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それからというもの俺は暇さえあればミズキのところに入り浸った。

「私が言えたことじゃないんだけど、勉強は大丈夫?」と言われて「ここでやる」と譲らなかったほどだ。受験にかこつけてバイトを減らして、ミズキのマンションに押しかけて参考書を開いた。
学校で授業を受けて、休憩時間は美術準備室に通い、バイトに行き、たまに自分の小遣いでミズキのお袋さんに花を送り、チビ達の相手をして宿題を見て、ミズキの部屋に行って勉強し、メシを世話になることもあった。美味かった。それは少しの隙間もなく有意義なスケジュールで、ガラにもなく楽しかったのだと思う。
ミズキの部屋に入り浸ることについては親か家主に咎められるかと思ったが、幸いどちらも『下の子たちが多くて家は集中できないもんね』と都合のいい誤解をしてくれてるようだった。実際のところ物心付く前から家は騒がしいので毛ほども気にならないことは黙っておく。

困ることがあるとすれば、俺の我慢の問題だけだ。

コトンといつものマグカップが参考書の横に置かれて、ミズキは白いツナギ姿でもうひとつのマグカップを持って、「頑張ってるねぇ、感心感心」と笑った。「じゃあ私隣で絵描いてるから」とドアの向こうに消えていった。パタンとドアが閉まった一拍後、俺は無音を心掛けながら深く深く息を吐き出した。
今日もかっっっっわいいが過ぎるわボケ押し倒すぞ高校生の性欲ナメんな!!あとツナギって実はエロくないかエロすぎねェか真面目な話!一番下までファスナー下ろしたらもう下着だろ想像するわ!
我ながらチョロいと思うが、ミズキに心を寄せてもらって柔らかくて温かい手に背中を撫でられて、あっけないほど真っ逆さまにストンと恋に落ちた。で、恋をしてみるともう男子高校生の思考なんて単純極まりなくて、以来我慢の綱渡りを続けている。ダメ、ゼッタイ、とポスターの標語みたいな呪文を唱えながらミズキに触りそうになる手を抑える状態になって久しい。
卒業したら手ェ出す、絶対出す、即日出す、それまでに男作ったりしようもんならブチ殺す(男を)。

視線を滑らせると窓際のベッドが目に入った(瞬時に邪念を滅殺した)。
間取りとしては寝室用の部屋は別にあるのだが、そっちはアトリエに当ててあって、実質ワンルームみたいな暮らしだ。一度チラッとアトリエを覗いたら、床一面のブルーシート、イーゼルにキャンバス、絵の具や筆の類、スツールが一脚。壁にも大小の絵が立て掛けてあった。ミズキの城だ。お袋さんの病気のことで留学を諦めたとはいえ、本気で画家を目指した身だ。
ミズキが順調に留学できてれば俺と会うこともなかったろうと思うと、手前勝手だが巡り合わせには感謝せずにいられない。




「そういえば、不死川くんって何学部に行くの?」

ミズキの部屋で夕飯を食べながらの唐突なその質問だった。

「理学部の数学」
「うわぁもう尊敬する…」
「受かってからなァ」
「卒業の後は?」

そういえば前にもこんな話をした。将来の夢を聞かれて、家計の手助けぐらいしか目的のない俺はその時生意気な返事をした気がする。
しかし夢なんて急に降って湧くもんでもなし、今も状況は大差ない。
俺が肩を竦めて見せると、ミズキは「私ね」とワクワクした様子で切り出した。

「不死川くんは先生に向いてると思うなぁ」
「…まさかだろォ」
「面倒見がいいし、下の子の宿題見てあげるときも教え方上手だし」
「普通」
「私、立派な志があってなったのじゃないけど、先生っていいなぁって思ってるよ」
「どんなとこ?」
「私絵が好きだから、たまに生徒が『楽しい!』って目をしてくれることがあるとね、分かってくれた?楽しいよね!ってなる」
「語彙力」
「それね」
「まぁ分かる」

「でしょー」とミズキは笑った。
弟妹らの宿題を見てて、ウンウン唸ってたのがあるとき解けて顔を輝かせる様を見た気分がそれなんだろう。
教員、教師、先生、俺が。考えたこともなかった。例えばミズキと立場が逆だったらどんな感じなんだろうかと要らん妄想をしてると、計ったかのようにミズキが「不死川先生」と言った。

「ちょっと待て聞き逃したもっかい」
「不死川先生?」

ミズキは悪戯っぽく笑って『ほら、どう?』って顔で俺を覗き込んだ。
…ダメだ贔屓しない自分が想像できねェ。
妄想で既に道を誤りかけてる俺はやっぱり教師には向いてない。…候補には入れておくが。


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