飲み会お迎え:夏油傑(26)



ミズキは激怒した。
必ずやあの狐目前髪正論野郎に目に物見せてやると固く決心した。

夏油傑は大層モテる。精悍な顔つきでありながら目元は涼やかで、年齢不相応なほどの落ち着きと柔らかな物腰を持っているものだから、ころりと惚れてしまう女性は後を絶たない。
モテる相手と付き合うと心労が多いと聞くけれども、ミズキはそれまで恋人の夏油に関してあまり女性関係のストレスを感じたことはなかった。それはひとえに彼女が夏油の本性(というと聞こえが悪いのだが)を知っていて、ミズキの目の前で果敢にも夏油に告白する女性を彼がやんわりと断りながら、『心底どうでもいい、邪魔しないでほしい』という顔をしていることが分かるからである。

それがこの度崩れた。

同棲する部屋でコーヒー片手に各々の任務報告書を書いていた時のこと、夏油のスマホに着信があって、女性の名前(ちゃん付けの登録名だった)のディスプレイを取り上げて夏油は応答したのである。「やぁ、ーーちゃん久しぶり、どうしたの」とか何とか。
恋人の前でそれをやるというのは明らかに喧嘩を売っている。ミズキはニッコリ笑ってノートパソコンを畳んでケースに入れ、「ごゆっくり」と言い残して部屋を出た。出たというのはリビングのみに止まらず彼女は玄関からも出た。それからすぐに冥冥に電話をして「しばらく泊めてください。料金は夏油傑に請求してください」と申し込んで了承を受け、マンションの共通エントランスも抜けた。何とも迅速な行動、その間夏油が彼女を呼ぶ声やら慌ただしい物音が響くのを撒いて、着信の煩いスマホは完全に無視した。

それから、ミズキは非術師の友人に連絡を取った。2日前に合コンに誘われて断った、その相手である。「まだ参加できる?」と尋ねると友人はとても喜んでくれた。

「でも冥さんどうしよう私、合コンてどんな服で行けばいいのか分かんない…」

かくして当日、ミズキは途方に暮れていた。
普段一応化粧はするしそれなりに服飾を楽しんだりもするけれど、何しろ合コンというもの自体が初めてで未知の文化である。
冥冥は大きな三つ編み髪の下で優雅に笑った。

「そう言うと思って私の方で用意しておいたよ」
「さすが冥さん頼りになりすぎる!」

冥冥はクローゼットからハンガーに掛かったワンピースを出してミズキに手渡した。ミズキが普段自分から手に取るものよりも少し肌の露出が多いデザインで、成程とミズキは感心した。

「傑が好きそう」
「おや、いじらしいね」
「おっといけない」

喧嘩中…というよりも家出中の身である。それでも、高専の頃から付き合っている夏油はすっかり彼女の日常の全てに根を張っているものだから、ふとした瞬間に顔を出すのだ。

「冥さん、私すぐ…、夏油と別れることになるかも知れません。そしたら慰めてくださいね」
「その料金も?」
「夏油持ちです」
「盛大にいこうか」
「やった!」

そうしてミズキは夜の街へ繰り出した。呪霊を探すためでなく酒を飲むために夜を歩くのは何とも気持ちがいいな、と彼女は心の中で呟いた。空元気は自覚するところだったけれど。

合コンというのは彼女にとって、思ったより楽しいものではなかった。呪術界の外にいる初対面の男性とにこやかに会話をするのは演技のようなものだったし、それなら久しぶりに会った女友達と話したいと思っても彼女は彼女で忙しそうだし。
気を遣ったのか男性の1人が熱心に話し掛けてくれるのへ愛想笑いを返すのも億劫になって、ミズキは中座した。トイレの個室に籠城してスマホを見ても、着信はない。昨日まではしつこいほど夏油から着信が続いていて無視を続けてきたけれども、パッタリと途絶えた。
ミズキは自分で冥冥に言った『夏油と別れることになるかも』という言葉が、ひたひたと迫ってきているのを感じた。思えば勢いだけで家出してきてしまったけれど、女との電話ひとつでここまで怒らなくても良かったのかも知れない。いや、でも…と思い悩んで、追加で適当に時間を潰し、15分ほどで彼女は元の部屋へ戻った。

戻って、あわや悲鳴を上げるほど驚いた。

「や、おかえり」

夏油がいた。

ラフなTシャツにいつものピアス、指にはごつい指輪、家出前にミズキが見ていた休日の夏油そのものである。何ら気取った服装ではないのにやはり彼が美男であることと、体格の良さは服の上からも明らかで、その場にいる他の男性が気の毒に思えてくる。夏油の座っているのは、ミズキが中座するまで熱心に話し掛けてくれていた男性の席だったはずが、彼の姿は見えない。

「え…っと、何か1人、入れ替わりました?」
「この席の彼が所用で抜けたから私が代打でね」

実にいけしゃあしゃあと嘘を吐く。この席の人に『何か』したな、とミズキは確信した。例えば、未申告の手持ち呪霊でふわっと店の外に出すとか。
夏油がミズキに座るよう促したところで、女性陣はこぞって彼にメニューを差し出し話題を振り笑顔を向け、と分かりやすく狙いを定めた。それににこやかに対応する夏油がいつも通り『心底どうでもいい』の笑顔をしていることが、ミズキには見て取れた。この男、一体何をしに来たのか。ミズキは何とも馬鹿馬鹿しくなって、自分の鞄を手に取る。友人に詫びて帰ろうと腰を浮かしたところで、いつの間にか至近距離に詰めてきていた夏油が彼女の肩を抱いた。

