虎杖悠仁とクラブハウスサンド



「虎杖くんって、何だか意外だよね」とミズキが言って、言われた虎杖は意図が掴めずに首を傾げた。

「意外ってどういう?」
「だって、バイトするってなったらラーメン屋さんとか引っ越し屋さんを選びそうだもん」

虎杖は得心した。彼女の言うことは間違っていない。彼とて何の条件もなく小遣い稼ぎでバイトをするなら、こんな少々お高めの喫茶店なんてまず選ばない。実際、有閑マダムにコーヒーを給仕する所作を習得するのには骨が折れたし、サイフォンスタンドを初めて見た時には化学実験でも始めるのかと思った彼である。引っ越し屋なら即戦力だろうに。

ただ、任務で必要だったのだ。

この喫茶店から通りを挟んで向かい側のビルに呪霊が出るとの情報があり調査したものの、どうも気配がするばかりで会敵できない。釘崎と伏黒は周辺で聞き込み調査をすることになった。残る虎杖は現場を常時見張りたいとなった時に、この喫茶店がベストポジションだった。
今日で1週間になる。
「ちっとは落ち着いた所作?とかさ、出来るようになれって周りから言われてんだよな」という誤魔化しは、釘崎案である。通学に便利だとか下手なことを言うと素性について嘘を吐く必要が出てくるし、虎杖は咄嗟の言い訳が上手いタイプではない。
幸いミズキは「ふぅん」と言っただけだった。

虎杖がバイトに入った時には既にミズキはここにいて、必要な所作を身につけていた。大学生だとだけ聞いている。
虎杖にとって高専に入ってからというもの身近な女性といったら釘崎野薔薇と禪院真希の2択であり、ミズキと接していると『こんな女の子もいんだな…』と感慨深いものがある。虎杖が発言を誤った時に返ってくる言葉が「ア゛?」とか「ハァ?」じゃないことなど、高専入学以来なかったのだ。

ミズキがたおやかな所作でコーヒーやケーキを給仕する様に、虎杖は度々見惚れた。余計な音を立てず、ゆったりとしていながら緩んだ様子はなくて、敬語にも事務的な響きがない。
虎杖の女性の好みといえば『ケツとタッパのでかい女の子』であったはずが、ここのところ無意識に目で追ってしまうミズキはケツもタッパもでかくない。
どっちかってーとナナミンとか伏黒が好きそうなタイプじゃん、と自分で思った後に、彼等と親しくするミズキを想像して勝手に不機嫌になってしまった。

その時、キッチンに引っ込んでいたミズキから「虎杖くーん」と呼ばれ、彼は自分の頬をパシンと打って雑念を飛ばしてから先輩の元へ馳せ参じた。

「店長が『今の内にお昼食べな』って。飲み物コーラでいい?」

キッチンの片隅、ステンレスの作業台には豪快なクラブハウスサンドが皿に乗っかっていた。
飲み物用の冷蔵庫の前に立つミズキの華奢な背中とは対照的な見た目をしている。

「うっまそー!あざっス、今日のまかない担当誰だっけ?」
「私が作ったよ。それくらい食べてくれそうだなーって偏見で作ったけど、合ってる?」
「合ってる!」

カリッと香ばしい焼き目のついた山型食パン2枚の間に、彩りとボリュームのある具材が元気に挟まっている。
ミズキが業務用コーラのボトルを取り上げて虎杖に向けて少し揺らした。そういえば飲み物の返事が保留のままだった。

「…今日は俺もコーヒー飲むよ」

何への対抗心かと聞かれたら、虎杖が自分でついさっき想像してしまった七海と伏黒である。別に誰に示すわけでもないのに、ここでコーラを選ぶかブラックコーヒーを選ぶかが何かを隔てる気がしたのだ。
ミズキは一瞬目を丸くしてコーラのボトルを冷蔵庫に戻してから、「そ?」と言って悪戯っぽく笑った。彼女には珍しい表情に虎杖が内心どぎまぎしていることなど知らないまま、ミズキがコーヒーの入ったサイフォンスタンドに手を伸ばすので、虎杖がそれを止めた。

「俺やるよ。座ってて」
「うん?ありがと」

ミズキがスツールに行儀良く腰掛けると、虎杖は接客のマニュアルに沿って彼女の前に静かにコーヒーカップを置き、サイフォンスタンドの首を持ってほんのり湯気の登るコーヒーをそっと注いだ。背筋を伸ばした品のいい一礼と共に彼が下がるとミズキはにっこりとして、親指と人差し指で合格のマルを作った。

「とってもなめらか!上手になったねぇ虎杖くん」
「へへ、あざっス!」
「お返事はやっぱりラーメン屋さんだぁ」
「アー…」
「可愛いからいいと思う」

微笑ましいという顔をしたミズキの斜め前に座って自分のカップに残りのコーヒーを注ぎながら、虎杖はバレない程度に口を尖らせた。欲しい評価は可愛いではないのだ。
それに、虎杖の分よりも随分小さなサンドイッチを啄ばむように小さく食べる彼女の方が、余程可愛いと彼は思うのである。

