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※棘Pが(メッセージアプリ上ですが)喋ります。
イメージ合わなかったらすみません。
どうにも自宅に帰る気分になれないでミズキがカフェで自由な時間を受け流していたところへ、五条からメッセージが入った。彼の方では急な撮影の延期があって半日休みが降って湧いたらしく、ミズキを食事に誘う内容だった。
それでミズキは普段ならしないものを、五条に電話をかけた。すぐに応答があった。
「ミズキちゃん電話くれるの珍しいね。丁度時間ある感じ?」
期待に弾んだ五条の声がしたけれど、ミズキは返事が出来なかった。五条にはカフェのBGMと周囲の話し声が微かに聞こえるばかり。
「…どした?」
無遠慮に探るのではなく手のひらで受け皿を作ってくれるような声色だったことが、ミズキには有り難かった。彼女はやっとぽつりと「五条さん」と零し、五条はややあって「うん」と返してやった。
「時間あるかな?僕の家でデリバリーでも取ろうよ。いい?」
ミズキは辛うじて聞き取れるような小さな声で「はい」と言った。
「タクシーでおいで。ちゃんとマンションの敷地内まで入らせるんだよ。守衛にタクシーで来た可愛い子は通せって伝えとくから」
五条の気遣いにミズキはようやく口角を少し上げて、吐息のような笑い声を零した。もっとも彼にしてみれば笑う所ではなく、純然たる本心しか口に出していないのだけれど。
そうして合流した2人は昼食を注文して、それでやっとミズキは悲しい顔の理由を五条に打ち明けた。次のライブのセットリストをきっかけにして棘と喧嘩になったのだという。
「意外だね、ミズキちゃんと棘Pで喧嘩することあるんだ?」
『イヌマキは平和な仲良しが可愛い』という意見が、ファンと世間で概ね共通している。メディアに露出した際の空気や距離や発言から仲が良いことは窺えるし、プライベートで親交のある五条もそう思っている。
ミズキが唇を噛んだ。
「…ケンカになったの、初めてです。いつも意見が合うから迷うこともあんまりなくて…でも、棘くんに我慢させてたのかもって思ったり」
「それは考えすぎと思うけどなぁ…どんな風にモメたの?」
次のライブツアーに向けて、比較的古い曲をセットリストに入れたいミズキと入れたくない棘が、珍しく折り合わなかった。それは興業的な事情も絡み2人だけで決めるものではないけれど、当事者として意見は尊重してもらえる環境にあるらしい。擦り合わせが上手くいかないまま、他の面々の時間の都合もあり回答持ち越しになったのだという。
五条はイヌマキの『喧嘩』の穏やかさに内心驚いていた。祓本の『喧嘩』はもっと口が悪いし、今でこそ落ち着いてきているがもっと若い頃には拳が飛び交うことも珍しくなかった。
「昔の曲も雰囲気があって私は好きなんです。お客さんも楽しそうにしてくれるし…」
「確かにね。ここ2年ぐらいの曲は難しくてミズキちゃんしか歌えないのが多いけど、昔のはコールが入ったりしてライブで楽しいよ。僕は全曲好きだけど」
五条の言葉にミズキはまた少し黙って、小さく首を振った。どの部分を否定する仕草なのか五条が計りかねていると、彼女はぽつりと「私じゃなくていいの」と言った。
「…棘くんは天才なんです。棘くんにしか書けない曲ばっかり…でも歌うのは、私じゃなくていい」
五条はファンとして余程『それは違う』と声を荒らげてしまいたいのを喉の奥に押し戻した。どうあっても贔屓目しか持たない自分の説得は、今のミズキには響かないと分かっている。彼女は棘との喧嘩をキッカケにして、以前から降り積もっていたプレッシャーだとか不安の類に参ってしまっているのだ。
五条は意識的に軽い声を出した。
「ミズキちゃん、普段雑誌読む?」
「?…マネージャーさんが、買ってきてくれるのだけ」
「待ってて」
折しも、五条は彼女の悩みに対する最適解を持っていた。部屋の奥から音楽雑誌を持ってきて、目当てのページを開いてミズキに渡してやった。
棘の単独インタビューが数ページに渡り掲載されている。
記事は下記のように始まっていた。
ーーー通称『おにぎり語』で会話をする棘Pが、◎○△×の回答カードとメッセージアプリで、5,000字に及ぶロングインタビューに応じてくれました。
ミズキはこの記事の存在を知らなかった。普段イヌマキがメディアに露出する際にミズキ不在というのは有り得ないし、関連記事が掲載された媒体はマネージャーが楽屋に用意してくれるのだ。今回この雑誌がミズキの目に触れなかったのは棘の要望によるもので、そのこともインタビュー記事の後半に登場するのだけれど、とにかくミズキは齧り付くように文字を追っていった。
(*)ボカロPにとっては、自分の曲の世界観を表現してくれる歌い手との出会いはとても影響力の大きい出来事と聞きますが?
(棘)◎ もし自分がミズキの声で歌えるならどんな曲がいいかってところからじゃないともう曲書けないです。
(*)声に惚れ込んでますね!歌唱表現についてミズキさんに注文することはあるんですか?
