持ちを知りもしないで喋ることに腹を立ててる」
「気持ち?」
「俺はミズキが好きだ、何年も前から」

ミズキは一瞬何を言われたのか理解が追い付かず、間近な義勇の顔をまじまじと見つめた。
好き、とは。親愛だとか、家族愛とか?と思ったところで、ミズキの思考を読んだかのように義勇が目元を歪めた。

「言っておくが家族愛だとかそんな高尚なものじゃない。キスもセックスもしたい俗っぽい好きだ」
「う、ん…?え、ぇ…?」

今の今まで子犬のように思っていた幼馴染の男の子からいきなり性愛を告げられて、ミズキは激しく混乱した。
赤面する余裕すらなく口を小さくはくはくとさせているミズキの細い手首を、義勇は少し手を緩めて指の腹ですりすりと撫でた。剣道に打ち込むその手は皮膚が厚く筋張って、男性のそれだった。

「ミズキ、俺が可愛いか?」
「え、ぅ…」
「俺は男だ。そこのベッドに押し倒して今まで俺がどれだけのことを我慢してきたのか教えてやってもいいんだぞ」

ミズキが小さく肩を跳ねさせて僅かに怯えた表情を見せたところで、義勇は彼女の手を離して席を立った。

「…手荒だった、ごめん。ただ言ったことは全部本当で本心だ。明日また来る。そしたら、ミズキならこうしてほしいと思う返事を、聞かせてほしい」

そのまま義勇は保健室を出ていった。静かに戸の閉められた時になって、放心したミズキは椅子に腰を下ろしてそこから徐々に、ようやく、赤面した。



その夜、無心になって部屋を掃除するという現実逃避しか出来なくなっていたミズキは、着信の音に驚いた。画面を確認すると蔦子からで、さらに驚いたのと何やら後ろめたいような気もした。
恐る恐る応答すると、いつもの呑気な蔦子の声が耳に響いた。

「いきなりごめんねぇ、今大丈夫かしら?」
「ううん、ど、どうしたの?」
「あのね、今日は義勇学校でどんな様子だったかなと思って」

ミズキは心臓が妙な脈打ち方をしたのを感じた。落ち着けこれはいつもの生育状況報告!と必死にメンタルを立て直し、「どんな、って…変わらない、よ…?」と若干の動揺は隠せなかったけれども一応取り繕った。

「あら、そうなの?あの子今日ミズキに告白したって言ってたんだけど、それらしいことは聞いてない?」

今度こそミズキは激しく動揺してついに咽せた。

「いえあの、ありました、…けど!お姉ちゃんに言うそれ!?」
「私ずっと応援してきたんだもの〜とうとう言えたのね!って嬉しかったのよ」
「ず…っ!?」

ミズキは混迷が極まるのを感じた。蔦子が実にのほほんと喋っているのでこれはもう可笑しいのは自分の方では?とすら感じ始めてしまう。
付き合いの長い幼馴染ながら何を考えているのか全く分からないという事態は初めてだった。
いやしかし思春期の男の子が自分の姉に恋愛事情を話すだろうか?まぁそれは人それぞれだから言っても仕方ない、それより蔦子さん今『ずっと』って仰いました?

「い、いつから…?」
「うーん…詳しくは分からないわ。だけど少なくとも中学のときにはもう大好きだったみたいよ」

ア、それは『ずっと』だわぁなんかほんとごめん!!
ミズキはベッドに突っ伏して何かに詫びた。

「あの子が中学生のときにね、ミズキが義勇宛のラブレターをもらってきたことがあったじゃない?あの子それが相当嫌だったみたいで、それで私に話してくれたのよ」

そんなこともあったねほんとごめん!!とミズキはベッドにより深く額を押し付けてその場にいない義勇に詫びた。蔦子にも詫びた。
義勇が『相当嫌だったみたい』なのと正に同じことを今日再びしてしまって、その上『迷惑そうにしちゃ可哀想』とか『自分ならこうされたいと思う対応をしなくちゃだめ』からの『義勇くんは可愛いねぇ』と子犬扱い。物静かな義勇があそこまで怒るのも当然である。

