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「ねぇどーーーしてもダメ?いずれ言うんだしバレてもそこまで問題なくない?ふわっと…本当ふわっとだけ、ね?」
宝石のごとく美しい碧眼がウルウルと同情を誘っている。しかし、誘われた側は(多少揺らいだものの)譲らなかった。
「来月の漫才グランプリが終わってからって、2人で決めたでしょ?」
「でもぉ」
「悟くん」
五条は黙った。
優しいミズキが、一生懸命になって精一杯、どんなに頑張っても少しも怖くない顔で凄もうとしているのが、五条には堪らなく可愛いのである。五条が黙ったことを思い直してくれたものと捉えたミズキは安心して表情を緩めた。その一連の移ろいも含めて五条は可愛いとしか思っていないけれども。
五条が結婚を申し込み、ミズキはそれを受け入れた。
そのことを双方の事務所に報告したところミズキの方は意外と好意的に温かく受け止められ、五条の方はしばらく信用してもらえなかった。『またそんな妄想を…』とか『そういうドッキリ?』とか色々言われて五条がキレ散らかし、最終的にミズキ本人と電話まで繋いで証明した。
一悶着ありはしたものの五条の方も事務所の承認を得て、しかも双方発表のタイミングは本人達に任せると言ってくれたのだ。それで、五条の大きな仕事が一段落するのを待ってから入籍、そして発表しようと決めたのである。
つまり五条の仕事に対する気遣いなのだが、当の本人は早く公表したくて仕方がない。グイグイ匂わせて結婚を言い当てられて声高に惚気たかった。
そんな折だった。
「五条さん、来週ドッキリでご自宅にカメラが入るので、それまでに片付けをお願いします」
自宅公開ドッキリ()の仕事が降ってきた。
マネージャーの伊地知も勿論五条の結婚については聞き及んでおり、『片付け』というのは部屋を掃除しろというのではなく、出していい情報だけを残せという意味で使われた言葉である。
五条はしばらく黙って、それから不穏なほど素直に「了解」と返した。多少の抵抗を覚悟していた伊地知はとても嫌な予感がして胃を押さえたのだった。
「というわけで部屋を見せてもらう。うつ伏せになって両手を頭の上に置きな、悟」
「お前さっきまでFBIモノ観てたの?」
夏油の構えるハンディカメラが、いかにも油断した休日という様子の五条を大写しにした。気怠げな青い目が胡散臭そうに画角の裏側(つまり、撮影者の夏油である)を睨んだ。
「視聴者が君の私生活を知りたがってるんだ。プライバシーがあると思うなよ、芸人だろ」
「人権ぐらいあってほしいんだけど…ておい勝手に入るな」
勿論、ポーズである。
今日の撮影については事前に伊地知からミズキにも共有されていて、半同棲している彼女は私物を一度自宅に持ち帰ると申し出た。しかし五条はそれを断固拒否し、「結構量もあるし面倒でしょ?それにミズキちゃんのものが僕の部屋から無くなるのとか耐えらんない。多分発狂して結婚することテレビで喋っちゃうよ僕」と脅迫0.1歩手前の説得で愛しい彼女の私物を自分のプライベート空間に留保したのだった。留保した私物は一応、厳重に隠してある。
「まずはリビングですね。私にとっては正直親の顔より見てる景色ですが」
『お前はもっと親孝行せぇ夏油』
夏油のインカムにモニタールームからツッコミが入った。
『うぉっテレビでか!』
「悟、このテレビ何インチだっけ?」
「覚えてない」
(※画面テロップ:85インチでした(スタッフ計測))
『夏油さーん、DVDの続き再生いきましょう!』
『五条それ放送してええやつか?肌色多めだったりせぇへん?』
「DVDの続きから再生しろってさ」
「え待って先に確認させて!」
『夏油さん再生いっちゃってください!』
巨大なテレビに向かって夏油が再生のボタンを押した。一瞬画面が黒く落ち、そこからすぐに笑顔でマイクを持つミズキが映った。家庭用としてはハイエンドモデルの音響を伴って。
「あ良かったピッタリ」
『えコレ正解なんですか?途中なのに?』
「悟はいつでもこの笑顔を見られるように1時間28分31秒に戻して終わる癖を付けているそうです」
『イヌマキのマネージャーさん、是非アーティストの自宅周辺の警備を強化してもろて』
そのアーティスト周辺を日々警備している、五条悟という男である。夏油は横目に見た五条が惚気るのを一応我慢しているらしいことを察知した。
その後DVDを止めるよう指示が入ったのだけれど、「楽曲を中断すんじゃねぇ」と五条がガチめにキレたために再生したまま部屋の撮影が再開した。
『部屋の奥のアレ、何ですか?何か近未来的なやつ』
「あの加湿器は何だってさ」
「答え言っちゃってんだよな加湿器だよ」
