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「もしかしてお前マジで鬼なの?凄まじい精度で人間に擬態してる?それなら納得だわ、いや芸人のマネとしては偉いかもよ?でもさ人としてどーなの。ジュジュワン優勝してから47連勤したじゃん僕ら徹夜も含めて。阿呆じゃねーのってぐらい優勝ネタばっかあちこちで繰り返したじゃん。それで明日は久しぶりの休みーーー半日だけどな?だって脱力しかけてたとこに『明日バラエティ収録入りました』って何その上げて落とすスタイル。拷問?何を自白させようとしてんの?」
その日の仕事を終えて自宅へ送られる車の中で、運転席のマネージャーから明日の予定を聞かされた五条は早口に捲し立てた。労基に通報してやろうかと思うほどの激務をこなした末の休日をアッサリ無かったことにされた彼の不機嫌は察するところだけれども、マネージャーの伊地知とて仕事なのである。
「傑も何かねぇの?それともワーカホリック?」
五条は運転席に後ろから齧り付くようにしていたところからぐりんと振り向いて、涼しい顔の夏油に吠えた。
夏油は切長の目を細めて薄らと笑った。
「悟、伊地知だって意地悪でやってるんじゃないよ。やめてあげな」
「アーはいはい駄々こねてんの僕だけって感じね?伊地知は鬼畜で傑は社畜って?」
「まぁ明日になってみなよ、きっと私や伊地知に奢りたくなる」
「ハァァ?わっけわかんねー僕もう会話放棄する。ミズキちゃんに癒やしてもらうからお前ら邪魔すんなよ」
興醒め、という風に運転席からパッと手を離して、五条はシートにどっかりと座ってワイヤレスイヤホンを耳に捩じ込んだ。
スマホを操作してお気に入りの曲を流し始めたところで伊地知が「五条さん、入り時間やなんかの話がまだ、」と最後の抵抗を試みて、夏油が肩を叩いてそれを止めた。
「後で私から伝えておくから。邪魔しない方が賢明だよ、こうなったら悟は聞かない」
「…ありがとうございます………」
夏油さんってちょっとマネージャー兼ねてる、と伊地知は常々思うのである。これで女遊びの火消しを投げてくるところを改めてくれたら最高、とも。
五条は音楽に耳を癒されてウットリとしながら、そのアーティストのSNSを念入りに確認する日課に興じて現実逃避をした。
『イヌマキ』というユニットである。ボカロP出身のコンポーザーと歌い手のふたり。その歌い手のミズキという女性を、五条は長らく崇拝と書いて軽くネトストしている。
時刻はもうじき日付が変わるというところ。ジュジュワン優勝芸人は目が回るほど忙しい。
バラエティ番組の席に座り、新春特別ご褒美企画と銘打ったコーナーが始まったところで五条はお付き合い程度に拍手に参加した。
呼ばれたからには笑いは取るプロ意識はあるものの、変わり映えのしない番組内容に心からの興味が持てるはずもない。自分のネタ見せは終わってしまったから、後は流し運転である。
司会のアナウンサーがわざとらしいほど明るい声を出した。
「今回はジュジュワン優勝以降お休み無しで笑いを取り続ける、祓ったれ本舗五条さんに!番組と相方の夏油さんとマネージャーさんから!サプライズでご褒美をご用意しました!」
…は、僕?と五条が目を白黒させた。渡された台本にこんなくだりは無かった。
「VTRをご覧ください!」とアナウンサーの合図でスタジオが薄暗くなった。
大画面に映し出されたのは白い壁を背に立つ若い男女ふたりで、そのふたりが軽く頭を下げた。
「こんにちは、イヌマキです」
「こんぶ」
五条の目が零れ落ちそうに見開かれた。
「祓ったれ本舗の五条さん、夏油さん、ジュジュワン優勝おめでとうございます」
「………ハ!?」
「悟、しー」
テレビや動画サイトの画面、あるいはライブでの遠目の姿しか見たことのない、紛れもない『推し』が、自分の名前を発音している。五条は軽く処理落ちしかかっていた。
