五条くんの先輩(前編)



「ねぇ先輩、いつ俺のこと好きになってくれんの」

初めてではないその質問に、問われた側はいつも通りの綺麗な笑顔で返した。

「もう好きよ、五条くん可愛いから」

ただそれは問うた側の望む答えではない。
呪術高専2年生の五条悟は入学以来、周囲が呆れるほどこの遣り取りを繰り返している。相手は5年生で名前はミズキ、モラトリアムとされている高専最後の1年間にも日々任務をこなしている働き者もとい変わり者である。
ミズキが五条に向かって軽く手を上げると、恒例の儀式なので彼は白い頭を手の高さに合わせて差し出した。さわさわと華奢な手が白い髪を撫でる。
ミズキの手の下で、五条は納得いかないような、それでいて満更でもないような微妙な顔をした。

「可愛いったってさぁ、性的な意味なら悪くないけど先輩俺のことサモエドか何かと思ってんでしょ」
「あっサモエド、そう、それ。大きくて白いわんちゃん、名前何だっけって思ってた」
「あれ正式には『サトルダイスキ』って犬種らしいよ復唱してみ」
「サモエドちゃん、大好きよ」

髪を撫でることに満足した手はするりと離れていってしまった。離れていった手が本人の髪を耳に掛けると、いつも彼女がつけているピアスが揺れる。『男は揺れるものが好き』、どこで聞いたのだったかこの眉唾物の話に、五条はこの限定的な局面でのみ激しく同意するところである。
それから、ミズキの唇はいつも艶々と美しく彩られていて、いつも機嫌良く弧を描いている。五条はその唇が言葉を紡ぐところを、紡ぎ終えてまた円弧の形に戻るのを見るのがとても好きだった。
いつも通り五条が見ていると、その唇が開いて「あっ」と声を上げた。

「補助監督さん来たみたい。報告書は早めにね」
「ねぇメシ行こ。それで一緒に書けばいいじゃん」
「だぁめ。これから歌姫と約束してるの」
「なんだ蹴っていいやつじゃん」
「蹴って良くないやつなの。五条くんはまた今度ね」

高専の車が横付けされるとミズキは補助監督に軽く頭を下げてから五条に手を振った。彼女は既に寮を出ているので高専には戻らない。それなのに任務同行の度、きちんと補助監督に五条を引き渡してから帰るものだから、そこも五条にとっては不満だった。



「辞書に載せてもいいぐらいの子供扱いと社交辞令じゃないか」
「それな」

『辞書』が夏油、『それな』が硝子である。
ミズキの振舞いについて五条が不満を訴えて、返ってきたのがこれだったのだ。
教室の中、各々の机で授業を待ちながら、五条は授業中にもやらない綺麗な挙手で提言した。

「先輩ったって3つだけですよね、あっちだって10代ですよね!普通に性欲まみれの高校生男子を子供扱いするのは危険だと思います!」
「お前それどの立場から言ってんの?」
「ちくしょう可愛すぎんだよ彼氏になりたい妄想してること全部やりたい…」

硝子は「キモ」と吐き捨てつつ、廊下の方へ注意を向けた。彼方から足音、夜蛾が来ている。

「でもミズキ先輩、卒業したら京都に行くんじゃないの?歌姫先輩が誘ったって言ってたけど」
「ァア"?!」

五条がサングラスの下で目をかっ開いて立ち上がった。軽口を叩いていた雰囲気は消え、五条は既に殺気立ってすらいる。
その時ちょうど夜蛾が教室に足を踏み入れたのだけれど、入れ替わるように五条は教室を飛び出していってしまった。夜蛾の怒声が五条を呼び止めたところで効果は無く、廊下の角を曲がったその向こうから「急用!!」という叫びが辛うじて聞こえただけだった。

「…悟はどうしたんだ」

夜蛾は教壇に寄り掛かるようにして手をつき、鼻梁を抓むようにして目頭を揉んだ。

「さぁ?」
「トイレじゃないですか?」

『さぁ』が夏油、『トイレ』が硝子である。



3回目の電話でやっと繋がった時、ミズキは電車に乗っていたのだと謝ることから始めた。確かに彼女の声の後ろに雑踏とアナウンスの音が電話に入っていた。
ミズキが優しい声で用件を尋ねると、五条は答えず「先輩んち行っていい?」と聞き返した。

「え、うち?いいけど何もないよ?」
「知ってる」
「そうだったね」

以前に一度だけ硝子が一緒の時に、訪ねたことがある。その辺のモデルルームよりもモノのない部屋だった。

「いま最寄駅だからすぐ帰るね。五条くんはどこにいるの?」
「先輩んちの真下」

驚いたという感じの沈黙があって、それから小さくカチャッと硬い音がした。五条はミズキの唇が弧を描く様と、その拍子にいつものピアスが携帯に当たるところを想像した。

部屋に上がるとミズキは手を洗いながら、五条にコーヒーと紅茶を選ばせようとした。しかしその途中で「あ、」と声を上げる。

「スティックシュガーも角砂糖もないの。調理用のお砂糖でもいい?」

五条が答えないでいると、彼女は手を拭いて戸棚に手を掛けた。塩と揃いの容器に入って蓋のsalt/sugarの表示でしか見分けられない上白糖を客人に出すというのをどうにか避けられないものか、考えながら戸棚を探る。