『へぇぇ加湿器…何か高そう』
「悟、アレいくら?」
「覚えてない」
「LINEスタンプか君は」
(※画面テロップ:メーカー希望小売価格59,800円(スタッフ調べ))
一見しただけでは加湿器と思わないそれは、水蒸気も見えないけれど部屋を潤しているらしい。モニタールームのタレントは『祓本といったらエエ声芸人ですからね』と納得してくれたらしいのだが、五条が乾燥から守りたいのは自分の喉ではない。
『夏油、机の上のお菓子なに?映して』
「悟、はちみつのど飴の紹介しろって」
『また答え言うてもうてるやん素人かお前』
『あー!それ知ってますよ!声優とか歌手で愛用してる人多いやつ!京都のお店の!』
「(ミズキちゃんの)声は大事なんで(ミズキちゃんが)いつでも食べられるように常備してますね。本当に喉の調子が良くなる(ってミズキちゃんが)」
「へぇ」と言いながらカメラを置いて飴の包みを破った夏油の頭を、五条が叩いた。「お前が食うな」「どうせ売るほどあるだろ」の応酬。
またインカムから声が上がる。
『あれ、何か可笑しない?近未来の位置変わってんけど』
「あぁ、あれは加湿器2号ですね。同じものがあと3台ありますよ」
とうとう夏油は五条への伝言をやめた。あと、のど飴を口に入れた。
夏油はネタ合わせのために五条宅を以前はよく訪れていたし、ミズキとの半同棲が始まってからは遠慮していたけれどその分嫌というほど惚気を聞かされているのだ。全ての部屋に加湿器を買ったとか歌手御用達ののど飴を箱買いしたとか最近一番のお気に入りはイヌマキのライブDVD1時間28分31秒時点の笑顔だとか。ちなみに五条宅の大きなテレビでこのライブ映像を放送すると1時間35分前後の映像がほぼ等身大で映し出されることを、夏油はこれまでに3回聞かされた。ミズキ本人にテレビ横に立ってもらって比較したから間違いないという話もキッチリ3回聞いた。
加湿器の台数を聞いたモニタールームは軽く引いた。
『加湿器5台てほぼ水中やんけ』
『タンクの掃除とか大変じゃないですか?』
「5台もあると掃除が大変だろうってさ」
「大切な(ミズキちゃんの)喉のためだし苦じゃないってか…半分趣味?あと玄関が手薄なんで昨日6台目ポチったとこ」
『水中確定です』
実際のところ、ミズキからもやり過ぎと叱られている。特に玄関など通過するだけの場所なのに。
「僕にとっては世界一大切だし、隙を残したくないんだよね」
五条は停止していないままのテレビ画面に目をやって、安らいだような顔をした。
ミズキは、目の前の大きなテレビ画面の中にまさに同一のテレビが入れ子のように映り、またその画面の中に自分の姿が映るという中々見る機会のない映像を、五条とソファに並んで観ていた。
彼女の隣では五条が、その匂わせ行為について愛しい恋人から叱られてしまうかもとチラチラ様子を伺っている。「…悟くん」と呟くように呼ばれると、五条は背筋を伸ばして返事をした。
「…入籍日、もうちょっと早くする?」
「えっ」
ミズキの誕生日にと言い出したのは元々五条の方だった。いい夫婦の日だとか付き合い始めた日だとか色々候補になり得る中でも、五条にとっては実質一択だった。「グランプリ終わった翌月にミズキちゃんの生誕祭あるでしょ?そこしか無くない?」「悟くんせめて誕生日って言って」という会話は五条もしっかり覚えている。
「だって…きちんと入籍してからって言ってたし、早く公表するなら…」
「や、ぇっヤダ!ミズキちゃんのせっ誕生日がいい!その日絶っっっ対休み取るってもう言ってあるし!区役所行ってご飯行って夜は連名のFAX書こうねって…!」
声の大きくなる五条の隣で、ミズキは目を伏せて彼の胸板にそっと寄り添った。
「…私も早く言いたい」
この時の五条の悶絶を、翌日夏油は小一時間に渡って仔細に語られることになる。
ところで、五条の自宅公開映像が放送されると、やはりというか世間で話題になって様々な憶測が飛んだ。
五条が自分の喉のケアにそこまで注力しているというのは少し違和感があり、普段見せない慈しむような表情は恋人を想ってのものではないかと。つまり五条の狙い通り、歌手か声優と付き合っている可能性が騒がれた。
ただ、女性モノの化粧品や衣類が映っていたわけではないことから根拠が弱く、その意見は次第に勢いを無くした。代わりに世間の結論として、『五条、推しがいつ自宅に来てもいいように夢見て準備だけして待ってるんだ…可哀想に…』というのが大半になって、五条は本気で暴露してやろうかとまたキレ散らかすのである。
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徹底的に信じてもらえない五条悟