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きっかけは、珍しく五条が口を滑らせたことだった。
日々課金しようとして断られている彼は、愛する推し兼恋人の名義で口座開設し、断られた金銭をそのまま放り込むという暴挙に出たのである。その口座のことは当然と言うべきか、ミズキには伏せていたのだけれど、ある時スマホの画面を眺めながら無意識に「まとまった額になってきたし旅行でも行きたいね」と口走った。



「…分かりました」

ミズキが静かに言った。
五条は彼の自宅であるのに彼女の足元に正座して、口座開設の経緯と現在までの積立額を洗いざらい報告したところである。桁が多い、というのが彼女の感想だった。

「行きましょう、旅行」
「えっ」

五条はその美しい目をまん丸にしてミズキを見上げた。やっとこの課金したつもり貯金を使う時が来たのかと喜色を滲ませて。
ミズキがその期待を「ただし」と遮った。

「お金は私が出します。悟くんは行きたいところを考えて」
「え嘘なんで??」
「行くのいや?」
「まさか!!でもさミズキちゃんに旅行代を出させるって何か…せめて折半とか!」
「それだと悟くん、誤魔化して8:2とかにするでしょ」
「し しっししな、いです全然」

バレている。何しろ五条悟は、メニューに金額記載のない飲食店にミズキを連れ込んで「今日は2人で100円なんだって」とかそういう嘘を平気で吐く、否、吐いてきた男である。

「移動のこととか泊まるところは一緒に考えます。でもメインで行くところは悟くんが決めて。行き先がどんなところでも楽しめるから私の好みは気にしないで」
「でもぉ…」
「可愛い顔してもだめ」

顔面国宝の涙目によるゴリ押しも有効打にはならなかった。付き合いが長くなってきて、ミズキは五条の操縦法を会得しつつある。
五条は急に真面目な顔になって「ひとつだけ訂正していい?」と言った。

「僕よりミズキちゃんの方が可愛いし尊いから」
「悟くん改まって訂正するのそこで合ってる?」

五条の中ではこれが正解なのである。




「それで?その様子だと行き先はまだ決まってないんだろ」

ニヤつく夏油に対して、五条は口端をひん曲げて、開いていた観光情報誌を机に叩き付けた。

「うるせぇな決まるわけねーだろ何が『彼女を喜ばせるならココ!お値段は少々張りますがそれだけの価値はあったと彼女の笑顔で実感できるでしょう』だよザケんな貢がせてもらえる方法書いとけ」
「それは多分見る本が間違ってるね」

五条の目が据わっている。
愛しい恋人と初めての旅行なのだから情報誌にある場所を片端から制覇したいくらいの意気込みはあれど、記載された代金を彼女に負担させるのかと思うと最早どこにも行きたくない。地下鉄一駅分だって惜しいのだ。

「大体さぁ息してくれてるだけでこっちは大感謝なんだよ。ミズキちゃんの出費で僕が許せるのは精々駄菓子までなのに旅行代とか不信心もいいとこだろ罪悪感で死ぬ」
「程度は違えどミズキちゃんもそういう気持ちなんだろうね」
「…いや でも、」
「悟には勿体無い良い子じゃないか」

『当然だろ知ってるわ』とか『ハァ?お前がミズキちゃんの何を知ってんの』とか、その辺りの反論を夏油は想定していた。ところが意外にも五条が黙ったので見てみると、色白な頬が赤らんでいた。思春期かよという揶揄いを飲んで夏油は生暖かく見守るだけに止めた。

「悟」
「…んだよ」
「いいことを教えてあげよう」

加えて、少しのお節介をすることにした。





2人ともが多忙な身なので1泊2日が精一杯だったことと、それゆえ移動に時間をかけるのが惜しかったこと、マスコミ対策も考えた結果、近郊で、ホテル自体が目的地になるような所に宿泊するというのが着地点だった。
実際に足を踏み入れたそこは広大な敷地にいくつも建物が聳え立ち、温水プールを備え、ジムやエステやショッピングモール、様々なレストラン、果ては貸し切りに出来るミニシアターまであるのだという。

