不死川実弥の場合
夜道を歩きながらミズキは肝を冷やしていた。
大学に入って最初の新歓コンパは教授も出席する公式行事だからと聞いて、『え、浪人生以外は未成年だけどいいの?』と思いつつ、教師をしている恋人を説得して説得して飲み会に出席した。
そこまでは良かった。隣になった女性の先輩は親切に色々と教えてくれたし、仲良くなれそうだと思った。
ただ飲み会がお開きになって帰ろうと思っているところへ、大変有難くも「危ないから送っていくよ」と男性の先輩が声を掛けてくださった時には、『危ないのはあなたの方ですよ』と言いたかった。
恋人の実弥は、数学嫌いを公言した生徒を窓からスマブラよろしく投げ飛ばす腕っぷしの強さで、その上非常に嫉妬深い。女子供には優しいけれどその分男には容赦がない。
そもそも今日の飲み会だって出席するのをとても渋ったし、「迎えに行く」と途中まで譲らなかったのだ。教授もいる席で保護者のお迎えが来るなんて恥ずかしいとミズキが苦心して説得して、結局飲酒しないことと二次会があっても参加しないことを条件に折れてくれたのだ。

「ミズキちゃん顔色変わらないね、お酒強いの?」
「…今日はほとんど飲んでないんです」
「えー、じゃあ酔っ払いの相手大変だったでしょ」
「いえ、ぜんぜん」

一度隣のグラスと取り違えて一口酒を含んでしまい、吐き出すわけにもいかず飲んでしまったことも、ミズキにとっては冷や汗の要因だった。
約束を破ってしまった後ろめたさと、夜道を連れ立って歩くこの状況を見られた場合の先輩の安否が心配なことで、酔ってもいないのにミズキは足元がふらふらするような気分だった。

「あ、じゃあもうここなので。ありがとうございました」
「部屋の前まで送るよ、玄関開ける時が一番危ないって知ってた?」

知 っ て る !といっそ叫んでしまいたかった。勿論ミズキの思う危ないの意味合いは先輩の言う内容とは食い違っている。
実弥のことを知らない人がどこまで理解してくれるものか、どうにか穏便に先輩を帰すことはできないかと悩んでいる内に先輩はエントランスに入ってしまった。そうなれば鍵を出さないのも不自然で解錠せざるを得ない。エレベーターに乗って心中で『いざとなったら抱き着いて止めよう』と思っているミズキは勿論先輩の下心に気付いていない。加えて、素直に『恋人がいるから帰ってほしい』と言えばいいということも頭から抜けている。

「あの、さすがにもう大丈夫ですよ」
「まぁ折角だから」

折角なら命を大事にしましょうというミズキの心の声も空しく部屋の前まで着いてしまい、最後の希望として実弥が寝ていることを祈りながらミズキはドアノブに手を掛けた。抵抗なくドアは開い(てしまっ)た。

「おー、おかえりィ」

実弥は丁度風呂から上がったばかりらしく、裸の上半身にタオルを被り、下はスウェットという姿で脱衣場から出てきた。ミズキが玄関に踏み入りつつ、少し緊張した声で「ただいま」を言うと、実弥は意外にも優しく口角を上げた。

「楽しかったか?」
「…ん、隣になった先輩が選びたいコースの人でね、親切にしてくれたよ」
「そか、よかったなァ」
「…あのね、先輩のとグラス間違って一口飲んじゃったの、ごめん」
「ふは、正直でエライなァ。飲めたか?」
「味はオレンジジュースでね、先輩が『それお酒よ』って言ってくれるまで気付かなかったくらい」
「あー、カシオレか?ほぼジュースだなァ」

機嫌よさそうに話す実弥にミズキはすっかり安心して緊張を解いていた。
実弥はミズキの髪に鼻先を寄せてスンと吸い込んだ。

「安酒と煙草の臭いだなァ…早くいい匂いに戻ってくれよ」
「えっ臭い?お風呂入る」
「おー、まだ冷めてねェから入ってこい」

ぽんぽんとミズキの頭に手を置いた後、実弥は視線を玄関に滑らせて急激に纏う空気を冷たくした。「でアンタが、ウチのを送ってきてくれたんだなァ?」と、言う内容こそ感謝と取れなくもないけれど、視線は人を殺せる鋭さだった。
ミズキは実弥の機嫌が悪くない様子だったことに安心していて先輩の存在が意識からすっぽり抜けてしまっていた。
先輩は玄関扉のところに立ったまま、身の処し方を掴めずただ立っていたのだった。

「あっ先輩、すみません、ありがとうございました!」
「い、いや、うん」
「ミズキほら、風呂」

実弥にニッコリ背中を押され、ミズキは先輩に頭を下げて居室へ引っ込んでいった。
ミズキの姿が扉の向こうに消えると実弥はゆっくりと玄関に立つ青年を振り返った。

「ウチのが世話んなったなァ」
「…いっいえっ」
「次はねェぞ、ガキ」
「ヒッ」
「ひとりで帰れるかい」
「ハッハイッ!すんませんっした!」

青年は直角に腰を折って頭を下げ、ほとんど転がるように走り去った。

「…先輩帰っちゃった?」
「おーイイコで帰ってったぜェ」

着替えを抱えて戻ってきたミズキに向く頃には、実弥の表情はまた穏やかに戻っていた。

「…何言ったの?」
「んー?別にィ」

疑う表情のミズキからふいっと目を逸らして、実弥は脱衣場に入った。

「実弥も入るの?」
「おう、すっかり冷めちまったんでなァ。ついでに洗ってやるよ」
「…えっちしないからね」
「…」
「返事して!?」




「昨日ウチの学部の新歓コンパあってさ」
「時期だな」
「スッゲェ可愛い子がいたんだよ、マジかってぐらいの」
「ほー」
「指輪してたけどワンチャンあるかなって家まで送ってったさ」
「うん」
「そしたらさ、…うん」
「どしたよ」
「彼氏がさ、家で風呂上がりでさ、鉢合わせたよ」
「それはそれは」
「その彼氏がスゲー怖ェの…顔に大きい傷が3本あって、白い髪で、目がもう人殺しのそれっていうか」
「え、ちょっと待ってその容姿知ってるかも俺」
「え」
「俺の出身校の数学教師じゃん、うわお前さね先の彼女にちょっかい出したの死ぬよ馬鹿なの?」
「そんなヤベェの…?俺大丈夫…?」
「え、もしかしてその可愛い子ってソウマミズキちゃん?」
「そうそう」
「さね先一途あとお前本格的に死んだ」
「えええ」
「例えるとな、恐ろしい大虎が大事に大事に100年取っといた大好物のおはぎがあるとして」
「100年て虎死ぬよあとおはぎって設定が独特すぎて入ってこねぇよ腐るし」
「虎とおはぎは不滅という前提」
「ひとまずうん」
「お前は虎の尻尾をメッタクソ踏んでおはぎを取って食おうとしたと思え。あと俺の連絡先はスマホから消してくれ、お前のことは2・3日は忘れない」
「待って!?」


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