12

ミズキと老婦人は長く抱き合って、離れていた時間を埋めた。2人が身体を離すとミズキは安心しきった顔で笑っていて、いつもより幼く見えた。
老婦人が俺を見て「ミズキちゃん、この方は?」と言った。

「彼は私の恩人です。実弥くんっていいます」

…正直、教え子だとか親しい近所の子と言われるかと想定してたもんで、不意打ちを食らって何やらむず痒い気分だった。老婦人は「そうなの」と微笑んだ後、俺に向かって名乗った。

「せっかく来てもらったのだけど、ミズキちゃんは展示室には行かない方がいいわね。絵より人を見てずっと立ってる男がいるから」
「…ヘェ。俺ちょっと散歩してくっからここで待ってろよォ」
「だめだってば」

ミズキと老婦人が笑った。笑うとよく似た2人だった。
「実はね」と老婦人がいたずらっぽく笑った。

「ミズキちゃんが練習で模写したのを1枚まぜてあるのよね。気付く人があるかしら?」

「なんてことを」とミズキは言ったが、同じようにいたずらっぽく笑った。


控室を出る前に老婦人がミズキを呼び止めて、青い封筒を渡した。いつか美術準備室でミズキが読んでいた手紙と同じ封筒だった。

「ミズキちゃんに会えたら渡すようにって」

ミズキは涙ぐんで、細い声で「先生」と呼んだ。

「お兄さんにはこれね」と老婦人が差し出したものを見ると、『教え子の像』のポストカードだった。俺と同じ年頃のミズキだ。
俺が受け取ると老婦人が「ミズキちゃんをよろしくね」と笑った。俺は「勿論です」と言って頭を下げ、ミズキを連れて来た道を戻った。

通用口を抜けてトラックまで戻ると、運転席で昼寝に入りかけていたおっさんが「早かったな」と言いつつ荷台を開けてくれて、また乗り込んで、ゆっくりと車が帰路についた。
来た時と同じ位置で壁に背中を預けて腰を下ろしてミズキを手招きすると、ずっと黙っていたミズキは俺の前に膝をついて抱き着いてきた。

「ありがとう、実弥くん、本当に」

ミズキは俺の耳の横で小さく嗚咽を漏らしていて、でもそれは昨日の痛々しいそれじゃなく、温かい涙だった。俺は震える背中に手を置いて「だから言ったろォ」と笑って、ミズキは「うん」と一層強く俺を抱き締めた。
薄暗い荷台の中で、走行中の揺れと音に隠れて、しばらくミズキを抱き締めて背中や髪を撫でていた。

言い訳になるが、最初はミズキが老婦人と話せて本当に良かったと温かい気持ちだったのだ。本当に。
ただその温かい気持ちが徐々に落ち着いてくると、今度は次第にミズキの柔らかさや体温、甘い匂いに頭の中を掻き回されるような気分がしてきた。
いやしかし恩を売ったつもりはないにしても、このタイミングで迫るのはやり口として卑怯だ。
でも我慢我慢我慢と心中で唱えれば唱えるほど、不思議と柔らかさや甘い匂いが際立ってくるような気がした。終いには昨日回顧展に行く行かないの押し問答をした流れでミズキが何やら告白紛いのことを口走ったことまで思い出した。
結果、嗚咽の落ち着いてきたミズキの耳元にボソッと「好きだ」と吐露したのは、気付けば、という感じだった。
ミズキは長く続いていた緊張が解けてゆったりし始めてたところだったのがビクッと硬直して俺から後退った。
ミズキは何が起こったか分かっていない様子で座っていたので、俺は改めて「好きだ」と言った。今度は意思を持って目を見て。

「…っだめ、だめだめっ」
「何で」
「そばにいられなくなっちゃう」

…正直しゃぶりつきたいほど可愛い。素直かよ、ほぼ白状してんじゃねェか。思わず声に出して笑った。

「…とりあえず、危ねェだろ、コッチ来いよ」

ミズキは一度尻尾を引っ張られた猫みたいに警戒した様子で、渋々、恐る恐る俺の隣に戻ってきた。到着する前にその細い腕を捕まえて「ソッチじゃねェ、コッチ」と俺の脚の間に引き摺り込んだ。

「っだからっ!だめだってば!」
「『イヤ』じゃなくてか」
「…だめなんだってば、いい子だから、離して」
「急に年上振んなよ」
「年上で、先生だもん」
「こっちだって卒業までイイコで待とうと思ってたわ」
「何で言っちゃうの」
「昨日自分が何言ったのか覚えてないに1票」
「昨日?私?」
「『私なら実弥くんと噂になった子なんて見たくない』ってよ、ミズキちゃんは」

抱き込んだ背中の耳元に教えてやると、ミズキは「うそぉ…」と項垂れた。あらわになったうなじに噛み付いてやろうかと思って一応我慢しておいた。

「ミズキ、2択だ。ダメかイヤか」
「…だめ」
「好きかイエスか」
「…ちょっと、」
「どっち」

咎めるような声色のミズキにごり押しで迫れば、ミズキは俺の腕の中で振り向いた横顔で、叱られてシュンとしたような顔で、「大好き」と言った。
キスをした。



出発した倉庫に着いて会社の人達に礼を言って、スーパーに寄って遅い昼飯を買ってミズキの部屋に帰った。
メシの後、学校での呼び方やら外で過度に接触しないことを口酸っぱく言い含められて、「じゃ、ここでなら堂々と触っても文句ねェよなァ」と迫って、ようやく2回目のキスに漕ぎ着けた。

しばらくミズキを好きに撫で回して、夕方になって俺の家へ一緒に行ってお袋にも礼を言った。予想通りというかミズキとお袋は花束の代金を巡って払う・受け取らないの一悶着の末やっぱりお袋が勝った。
夕飯の席で俺が、回顧展の中にミズキの模写が1枚混ざってるらしいことを教えると、ミズキ以外の全員が大笑いした。ミズキは恩師の画集とその隣に飾られた自分の素描を見て、恥ずかしいような誇らしいような泣きたいような複雑な顔をした。

後日お袋は玄弥、弘、寿美を連れて回顧展を見に行ったそうで、「ぜんっぜん分からなかったわぁ」と笑っていた。
俺はというと、玄弥が「若い女の顔ばっか覗き込んで回ってる男がいたから、足引っ掛けてこかしてやったよ。鼻血出して帰ってったぜ」と言うので褒め倒してありったけのスイカバーを買い与えた。


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