「ねぇ、先輩」

いつの間にか五条が真後ろに立っていて、吊り戸棚に伸びたミズキの手首を掴んだ。掴んだ手首をそのまま引いて高専の寮と大差ないワンルームを横切り、五条には小さいシングルベッドに放り投げるようにして押し倒した。

「俺がいつまでも良い子で『待て』やってると思った?」

五条を見上げるミズキの表情は読めない。

「今更『そんなつもりじゃなかった』で通せると思ってねぇよな。俺のこと手玉に取って楽しかった?」
「…」
「まだ遊んでも良かったけど逃げる気なら話は別。京都の何がイイんだか…あっちに男でもいんの?」
「いないよ。それに、京都に行くのが五条くんから逃げることになる?」
「どうせ囲うから無駄だけどな。格好悪ィけど権力でも何でも使わせてもらうわ」

ミズキはしばらく瞬きをしながら思案していて、ある時ふっと笑った。いつものようにゆったり唇で弧を描くのでなく、可笑しくて涙が出そうという感じの笑い方で。
五条はムスッとした顔で「何」と吐き捨てた。

「あのね私、京都、行くの。卒業したら、歌姫と」
「だから行かせねーって」
「行きたいなぁ、抹茶スイーツ巡りと春の嵐山2泊3日」
「ハ?」
「その後の繁忙期に向けて英気を養う会」

五条は先程のミズキのようにしばらく情報を整理していて、事の次第が掴めると安堵したような情けないような、よく分からない声を漏らしながらミズキの横に額を落とした。彼の背中をミズキがトントンと叩いてやる。

「私が京都に移籍すると思って焦ってくれたの?」
「うん」
「可愛いのね」
「声が笑ってんだよな」
「笑ってないったら」

ミズキの手がいつものように、さわさわと五条の髪を撫でた。それをされると五条は怒りの棘を鋭いままにしておくことが出来なくて、シーツに額を預けたままミズキの方へ顔を傾けた。眼前すぐ傍に彼女の優しいまなじりがあって、目が合った。

「ねぇ、コーヒーと紅茶どっちにする?」
「…先輩と一緒がいい」
「あら、可愛い」

ミズキはまた頭を撫でて、するりと五条の下から抜け出てキッチンへ戻っていった。その後ろ姿を見ながら五条はシーツに半分顔をうずめた。ミズキの匂いがする。彼女は離れていかないと言った。

「せんぱーい」
「なぁにー?」
「このシーツ持って帰っていー?」

コーヒーの準備をする後ろ姿がキョトン顔で振り向いた。換気扇の音に邪魔された五条の発言を聞き間違ったと思ってのことだった。ただ、視覚情報で補完したとしてもシーツに顔をうずめる五条がいるというだけ、聞き間違いではなかったらしいと分かったミズキは笑って「もうお砂糖入れちゃうねー?」と作業に戻っていった。

マグカップ2つに2人分のコーヒーを淹れたミズキは、小さなローテーブルを引っ張ってきた。五条は名残惜しいながらもベッドからずるずると降りてきてフローリングの床に座る。コーヒーの横にはシュークリームもあった。「子供扱い」と言う夏油の声を五条は思い出して、ムッと鼻梁に皺を寄せた。

「お砂糖はいつもどれくらいなの?」
「…別にブラックでも飲めるし」
「好きな味で飲めばいいじゃない」

五条は彼の側に置かれたマグカップを取って一口飲んでみて、彼には少し足りない甘さだったけれど黙っていた。
その時ミズキが五条の肩を小さく叩いて彼が顔を上げ、振り向いたその顔に彼女は小さくキスをした。

「足りなかったら言ってね」
「………たり、………ハ?」
「お砂糖」

彼女の艶やかな唇がいつも通りの弧を描き、耳元のピアスが揺れる。五条は自分の唇に同じ艶が薄く移っていることに気付かないで、吸い寄せられるようにミズキにキスをした。

「足んない、全然」

彼女をベッドに押し付け、耳の辺りから髪に指を差し入れて、息をつく暇も与えず五条は噛み付くようにキスをした。途中からミズキは頭の重みをベッドに預け、五条はほとんど覆い被さるような体勢になっていた。
シーツに彼女の髪が散る様に、どうしようもなく五条は興奮した。

「はー…先輩、……イイ?」
「ふふ、だめ」
「っなんで?ねぇなんで?先輩俺のが爆発してもいいの?可哀想って思わねぇ?」

期待が大きかった分落胆も大きかった。五条が恨みがましい目でじとりとミズキを睨むと、彼女は眉尻を下げた困り顔で携帯を取り上げて見せた。着信中の画面に、夜蛾先生の文字が表示されている。