「ミズキちゃん、私と抜けようか」

周囲が一瞬呆気に取られ、それから主に女性陣から悲鳴のような声が上がった。「傑くん帰っちゃうの?」とか「何でぇ?」とか甲高い猫撫で声が夏油に降り注いだけれども、結局彼が足を止めることはなく、流れるような所作でミズキは店外まで連れ出されてしまった。

「離して」

店を出てすぐに肩の手を払おうとするミズキと離すまいとする夏油の攻防があり、ひとまずは夏油の勝ち。ミズキはぷいと彼から顔を背けた。

「何しに来たの、白々しい嘘までついて」
「自分の恋人を迎えに来たんだよ」
「もう別れたみたいなもんでしょ」
「絶対に嫌だ」

夏油の手に力が篭り、往来だというのにミズキを抱き締めた。その長身を屈めてほとんど覆い被さるようにして。

「帰ってきて…お願いだから」
「…」
「私が悪かった」

見たところ夏油は全面降伏の構えだけれど、甘言に騙されるものかとミズキは意地になった。これで絆されて帰りでもしたら、夏油のような器用な男は上手く隠して女遊びを再開するに違いないのだ。『心底どうでもいい』という顔の方が演技だった可能性だってある。

「特定の恋人なんていない方がいいんじゃないの?誰と電話しようが遊ぼうが自由なんだから」
「君以外と遊びたくなんかないよ」
「どうだか」
「スマホを預けたら信じてくれる?」
「やだよ特級術師のスマホなんて持ちたくない」
「なら折って捨てようか?」
「やめなって…」

ミズキは痛むこめかみを押さえた。夏油が連絡手段を捨てたら困るのは補助監督である。
彼が必死に潔白を証明しようとするところも、今のミズキには白々しく映る。

「冥さんからの請求額が膨れてるの?私から返してそれで終わり、いいでしょ?」
「金は要らない。それにちょっとビックリする額になってると思うよ」
「…そんなに豪遊した覚えないけど」

ミズキは夏油の胸を押して距離を取り、店を出て初めて夏油に目を向けた。いぶかって見ていると、彼は悪戯の種明かしをする子どものように目を細めて見せた。

「冥さんに請求額の倍払うから君の様子を教えてほしいって言ったんだ」
「………はぁっ?!え、馬鹿なの?!いくらになってんの?!」

ミズキが冥冥の部屋に滞在したのは5日間、その間の食費や光熱水費と、冥冥のことだから家賃も計上しているに違いない、その倍、と積み上げていくとミズキは血の気の引く思いがした。さらに言えば今着用しているワンピースだって冥冥が用意したものだ。夏油の好きそうなデザインの。

「え、じゃあ何、傑がこのワンピース選んだとか?これいくら?」
「それは違うよ。他の男が見るのにそんな可愛い服は着させない」
「あー…そう…」

短くない付き合いながら、ミズキは今更夏油という男の思考が分からなくなった。冥冥の行動(というか裏切り)は非常に分かりやすい、何なら昨日彼女から『いつまででもいるといいよ』と言われたことに得心したところだ。
夏油は今度は叱られた子どものようにシュンとして、ミズキの腕や腰に回したままだった手を弱々しく引き寄せた。眉尻の下がった情けない表情を間近に見たミズキは、自身の決心が揺らぐのを感じた。

「…ごめんね、出来心だったんだよ。嫉妬してほしくて知り合いに電話してもらった。相手とはもう連絡も絶ったし」
「えぇ…それはそれで最低だ」
「うん、私は最低だけど君が帰ってきてくれるなら何でもするよ。それにこんな可愛い服を着た君をこれ以上外にいさせるのも嫌だ」

「ねぇ、お願い」と言われてしまうと、もう突っ撥ねることが出来なかったというのも無理からぬ話である。ミズキの家出は5日間で終了となった。

久々に自宅に戻り、とりあえずシャワーで酒のにおいと汗を流したいミズキを、夏油は寝室に連れ込もうとして失敗した。いきなり盛る奴があるかと額にチョップを喰らい正座を言い渡されても、彼は食い下がった。正座はしたけれども。

「その服、似合っててすごく可愛い。私が選んだんじゃないのが悔しいけど…だからせめて脱がせるのは私がやりたいんだよ。分かるだろう?」
「『分かるだろう?』じゃない!汗かいたしお酒臭いし、このままベッドに入るのは絶対嫌!」

『私は気にならない』と言うのは我慢した夏油である。ミズキは夏油が気にするかどうかの話をしているのではないのだから。
板間に正座する夏油の正面で腕組みをしていたミズキは、腕を解いて盛大に溜息を吐いた。

「洗面所でならいいけど」
「、えっ」
「嫌ならいい。じゃあね」
「い嫌じゃない!行く、行くから!」

夏油は慌ただしく洗面所に駆け込んで、念願叶って愛しい恋人の服に手を掛けた。勿論服を脱がせるというのはそれ単一の行為に留まらず、わざとゆっくり布をずらしていきながら彼はミズキに5日分のキスをしたし、段々とあらわになる肌を丁寧に撫で確かめた。
随分時間をかけて服を床に落とし、シャワーのコックを捻る頃には、ミズキの細い腕が夏油の肩から首の後ろへ回っていた。ぬるいシャワーを浴びながら、彼は恋人に「ばか」とか「次やったら別れる」とか罵られ、その度「うん」「ごめんね」と、幸せそうに答えて自分よりも随分小さな彼女の身体を優しく揺らした。





***

独断と偏見しかない夏油傑のイメージ
・スパダリなのに変な袋小路に嵌る
・お前何がしたいんだ?状態
・言うこと聞くけど反省はしてない
・初対面だらけの合コンをサラッと牛耳る
・恋人に関して金に糸目はつけない
・冥さんとセット販売が美味しい

あっnot離反ifでした。







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