「なんかもう申し訳なさすぎて消えたい…泡になりたい…」
「ごめんなさいね、責めたいんじゃないのよ。ただ弟なのを抜きにしても応援したくなっちゃうくらい、本当に好きみたいなの。だからね、立場上葛藤もあるだろうけど、シンプルに義勇のことを好きになれるかだけを考えてあげてほしいの」
「そう、そう、だよ、ね…」

その後簡単な挨拶を交わして蔦子との通話を終えた。ミズキはベッドに伏せていた上体を起こして、端末を持つ手をぼんやりと眺めた。今日の昼、義勇がこの手首を掴んで、硬い指の腹がすりすりと撫でた。男性の手だった。少なくとも子犬などでは全然ない。
男性としての義勇だなんて、今までに一度も考えたことがなかった。それでも、今まで無意識に傷付けてきた贖いという訳ではないとしても、真剣に彼のことを考えなくては失礼にあたる。
ミズキは頭の中に義勇の姿をごく無造作に思い浮かべて、そこから薄い膜を一枚ずつ剥ぐように色々なものを取り外していった。幼馴染という関係、教員・生徒という立場、親友の弟ということ、可愛い弟分というフィルター。
大人として本来考えるべき常識はひとまず脇へ置いた。幼馴染だから関係が悪くなると気まずいという都合だとか、ぷにぷにと柔らかい頬をしていた頃の可愛らしい記憶も、置いた。そうしていると頭の中が冬の朝のようにクリアになって、義勇の深く澄んだ青い目が思い浮かんだ。
ミズキは暗転していたスマホを起こして義勇の番号を呼び出した。








「急にごめんね、学校だとどうしても人の気配が気になっちゃうと思ったから」

夜の住宅地で合流して、ミズキはいつもより少し距離をあけて義勇と歩いた。「構わない」という義勇の声は少し緊張を含んでいた。

「まず…今まで本当にごめんね。知らずにたくさん傷付けてきたよね」
「…それは否定しない。中学の時も、今日の昼も、手紙を書いたのがミズキならどんなにいいかと思った」
「う、ん…それなんだけど、ね」

ミズキが言い淀んで立ち止まると、1歩先で義勇も止まって振り返った。
近くの家から子どもの笑う声が微かに漏れ聞こえてきた。街灯の間隔は広いけれど、月の明るい夜だった。

「…今まで義勇くんのこと、男の人として見たことなかった、から…」
「…」
「何だか知らない人みたいで、少し怖い、かな…今は」
「…」
「だからえっと…、お友達に、なりませんか」
「は…?」
「え?いやえっと、幼馴染じゃなく考えようとしてみたらね?えっと、うん、今日これが初対面だって考えてみたら、いきなり付き合うって、ならないでしょ?」

「えっごめん、おかしい?」とオロオロし始めたミズキを義勇はきつく抱き締めて鼻先を髪に埋めた。ミズキは動揺して身体を強張らせたけれど、拒絶の仕草は見せなかった。
ミズキは義勇の肩口を頬に感じながら、こんなに大きかったっけ、と思った。

「…初対面なのにすまない」
「うーん…やっぱりちょっと無理があるよねぇ、赤ちゃんの頃から知ってるし」
「すぐ振られるとばかり」
「本当はね、教員としてはそうしなきゃなんだけど…。私が立場の違う年上の人に告白するとしたら、一回ちゃんと考えてほしいかなぁって」
「嬉しい」
「ただ、本気で考えてみたけど付き合えないって言うかもしれないし、もし私も義勇くんのこと好きになっても、卒業までは付き合えないよ?」
「構わない、好きになってもらえるよう努力する」

義勇は苦しいほどミズキを抱き締めて、彼女の柔い髪に頬を擦り寄せた。ミズキは知らない内に随分大きくなったその背中をとんとんと叩いてやって、子犬ではないけど今度は大きなわんちゃんみたいだなぁと思った。
そして何となく敗戦の気配を感じながら、やっぱり可愛い、とも内心で思った。


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