フロントに荷物を預けてホテル内の散策へ。ミズキの背中が堪えきれずワクワクしているのを、五条は後ろから頬を緩めて見ていた。
本当は自分の方が代金を持って、何でも買い与えてやれれば更に良かったのにと五条は思うのだけれど。

観光シーズンから外れた平日とあって人がまばらで、ミズキは顔を隠すための眼鏡を外してニコニコと嬉しそうに五条を呼んだ。
日差しの強い日でもないのに五条の目には眩しかった。

「結婚したい」
「え?」

ミズキが首を傾げたのを、五条は最初『どうかしたのかな』とただ思って見ていて、一瞬遅れて自分の口走ったことに気が付くと激しく狼狽えた。

「あっや違う!いや違くないけどその、」

綺麗なショッピングモールの一画、人工的な滝が控えめに音を立てている。悪くはないけどここじゃねぇだろ、と心の中で冷静なツッコミが入った。夕方の海辺とか夜のレストランとか、選び得るシチュエーションは色々あったはずだ。しかしここで一度引っ込めて満を持して再度というのも、何とも気まずい。
彼は半ば自棄糞になってポケットから細長い箱を出した。

「…これ、あげる」

友達にタンポポを差し出す子供のよう。
五条もそれは自覚するところだった。

ミズキが箱を受け取って開くと中にはネックレスが輝いていて、彼女は五条と自分の手元を視線で何度か往復した。その間にも、男側が箱を開けて見せてやるべきだったとか、『あげる』の一言だけでは結婚を申し込むために用意したものだと伝わらないだとか、次々に後悔が生まれてくる。
『旅行中にプレゼントを渡しても、それは旅行代とは言わないだろ』と入れ知恵した夏油のことを理不尽に恨みもした。あれは絶対に、五条がそろそろ本気でプロポーズするつもりで準備していることを把握していた。

思い返せば告白した時もそうだった。変に片言になって、ちっとも格好が付かなかった。

その時、ミズキが五条の背中に手を回してぎゅっと抱き付いた。目を白黒させる五条の胸に彼女は頬を寄せていて、表情が見えない。彼は恐る恐るミズキの背中に手を回して、触れようか撫でようか迷って曖昧に手を置いた。

「……ミズキちゃん…?」

彼女が「私」とぽつり。

「悟くんのこと幸せにする」
「、え」
「待っててね」

ミズキが顔を上げて五条はやっと、彼女が喜んでくれているらしいことが分かった。勿論勝算はあってのことだったけれど、一世一代の、推しへのプロポーズである。五条は安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになって、目に涙が滲むやら耳まで赤くなるやら忙しく反応した。

「…ミズキちゃん、僕と結婚してくれるの…?」
「うん。幸せにするね」
「いや既に幸せで死にそうなんだけど…結婚って、同じ家に住んで一緒にご飯食べたり一緒に寝たり休みの日は寛いだり料理したり掃除したり映画見たり『そろそろ子ども欲しいね』なんて話したりするアレだよね?」
「ソレですね」
「幸せで胸が張り裂けた…」
「裂けちゃった」

張り裂けそう、ではなく。
ミズキがくすくすと笑った。


それから、ミニシアターに場所を移した。
人の目を避けたかったことと、宿泊する部屋に篭ってしまうにはまだ早い時間だったことの解決策として、それが一番手頃だったのだ。
五条はずっとふわふわと浮き足立っていた。ミズキのデコルテには贈ったばかりの宝石が輝いている。

「悟くん、映画どれがいい?」
「うん…」
「アクションとか感動系とか色々あるよ」
「うん…」
「悟くん聞こえる?大丈夫?」
「大丈夫ミズキちゃんのこと一生推すから…」
「うーん?」

青い目は熱に浮かされたようになって、ずっとぼんやりとミズキの姿を追っている。
ミズキは五条のことが可愛らしく思えてきてふんわりと笑った。

「あっ、悟くんが昔観たって言ってたデジモンの映画があるよ。これにしよっか」

きっとこの調子では、映画の内容なんて五条の目には入らない。ただ、結婚の約束をした今この時に、寄り添って座っていることだけが大切なのだから。
五条はまた夢うつつに「うん」と返事をした。

その1時間後、はたと正気に戻った彼は「なんで僕プロポーズ成功の直後にデジモン観てんの??」と言い出してミズキを笑わせた。



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