まかないで腹を満たした午後、空がどんよりと重く濁ってきたところで、店長から入口前に敷く泥落としマットを出すように指示が掛かった。
その時店長の一番近くにいたのはミズキで、いつもなら間を空けず返事をする彼女が一瞬言い淀んだので虎杖が動いた。

「ごめんね虎杖くん」
「無問題!謝ることねーって」
「…雨、降りそうだった?」
「ん?まぁ空見た感じ降るかな。何かあった?」

帰りの傘を持っていないか洗濯物の心配か、と虎杖の頭には選択肢が浮かんだけれど、ミズキの様子を見るにどちらも不正解のようだった。
彼女は向かいのビルを盗み見るように一瞬視線を走らせた。怯えの混じった表情に虎杖の顔も引き締まった。

「…本当に何かあった?」

待つだけでは言い出しそうにないミズキの手を引いて内密な会話が出来る程度に他と距離を取ると、彼女はおずおずと打ち明けたのだった。
以前、土砂降りの日、向かいのビルに得体の知れないものを見たと。泥水で出来たスライムのような塊で、大小のおびただしい目がギョロギョロと四方八方を睨んでいたという。
虎杖はすぐ伏黒に電話をかけ、店長に急用と告げてバイトの制服を脱いだ。

「ミズキさん、教えてくれてあんがと!俺用事で帰んなきゃなんだけど、今日は絶対怖いことねーから!信じてよ」

晴れた日のように笑った虎杖にミズキも笑って手を振った。


ミズキがバイトを終える時間には、外は彼女が以前化け物を目撃したあの日と同じ土砂降りになっていて、店の裏口を開ける手が少し震えた。
大丈夫、虎杖くんが大丈夫って言ってた、と心の中で唱えるようにしながらいざ扉を開けるとミズキはギョッと目を丸くした。雨の中にずぶ濡れの虎杖が立っていた。

「わっ、うそ、虎杖くん!?」

ミズキは咄嗟に雨の中に出て虎杖の手を掴むと彼を軒下へ引き込んだ。3秒にも満たないその間だけでコップの水を被ったようになったのも気にせず、ミズキは鞄にハンカチを求めた。それを虎杖が止めた。

「あー…俺なら平気、風邪引かんし」
「分かんないでしょ!?どうしてあそこに立ってたの、せめて屋根のあるとこにいたらよかったのに」
「や、ちょっとこう…考え纏まらんくて、頭冷やそうみたいな」
「もぉぉ何言ってるのか分かんないよ、私タオル借りてくるから…!」
「待って」

虎杖がミズキの手首を捕まえた。細くて温かい。初対面の時に握手をした虎杖が『えっ手首こんだけ?』と衝撃を受けた手首である。
土砂降りが耳鳴りのように絶えず聴覚の一部を占領している。虎杖の目が真っ直ぐにミズキを見た。

「ミズキさんが言ってた化け物、もういねぇから。安心してよ」
「え…う、うん…?えっと、虎杖くん、どういう…」
「そんで俺、バイト辞めることになってさ。急でごめん」
「そ、っか、それは…仕方ない、よね。寂しいけど」

無事任務を終えた後に合流した補助監督から、「アルバイトを辞める手続きはこちらで対応しますので安心してください」と言われたのだ。始める時もそうだった。きっと明日には、何事も無かったようにこの喫茶店と虎杖の生活は分離してそれぞれに進んでいく。

「だから、ミズキさんに会えなくなんの嫌だって言おうと思って、でもキモがられるかなとか、何てったら俺のこと意識してくれっかなって考えてたけど纏まらんくて」
「え…」
「俺バイト辞めるけど、また会ってほしい」

ざあざあ、ざあざあ、音の膜で包むように雨は続いている。聞き間違いかとミズキは一瞬耳を疑ったけれど、虎杖の目を見るに聞いた通りで間違いないらしい。
ミズキが掴まれていた手首を持ち上げて虎杖の手を解いて、彼女の温かい手で大きな手を握り直した。

「会ってもいいけど、条件付けようかな」
「お、応」
「すぐ中に入って、ちゃんとタオルで身体拭いて。今日はまだバイトの虎杖くんなんだから、店の制服着られるでしょ?」
「あーでもパンツまでぐしょぐしょでさ」

ミズキはみるみる赤くなって虎杖の手を放すと顔を覆ってしまい、「コンビニ!買ってきて!」と手のひらに向かって叫ぶように言った。

「じゃあミズキさん、俺がコンビニでパンツ買ってきて店の制服に着替えたらさ」
「言わないのっ!」
「また俺と会ってくれる?」

ミズキはそろそろと顔から手を退かして、まだ赤い顔で目を泳がせながら、「1回だけじゃいやだよ」と言った。

それからふたりの関係は始まって、会う時にはミズキにクラブハウスサンドを作ってもらうことが虎杖の大切な習慣になった。その時にコーヒーを用意するのは彼の仕事で、美しい所作で注ぐことが出来るとミズキは親指と人差し指で合格のマルを作る。
歳上ということもあってミズキはいつも虎杖を可愛いと言うけれども、合格のマルを出した後には必ず「格好よかったよ」と言ってくれるのだ。








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