(棘)× ミズキが好きに歌うのが結局一番いいし、楽曲にハマります。ミズキは誰の曲でも歌いこなせるけど自分の曲はミズキの声じゃないと成り立たない。他のPよりいい曲書かなきゃです。
(*)浮気されないように?
(棘)◎ 最近(自分の)昔の曲が嫌です。ミズキの声の活かし方が分かってない。でも今書いてる曲も来年聴いたら同じように思うのかも。
他にも新曲のこと、MVの見所や撮影の裏話に触れながら記事は進み、ノートPCを挟んで対面するインタビュアーと棘の写真と共に締め括られた。
ミズキは五条の置いてくれたティッシュを数枚目元に押し当てて、上擦った呼吸をどうにか鎮めようと試みた。けれども、五条が「読んだ?」と優しく声を掛けると決壊してしまって、嗚咽を漏らして泣き始めた。
「あぁー可愛い子が泣いちゃった、ほらほらペンギンいるよ?ちゃんと息して」
五条はソファの端に陣取っていた大きなペンギンのぬいぐるみを引き寄せて、ミズキと一緒に腕で囲った。彼女は幼い弟か妹と一緒に抱き締められたような格好になって、柔らかいペンギンの背中と広々とした五条の背中に手を回して一生懸命に呼吸をした。
「よしよし、頑張り屋さんなんだから。不安だったよねぇ」
「うぅー…っ」
「ご飯届いてるから食べようね」
ミズキはこくんと頷いた。彼女が雑誌を読み耽っている間に、デリバリーは届いていたのである。
五条はその後、泣き腫らしたミズキの目元に保冷剤を当ててやり、一緒に食事をし、また抱き締めて、存分に彼氏の特権を行使した。
食事が終わる頃にはミズキの表情も落ち着いてきた。笑顔も戻り始めたその頃合いを見て、五条は説教でもするかのような表情と声色を作る。
「あのさぁミズキちゃんが落ち着いてきたから言うけど、イヌマキの曲を歌うのがミズキちゃんじゃなくていいとか!他の輩が言ったら傷害事件発生するからね?!そこんとこ分かってる?!」
「えぇ…ふふ、ごめんなさーい」
「可愛い許した…まぁ落ち込んでるのを慰めるのは彼氏の特権ですから?そう彼氏!僕が、ミズキちゃんの!」
「うん、五条さん、私の彼氏」
「あ"ー効く万病に…ミズキちゃんは僕を救う…そろそろ名前で呼んでくれたりすると更に」
「悟くん?さとくん?」
「あ待って一晩考えさせてとりあえず録音だけさせて」
付き合いが短くない間柄になって、ミズキも録音について五条が有言実行であることは何となく分かるようになってきていた。しかし彼女の認識がまだ足りないのは、傷害事件の方も極めて本気ということである。
「それで結局『悟くん』にしてもらったわけ?」
「僕としては将来も見据えてミズキちゃんが人前で僕を呼ぶ時にも恥ずかしくない方がいいかなって思ったんだけどやっぱり『さとくん』も捨てがたいってあれからずっと悔やんでてさ、もう何にしたってミズキちゃんの声で呼んでもらえたら5q先から3秒以内に駆け付ける所存なわけだけどそれならいっそ呼び捨てとかどう?って思う部分もあって『一回犬みたいに呼んでみてくれない?』ってお願いしたんだけど断られたのね。何で何でって食い下がったら『悟くんは犬じゃないもん』って良い子過ぎない?結婚一択じゃない?結納したいんだけど1,000万で足りるかな」
「1,000万は結納っていうか呪いだね」
五条のこれは最早挨拶のようなもので、夏油は『聞くんじゃなかった』と後悔すらしない。適当に相槌を打っていれば少々罵ったってビクともしないのだから、頬杖をつきながら聞いてやるくらいが丁度いいのである。たまにネタの参考になるし。
「まぁあの子の悩みがひとつ解決できたなら良かったんじゃない?」
「マジでそれなミズキちゃんには1分1秒でも長く歌手でいてほしい。昔の曲をライブに入れたいって棘Pを説得するためにミズキちゃんがマイクじゃなくて拡声器で歌うデモ映像見せてもらったんだけど最高すぎて鼻血出たからねマジな話。勢いで『抱いて』って応援うちわ作ろうかと思ったもん」
「セクハラうちわ辞めな?セキュリティに弾かれるよ」
「ロックな演奏とミズキちゃんの美声が魅力の初期の名曲だけど拡声器の割れた声でガツンとロックになったっていうか?拡声器を持つミズキちゃんが神々しくてさスマホで動画見せてもらったんだけど開始10秒ぐらいで僕正座したもんね思わず」
「ふーんそっかそっか」
「拡声器で歌う時代のディーバがおうちでは『悟くん(ハート)』だよ最高すぎかよ寿命伸びた」
「へぇーあ、この局の近くに新しい蕎麦屋できたんだ今度行こ」
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五条さん宅にあったペンギンは以前五条さんがプレゼントしたやつではなくて「僕ん家用ね」とか言って同じぬいぐるみをもう1個買ったものです。
拡声器は勿論蛇の紋入りの、狗巻家仕様のやつです。