ちなみにコンポーザーの方はおにぎりの具しか発語しないので、対外コミュニケーションは歌い手の女性が担うのだ。
「前々から祓本の五条さんがライブに来たりリツイートしたり、色々してくださってることは承知してました。今回ご褒美企画ということでお話をいただいて、…これご褒美になります?えっと、いつもありがとうございます」
「しゃけしゃけ」
「棘くんも感謝してます!これからも応援していただけたら嬉しいです。…というところで、五条さん隣を見ていただけますか?」
プツッと映像が途切れるのと同時にスタジオに明るさが戻り、画面に釘付けになっていた五条が恐る恐る首を動かすと、相方の夏油とは反対側に、先程まで画面の中にいた女性が座ってはにかんだ笑顔で五条を見上げていた。
「初めまして、直接お会いできて嬉しいです」
「………え、まって、泣く…」
動揺のあまり本気で椅子から転がり落ち、茫然自失になった五条が震える手でサングラスを外すと、露わになった青い目は本当に潤んでいた。そのことにミズキが動揺して慌てている反対側では、夏油が腹を抱えて笑っていた。
混乱が極まって半端に開いた口をはくはくとさせることしか出来ないでいる五条の顔にカメラのレンズが向いていたけれども、五条にはそんなものは見えていなかった。目の前に、ずっと焦がれてきたひとがいる。心配そうに五条の目を覗き込んでいる。「大丈夫ですか?」と白い手が差し出された。
五条はその手のひらを『わぁ小ちゃくてかわいい』と現実逃避に近い心境で見つめていて、ひとしきり笑い終えた夏油が背後から五条の頭を叩いた。
「悟、ミズキちゃん困ってるからね」
さっさと手を借りて立てと促されて、五条は震える手でその白く小さな手を握った。
手を借りるというよりは握手をするような格好で彼は立ち上がり、信じられないというような、感極まったというような顔で、自分よりも随分背丈の小さい憧れの人にやっと正対した。
「五条さん、憧れの人に会った感想を一言!」
司会のアナウンサーが明るい声を張り上げると、スタジオ中が五条の言葉に場所を譲るように静かになった。
「結婚してください」
ドッと笑いが湧いた。
ちなみに彼は本気であった。
その後、ボーナスチャレンジと称してバスケットボールが五条に手渡された。
3ポイントシュートを一発で決められたら彼のプライベートのスマホにミズキが目覚まし用のボイスメモを吹き込むと説明されると、当たり前のようにボールはゴールリングの中心を通って落ちた。
この条件で五条が失敗するとは端から思っていないので、カメラ横に控えていた伊地知が黒子のように五条のスマホを差し出してハケていったのだった。
無音のスタジオでミズキの指が録音開始をタップした。
「五条さん朝ですよ、起きてください。おはようございます。お仕事がんばってきてくださいね。えっと…朝ごはんはしっかり食べましょう。スタジオでお会いするかもしれないですね。五条さん、二度寝はだめですよ?五条さーん」
録音終了となって手元に戻ってきたスマホを、五条は神聖なものを拝受するように受け取って懐に仕舞った。スマホを回収に来た伊地知を威嚇して「ダメ、バックアップ3回取るまで絶対誰にも触らせない」と言ってまたスタジオの笑いを誘った。
これについても、五条は至って本気であった。
翌朝になって、ボイスメモ効果で五条の遅刻グセが改善することを伊地知や夏油は期待していたのだけれど、やっぱり五条は遅刻して現場に現れた。ボイスメモはどうしたと夏油が尋ねると、五条は大真面目に答えたのだった。
「ミズキちゃんに起こしてもらえんの楽しみすぎて時間になるの正座で待ってた。一睡もしてないけど過去最高にキマってるから心配ないマジで」
いやそれ起こしてもらってないだろ、と夏油は言わずに溜息で済ませた。
『遅刻はダメですよ』というフレーズを組み込んでもらわなかった戦略ミスは、後の祭りである。