「…げぇ………」
「シュークリーム食べたら今日は帰ってね」
「こんなにシュークリーム食いたくねぇって思ったの生まれて初めてなんだけど」
「これ美味しいのに」

ミズキは軽やかに笑って携帯を耳に当てた。いくらか相槌を打って、「いますよ、五条くん。お菓子をあげたら帰らせますね」とまた小学生の保護者のよう。
五条はすっかり拗ねた顔でそれを面白くなさそうに見ていて、その内にミズキが通話を終えると、立てた脚の間を覗き込むように俯いてガシガシと頭を掻いた。

「クッソ…夜蛾センの頭に黒板消し落としてやる…」
「先生可哀想」
「俺の方が可哀想じゃない?あ"ー先輩とエッチしてぇ…シュークリームどころじゃねーの、つーかエロいことしか浮かんでこねぇ」
「うんうん、また今度ね」
「今度っていつ?明日?」
「じゃあ明日」

ミズキは小皿を取り上げてシュークリームを小さく齧った。隣で五条が口を半開きにしてポカンとして、ある時「ハァッ?!」と大声を上げても、気にせず。
五条はしばらく口をはくはくとさせて、言葉を探しては見付からず、ただシュークリームを齧るミズキを見ていた。彼女は口端に残った粉糖を指先で寄せ、ぺろりと小さく舐めてから、五条の好きな唇で弧を描いた。

「悟」
「、ぇ」
「大好き」

悶絶。
五条が金魚のように赤くなって口をはくはくとさせるのを見ると、ミズキは満足げに笑った。

「っていうわんちゃんなのよね?」

確かに、復唱しろと言ったのは五条自身である。そのことに思い当たった五条はずるずるとベッドに寄り掛かった。

「あ"ぁ"ぁ"も"ー先輩に弄ばれるの気持ち良すぎる好きぃぃぃ…」
「私も好きよ。だからシュークリーム食べて任務頑張ってきて」
「…そしたら?」
「このシーツの上で明日、五条くんは何したい?」

そんなもの、答えは既に出ている。五条が口を開こうとした時、ミズキの傍に置かれていた彼女の携帯がまた鈍い振動音を上げ始めた。開いて見るとやはり夜蛾で、五条は携帯を引っ掴むと耳に当てもせずに開口一番叫んだ。

「働きゃいーんだろ明日の分も全部今から行って終わったら休みもらうから!!」

叫び終えると返事も聞かないで通話を切ってしまった。
五条は皿に乗ったシュークリームをほぼ2口で口に押し込み、甘さの足りないはずだったコーヒーを一気に飲み干す。
ずるずると任務を嫌がっていたのから打って変わって、1秒でも惜しいという様子で五条はバタバタと玄関へ向かった。

「五条くん」

靴に足を捩じ込んでいた五条が振り向くと、ミズキの白い手が彼の襟元を引き寄せた。五条の唇の端を小さな舌がぺろりと舐めていく。離れていくその舌に少しの粉糖が乗っていた。

「行ってらっしゃい」

艶々とした唇が弧を描くのを見ると堪らなくなって、五条はミズキを壁に押し付けて噛み付くようにキスをした。痺れるほど甘い。
ミズキから鼻に掛かった声が漏れると、五条は意を決して唇を離した。鼻先の触れる距離、もどかしい吐息を交わらせた。

「明日俺、」
「うん」
「先輩のこと抱くから」
「うん」
「覚悟しといて」

五条の親指がミズキの唇に触れると艶の形が変わった。その濡れた艶にもう一度キスをして、五条は部屋を出た。



五条が携帯の電源を入れ直すとすぐに着信が入って、何でも補助監督の車がすぐ近くまで来ているらしい。合流して乗り込むと夏油もいた。

夏油はこれから向かう任務の概要を五条の頭に入れようと試みたけれど、完全に他のことに気を取られている様子を見て諦め、代わりに生温かいニヤケ顔で「で?」と尋ねてやった。

「その様子だとキスぐらいはさせてもらえた?」

五条はムスッとした。

「うっせぇな、今ので余韻消えたんだけどどうしてくれんの?」
「それは何より」
「喧嘩売ってんのか。あ"っそれよりアレ誤報だったぞ!先輩が京都行くってただの卒業旅行じゃねーかふざけんな」

ちなみにこれを言ったのは硝子であるから、夏油は『知るか』と切り捨てることだって出来た。しかし彼は想定済みの言いがかりに、目を細めてキツネのように笑った。

「それなら強ち誤報でもない。歌姫さんが転籍を誘ったのは本当らしいからね」
「…ハァ?」
「放っておけない可愛い子がいるからって断られたそうだけど、心当たりあるかい?」



***

ネタポストより
『乃愛の「先輩」という歌をイメージしたお話が読みたいです!(夢主が少し先輩で、後輩の五条さんが翻弄されてる感じ?)最後はくっついてくれると嬉しいです』

歌詞だともうちょっと先輩が気のない感じだったんですが、どうせなら両想いがいいのでこういう感じになりました。
ネタ主様、ありがとうございました!







×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -